ハンドレページ ハリファックスハリファックス ハンドレページ ハリファックス(Handley Page Halifax)は、イギリス空軍の4発重爆撃機。開発はハンドレページ社。アブロ社が開発したアブロ ランカスターと同世代の重爆撃機で、第二次世界大戦が終結するまで運用された。ハリファックスはオーストラリア空軍、カナダ空軍、ニュージーランド空軍、さらにポーランド空軍など多数の国で使用された。 開発ハンドレページ社は、空軍省の出した仕様 P.13/36 に合致するバルチャーエンジン2基を搭載した H.P.56 を開発した。しかし本機は開発中のエンジンであるバルチャーエンジンを用いたため性能不足であった。そこで1,280馬力のロールス・ロイス製マーリンエンジン4基に増強した H.P.57 が設計された。イギリス空軍は、最初の試作機が飛行する以前に100機を発注した。重爆撃機の名称に慣例となっている町の名前として、ウェスト・ヨークシャーからハリファックスと名づけられ、Mk I(マークワン)が1939年9月24日にバイチェスター空軍基地で初飛行した。 合計で6,176機のハリファックスが生産され、イングリッシュ・エレクトリック、フェアリー・アビエーション、ルーツ・モーターズ、ロンドン・エアクラフト・プロダクションなどの工場でも行われた。そのうち、イングリッシュ・エレクトリックのサムレスバリー工場では戦時下に2,000機以上が生産された。1946年11月まで製造が続けられたが、量産のピーク時には、1時間1機のペースで生産されていた。 設計ハリファックス Mk Iは両翼に6つの爆弾を搭載できる他、6.7 m(22フィート)の爆弾倉を持つ。爆弾の搭載量は、5,897 kg(13,000 lb)に上った。マーリンエンジンは、木製の恒速プロペラを駆動した。 ハリファックスの防御火器は、機首に7.7 mm ブローニングM1919重機関銃を2門、尾部に4門を装備した。機首と尾部の機関銃は、ボールトンポール製砲塔に搭載された。ビームアタックに備え、真横を射線に捉えた左右各1門のヴィッカース K 機関銃を胴体中央の側面に搭載するハリファックスもあった。 わずかな改良によって、Mk Iは細分化された。最初のMk Iは、Mk I シリーズ Iと称された。続くシリーズ IIでは総重量が26,310 kg(58,000ポンド)から27,220 kg(60,000ポンド)に増えた。シリーズ IIIでは、より大型なラジエーターを搭載し、燃料搭載量を増強した。これらのMk Iには、同じ主翼のエンジン2基が停止する事態になるか、急な機動を行うと機体が錐揉み状態に陥るという欠陥があり、それが尾翼の設計に起因していたことが判明した[1]。 1,390馬力(1,040 kW)のマーリン XX エンジンを導入し、胴体中央の機関銃に代わって二連装の7.7 mm 胴体背部砲塔を搭載したハリファックスは、B Mk II シリーズ Iと称された。Mk II シリーズ I (スペシャル) では、機首と背部の砲塔を撤去することで性能を向上させた。Mk II シリーズ IAは、大きな垂直尾翼とパースペックス・ノーズに変更され、エンジンはマーリン 22 エンジンに換装された。また、背部にはデファイアントタイプの4連装砲塔が搭載された。尾翼の設計変更で初期型の方向舵のオーバーバランスがもたらす失速による操縦性不良を解決し、パースペックス・ノーズは後のハリファックスで典型的な機首形状となった。 メシエ製ランディング・ギアの不足のため、ダウティ製ランディング・ギアが使われた。メシエ製ギアと互換性がなく、ダウティ製ギアを装備したハリファックス MK IIは新しい呼称を与えられ、Mk Vと称された。ダウティ製ギアの使用は、Mk IIよりも生産の効率向上に繋がったが、着陸重量が18,000 kg(40,000ポンド)に減少したため、通常は沿岸軍団や訓練部隊にまわされた。Mk Vは、ルーツのスピーク工場とフェアリーのストックポート工場で生産され、Mk IIの総生産数1,966機と比較して、1944年から始まったMk Vの生産数は904機にとどまる[1]。 最多の2,091機が生産されたハリファックスの派生型は、1943年に登場したB Mk IIIであった。尾翼やパースペックス・ノーズなどは、Mk II シリーズ IAと同様だったが、最も大きな変更は、マーリンより強力な1,650馬力(1,230 kW)のブリストル ハーキュリーズ XVI エンジンを搭載したことである。その他には、デ・ハビランド製の油圧可変プロペラの採用、丸味を帯びた翼端への変更であった。Mk Ⅲの1機は「Friday the 13th(13日の金曜日)」と名付けられて、128回の作戦を遂行し、大戦後まで生きのびた[2]。 Mk IVの設計は、ハーキュリーズに排気タービン過給器を組み合わせたものだったが、生産されることはなかった。 決定的なバージョンであるB Mk VIは、強力な1,800馬力(1,300 kW)のハーキュリーズ 100 エンジンを搭載し、最終的な爆撃型であるMk VIIでは、ハーキュリーズ XVIに戻された。これらの派生型は、いずれも少数しか生産されなかった。 防御火器を装備しないC Mk VIIIは、爆弾倉のスペースに貨物を搭載し、乗客11名を空輸できる輸送機型であった。全てのスペースを落下傘部隊の搭載に振り向けたMk A IXでは、最大16名の武装兵と各種装置を搭載できた。輸送・貨物型のハリファックスは、ハンドレページ ハルトンと称された。民間向けのハリファックスやハルトンは、爆撃機や輸送機の運用国以外でもスイス、ノルウェー、イギリス領インド、南アフリカ共和国などの航空会社で採用された。 運用歴製造されたハリファックスは1940年11月にオウセのリントン基地の第35飛行隊に引き渡され、1941年3月の11日から12日の夜にル・アーヴルに対して最初の爆撃を実施した。また、沿岸軍団の下で対潜哨戒に使用された。 爆撃以外にもグライダー曳航や電子戦機としても利用され、パラシュート降下や物資の空中投下など汎用な任務を引き受けた。爆撃機軍団でハリファックスは82,773回もの作戦で投入され、224,207トンに上る爆弾を投じたが、1,833機を損失している[3]。 イギリス空軍とフランス空軍は戦後の1952年頃までハリファックスを運用し、パキスタン空軍に至っては1961年まで使用した。 派生型
運用国仕様 (Mk.III)出典: military-aircraft.org.uk[4], RCAF.com[5] 諸元
性能
武装
現存する機体
参考文献
脚注
関連項目
外部リンク
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