| この記事は過去に削除依頼の審議対象になりました。新しく依頼を提出する場合、以下を参考にしてください。
|
| この項目では存命人物を扱っているため、公式方針である存命人物の伝記を厳守する必要があります。訴訟になりそうな記述については、出典が明記されていなかったり、信頼性に乏しい情報源を出典としている場合、直ちに除去しなければなりません。{{要出典}}や{{要検証}}などのタグを貼るなどして記述の出典を求める行為は、このケースにおいては間違った対応です。そのような記述を残したままにしないでください。名誉毀損のおそれのある記述については特にこれが強く当てはまります。 |
人物の節の前半の記述が、宣伝広告的で事実に反していると思われます。本人のサイトで紹介している履歴によれば、鳥海靖の定年退職から2年間大学院に在学しており、「中央大学では鳥海靖に師事し、鳥海の教授退任に伴って中央大学大学院を退学する」という、著作物で書いている履歴は事実に反します。「大学院生の頃に、13年間ほど安全保障の勉強会に参加していた」についても、大学院には13年間も在籍できないのが普通です(現に倉山氏の大学院在籍は10年と略歴にある)。また、国士舘大学 Webシラバスを見ても、倉山氏が「社会人を対象にした「帝国憲法講義」をおこなっている」という事実は確認できません。さらに「2013年(平成25年)に出版した『嘘だらけの日中近現代史』では、日本の中国研究者が書けないタブーにまで切り込んでいる」というのは自称であり、第三者である読者の評価ではありません。したがって1週間ほど反論がなければ、この記述を削除します。--Sutabo(会話) 2013年11月11日 (月) 14:05 (UTC)[返信]
- 「本人のサイトで紹介している履歴によれば、鳥海靖の定年退職から2年間大学院に在学しており、『中央大学では鳥海靖に師事し、鳥海の教授退任に伴って中央大学大学院を退学する』という、著作物で書いている履歴は事実に反します。」については「鳥海の教授退任に伴って中央大学大学院を退学する」を除去し「中央大学では鳥海靖に師事していた。」のみに修正。
- 「『大学院生の頃に、13年間ほど安全保障の勉強会に参加していた』についても、大学院には13年間も在籍できないのが普通です(現に倉山氏の大学院在籍は10年と略歴にある)」については「大学院生の頃に、13年間ほど」を除去し「大学院生の頃に、安全保障の勉強会に参加していた」のみに修正。
- 「国士舘大学 Webシラバスを見ても、倉山氏が『社会人を対象にした「帝国憲法講義」をおこなっている』という事実は確認できません。」については「国士舘大学では、」を除去し「社会人を対象にした『帝国憲法講義』をおこなっている」に修正。
- <「2013年(平成25年)に出版した『嘘だらけの日中近現代史』では、日本の中国研究者が書けないタブーにまで切り込んでいる」というのは自称であり、第三者である読者の評価ではありません。>については「2013年(平成25年)に出版した『嘘だらけの日中近現代史』では、倉山は日本の中国研究者が書けないタブーにまで切り込んだと述べている」に修正。
私はこの程度の記述は「宣伝広告的記述」とは思えませんが、納得できないということなら一度Wikipedia:コメント依頼を提出して第三者の意見を聞いてみましょう。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月12日 (火) 10:28 (UTC)[返信]
- Wikipedia:コメント依頼は、この記事を宣伝広告的と判断した花蝶風月雪月花警部さんが出すのが本筋ですが、チンドレ・マンドレさんが出されても、別に構わないでしょう。私は、花蝶風月雪月花警部さんの判断に賛意を表明しただけですから。なお、コメント依頼の出し方は知らないので、チンドレ・マンドレさんにお願いします。--Sutabo(会話) 2013年11月12日 (火) 10:59 (UTC)[返信]
- ちなみにWikipedia:信頼できる情報源#公表者自身についての記事内での自己公表された情報源には「自己公表された情報源または疑問のある情報源は、特に公表者自身についての記事中において、公表者自身についての情報源として利用できます。」とあります。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月12日 (火) 11:07 (UTC)[返信]
- 商品の売れ行きに関わる著者略歴紹介で、本人のブログで紹介しているのと異なる経歴を書いているというのは、宣伝広告が目的だからとしか思えませんが。それにチンドレ・マンドレさんの改定案だと、もう記事として書く特筆姓がないように思われます。大学教員の記事でも、指導教授を書いているものなど殆どありませんし、改定案の「帝国憲法講義」では、「活動」の節にある記述とダブり、自著の自称の宣伝文句は、宣伝広告的記述以外の何物でもありません。取り敢えず、Wikipedia:コメント依頼を出してみて下さい。--Sutabo(会話) 2013年11月12日 (火) 11:20 (UTC)[返信]
- Wikipedia:コメント依頼を提出しました。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月12日 (火) 11:41 (UTC)[返信]
