ハリケーン・ハティ
ハリケーン・ハティ(Hurricane Hattie)は1961年の10月31日(ハロウィーン)に中央アメリカを直撃したハリケーンである。勢力は一時、サファ・シンプソン・ハリケーン・スケール(SSHS)でカテゴリー5に達した。 このハリケーンによって275人が犠牲となり、経済的被害は6千万ドル(1961年当時)にのぼった。 ハティは中央アメリカを二度横切り、大西洋→太平洋→大西洋という、とても珍しい経路をとったので、三つの名称(Hattieハティ、Simoneシモーネ、Ingaインガ)を持つ唯一のハリケーンとして記録されている。 経過ハティは10月27日に発生。西インド諸島付近を通過しながら、勢力を強め、30日にはカテゴリー5にまで成長した。その後、勢力を少し弱め、10月31日にカテゴリー4の強さで英領ホンジュラス(現ベリーズ)のベリーズシティに上陸した。上陸した後、ハティは勢力を弱めながら、そのまま中央アメリカを横切り、太平洋に抜けた。そして太平洋で再び勢力を強め、トロピカルストームとなり、シモーネ(Simone)と名称を変えた。 シモーネの残滓は、メキシコ湾の方向に進路をとり、再び中央アメリカを横断。そのままメキシコ湾に達し、消滅する前にトロピカルストーム・インガ(Inga)として再び名称を変えた。 なお、実際にインガがシモーネの残滓から形成されたかどうかには、異論がある。 ハティは10月30日と31日の二日間、カテゴリー5の勢力を維持した。大西洋で発生し、 カテゴリー5になったハリケーンとしては、最も遅い記録である。 被害ハティはケイマン諸島や中央アメリカに激しい雨を降らせた。その地域からの報告は十分ではないが、グランドケイマンでは、午前1時から午前7時(現地時間)までの6時間に7.8インチ(約200mm)の雨量を記録したのを含め、24時間に11.5インチ(約300mm)の雨が降ったとされる[1]。 ハリケーンが通過した後の数日間は、総計数千にも及ぶ生存者が食料を求め、壊滅した街の通りをさまよっていた。 ハティは英領ホンジュラスに甚大な被害をもたらし、約275人が犠牲となった[2]。政府はベリーズシティが大きな被害を受けたため、より内陸のベルモパンに首都を移転した。また、ハティヴィルのように、ハリケーンによって家を失った人々が建てた一時的な避難所が、そのまま町として存続しているところもある。 ハティの経済的被害は61年当時で6千万ドルにも及ぶ。 名称の引退これらの甚大な被害をもたらした為、ハティという名称はこの年限りで引退となり、1965年からホリー(Holly)が用いられた。 関連項目出典
外部リンク※英語 |
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