- どうも有り難うございます。私が言っていることと、ちょっと趣旨が違う気もしますが、まあいいでしょう。--Sutabo(会話) 2013年11月12日 (火) 11:47 (UTC)[返信]
- ちなみに[1]を出典に「『嘘だらけの日米近現代史』『噓だらけの日中近現代史』はベストセラーとなった。」と書くのも宣伝ですか?--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月12日 (火) 11:57 (UTC)[返信]
- ベストセラーの項目によると、「短期間で10万部以上売れた書籍」をベストセラーと呼ぶそうですから、誇大表現でしょう。本人のブログで、2冊合わせて10万部近く売れたと書かれていましたから。--Sutabo(会話) 2013年11月12日 (火) 12:03 (UTC)[返信]
- ご参考までに。扶桑社より増刷のお知らせ--Sutabo(会話) 2013年11月12日 (火) 12:12 (UTC)[返信]
- 「改定案の『帝国憲法講義』では、「活動」の節にある記述とダブる」についてはその通りなので「『帝国憲法講義』をおこなっている」は除去でいいです。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月12日 (火) 12:15 (UTC)[返信]
コメント依頼からきましたが、特筆性を示す第三者からの有意な言及が示されておらず、ケースEで丸ごと削除にされてもおかしくないように見えます。
- 「自己公表された情報源または疑問のある情報源は、特に公表者自身についての記事中において、公表者自身についての情報源として利用できます。
というのは、有意な第三者からの言及があって、独立記事作成の目安を満たした後の話ですし、客観的情報と食い違うことを平然と載せている書籍だったら、それは、さすがに使えないということになるんじゃないでしょうか。想定外なんだと思いますが。--T6n8(会話) 2013年11月12日 (火) 15:10 (UTC)[返信]
- コメントありがとうございます。倉山満はWikipedia:特筆性 (人物)#創造的な専門家を満たしてなく、この項目自体Wikipedia:削除依頼が提出されれば除去されるレベルということですか?そういうことならSutabo氏は倉山満のWikipedia:削除依頼を提出した方が話が早いということですよね。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月12日 (火) 15:27 (UTC)[返信]
- よく見たらWikipedia:特筆性全般は方針・ガイドラインではなく草案なんですね。すいません、「特筆性」はどの方針・ガイドラインを参考にするのか教えてもらえますか。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月12日 (火) 16:02 (UTC)[返信]
- Wikipedia:削除の方針#ケース E: 百科事典的でない記事ですかね。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月12日 (火) 16:17 (UTC)[返信]
- 見るべきものは大体あっていると思います。Wikipedia:特筆性は最近Wikipedia:独立記事作成の目安と題が変わっていますが、草案でも、実質的にほぼ有効な文書です。ケース Eで削除するには「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」というのがありますので、テンプレート貼り付け後1年程度たっても改善がなかったということを根拠にすることが多いようです。いきなり削除依頼ということはなく、現状ではまずいことを指摘しておいて改善可能かを確認するというものだと思います。--T6n8(会話) 2013年11月12日 (火) 22:59 (UTC)[返信]
T6n8さん、花蝶風月雪月花警部さん、コメント有り難うございます。T6n8さんの仰有る通り、チンドレ・マンドレさんの改定案でも、全く特筆性がないと思います。
- 「中央大学では鳥海靖に師事していた。」については、大学教授の項目でも、大学院生時代の指導教授を記述している方が希である。倉山氏が事実を歪めてまで鳥海靖との関係を著書の著者履歴で強調するのは、販促のためであり、Wikipediaがわざわざそれに協力する必要はない。
- 「大学院生の頃に、安全保障の勉強会に参加していた」は、特別に有名な勉強会ならまだしも、普通に大学院生が出席する勉強会はサークル活動のようなものであり、特筆性が全くない。
- 「2013年(平成25年)に出版した『嘘だらけの日中近現代史』では、倉山は日本の中国研究者が書けないタブーにまで切り込んだと述べている」は、この本の販促キャッチコピー[2]に由来するものであり、本の販促にWikipediaがわざわざ協力する必要はない。
以上の理由により、特筆性がなく宣伝広告的で、削除でいいと思います。「執筆協力 雀野日名子 『終末の鳥人間』 光文社、2012年7月18日。ISBN 978-4-334-92837-7」についても、研究者が本を出すとき、研究仲間に原稿を読んで貰うことは日常茶飯であり、後書きでも謝辞が明記されているのに、そのような例が他の学者の項目で書かれていない以上、不要と思われます。動画のリンク集も、百科事典的でなく、削除でいいでしょう。--Sutabo(会話) 2013年11月13日 (水) 11:04 (UTC)[返信]
- 解りました。「主張」も宣伝に該当し、「人物」の節は丸々除去ということで了解しました。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月13日 (水) 11:08 (UTC)[返信]
- ちなみに特筆性についてですが、Wikipedia:特筆性 (人物)#基本的な基準に「信頼でき客観的に独立し、対象者から独立し、公にされた二次情報源に取り上げられている場合、その人物はすでに特筆された人物であると推定されます。」とありますが、SPA![3]で取り上げられた程度ではダメという感じですかね。後私が出せるのは学芸総合誌・季刊「環」[4]で鼎談した、『嘘だらけの日中近現代史』が売れた[5]ぐらいですかね。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月13日 (水) 11:14 (UTC)[返信]
- 「人物」の節の後半は、本人の主張について著書や出演番組の出典もあり、削除する必要はないと思います。なおSPA!を出版しているのは倉山氏の新書の出版社であり、販促をするのは当然でしょう。それにWikipediaが協力する必要はありません。『嘘だらけの日中近現代史』は、Wikipediaのベストセラーの項目での定義を満たしていないのは、前述した通りです。--Sutabo(会話) 2013年11月13日 (水) 11:26 (UTC)[返信]
- あなたの論理で行けば著書や出演番組の出典
もによる「主張」は一次資料・特筆性無しでダメになりませんか?--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月13日 (水) 11:42 (UTC)--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月13日 (水) 11:45 (UTC)[返信]
- それは花蝶風月雪月花警部さんの論理ではないですか? 少なくとも私は、本人の主張内容については、二次資料ではなく、本人の著書や出演番組を出典とするのが一番いいと考えています。だから最初から問題として取り上げていません。--Sutabo(会話) 2013年11月13日 (水) 11:48 (UTC)[返信]
- すみません。
You tube上に倉山氏が一般人相手に行う「帝国憲法講義」の動画がアップされているのですが?
この動画のアップロード履歴は2009年。皆様が議論されておられるのは2013年現在です。
既に4年も前には事実、実施されていた根拠とみなしても良いのではないでしょうか?
該当リンク→
https://www.youtube.com/watch?v=GVidVLn60U8&list=PL5x-1tnreNLiuFzhn73WjDk9J4bUKeYkt&index=1
ですので、
「『帝国憲法講義』をおこなっている」は除去しなくても良いのでは無いでしょうか?
--あきつの飛鳥山(会話)
上の議論を読んだ上でコメントですが、この方の特筆性に疑問があるので特筆性タグを貼ったほうが良いと思うのですが。著述家の場合、単に自費出版ではない本を出していれば良いと言うことではないですよね。著作がよく知られているか重要であると認識されているというのが特筆性の条件として挙げられていますが、この人の著作がそのようなものに合致するとは思えません。最低限、全国紙の書評(朝日や読売はウェブで書評を公開してる)くらいには取り上げられていなければならないでしょう。現在の記事を見ても、そのような、著名であると誰もが認める媒体に取り上げられたということはなさそうですし、私がネットで調べても今のところ見つかっていません。
チャンネル桜は一部の人間にしか知られていないメディア(地上波でもない上、衛星のしかも有料)ですから、ここに注目されたくらいでは特筆に値するということは出来ないと思います。また、本を出しても、その著者が注目されるには様々な条件が絡んできて、単に本を出しただけで注目されたことにはなりません。養老孟司や立花隆などは、本がとても売れてある程度の点数を出しているからこそ著名人としてテレビ番組に出演したのだろうし、茂木健一郎は著作の多さだけでなく、脳について分かり易く教えてくれる学者というポジションのおかげでテレビに出ているわけです(一時期はNHKの番組の司会までしていた)。倉山満さんについてはどうでしょうか。ネットで話題になっても、それが全国的に、日本人の多くが注目しているということにはならないはずです。私から見れば、この人は単に情報発信を積極的にやっているだけです。自分を売り込むのに必死な人は、このご時世いくらでもいますよ。そして、この人を取り上げてるのは、本をたくさん出版している扶桑社ばかり。どうしてこんなに自分を売り込んでるのに、他の有名出版社や新聞社が取り上げないのでしょう?たぶん、「倉山満の主張は日本で一定の市民権を得たものではない」と彼らが判断し、全国の読者に向けて発信する必要性を感じなかったからではないか。現在の情報から考えて、この人に特筆性が十分あるとは思えません。ご意見、または新たな情報などありましたらコメントお願いします。--しおまねき(会話) 2013年11月28日 (木) 23:39 (UTC)[返信]
- 現在私が把握しているのは、東洋経済[6][7]の書評くらいですね。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月29日 (金) 09:35 (UTC)[返信]
- (追記)MSN産経ニュースの書評[8]がありました。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月29日 (金) 12:30 (UTC)[返信]
- (追記)後弱い出典ですが、毎日新聞[9]。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月29日 (金) 12:41 (UTC)[返信]
ありがとうございます。意外にあるんですね。特に、産経ニュースの書評は、私が言っていた全国紙に取り上げられていないということを覆す情報ですので、検討に値するものだと思います。ただ、Wikipedia:特筆性 (人物)の付加的な基準を読み直すと、書評については特に書いていなかったので私の理解が不足していたようです。「重要であるかよく知られている作品」が雑誌や評論のテーマになっているという基準がありますが、これはよくよく読むとかなり厳しい基準のようですね。てっきり、それなりに売れてる本が書評されているくらいの意味だと思ってました。多分、この基準を満たす人はごくごく一部の著述家だけでしょう。
特筆性(人物)における基本的な基準には著作が有名な媒体でレビューされたというのは入っていないみたいです。基本的な基準で一番分かりやすいのはインタビュー記事ですね。扶桑社は倉山さんの本を出す媒体として強い繋がりがあるので当然排除するとして、結局残るのは「チャンネル桜」だけになります。(そして、私はチャンネル桜出演は特筆性を示すのに十分でないと思っています。異論がある方は書いてください)
現在、倉山満の書籍の中にはある程度の特筆性をもったものがあるようですが、本人と言うとよくわからない状態です。私には、現状の記事は倉山満の宣伝ページに見えます。ただ、この人物の主張はある種の思想を持った人に強くフィットする特徴的なものですから、その手の雑誌(ネットメディアではなく)には倉山満を取り上げているものがあるかもしれません。少なくとも本はたくさん出していて情報発信も積極的にしているわけですから、まったくの無名とは言い難い。というわけで、もう少し調査が必要なことが分かりました。--しおまねき(会話) 2013年11月29日 (金) 13:41 (UTC)[返信]
- 後はせいぜい新刊JPニュースのインタビュー[10][11]とか、オピニオン系の正論 (雑誌)[12][13]、WiLL (雑誌)[14][15][16][17]、Voice (雑誌)[18]、歴史系だと歴史読本[19]に寄稿しているくらいですかね。上述した環の鼎談[20]、聞き手として週刊現代[21]、WiLL (雑誌)[22]とか。全部微妙です。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月29日 (金) 15:41 (UTC)[返信]
- 産経新聞社は、倉山氏が新書を出している扶桑社と同じフジサンケイグループですし、毎日新聞の記事は地方版である栃木県版の記事で、全国ニュースとは言えません。「チャンネル桜」とフジサンケイグループでしか取り上げられない程度の著述家というか活動家にWikipediaが頁を割く必要があるのか、確かに疑問はあります。『正論』『WiLL』など、しょせん色物です。地上波テレビに登場するくらいなら載せてもいいでしょうが、倉山氏にそれだけの実績はありません。--Sutabo(会話) 2013年11月29日 (金) 15:49 (UTC)[返信]
- 「取り上げられない程度」なのにチャンネル桜とフジサンケイグループを出典にして加筆をされておられるようですが、正直何がしたいのか意味が解りませんね[23][24][25][26]。--チンドレ・マンドレ(会話) 2013年11月29日 (金) 16:06 (UTC)[返信]
- 取り上げるなら取り上げるで、彼が活動している土俵内で記述に正確を期す必要があると思いますので。この項目自体の特筆性に疑問を投げかけたのは、T6n8氏としおまねき氏で、私ではありませんよ。--Sutabo(会話) 2013年11月29日 (金) 16:17 (UTC)[返信]
- お二人ともご意見、情報ありがとうございます。やはり、雑誌の執筆はありましたか。信頼出来るといえるかはともかく、新刊JPニュースのインタビューはかなり有力なものじゃないかなと思いました。本に関連したものですが、著者本人の思想に注目しているようですから、特筆性(人物)が求めているものに合致します。
- それと、雑誌の連載というのは、特筆性を見極めるのに利用される「二次資料」のうちには入らないということなのですかね。特筆性(人物)の付加的な基準を読む限り、雑誌に連載を担当しただけでは特筆性があるということにはならないようです。よく考えてみると、雑誌の連載というのは、著名な人だけでなく、全くの無名の人がやっていることもありますから、確かにこれだけで基準を満たしたということにするには無理があるのかもしれません。(よく知らないのですが、連載は頼まれるのではなく自分から売り込んでいくということもあるのかも)
- とすると、今のところ倉山満氏本人を取り上げた第三者は、チャンネル桜と新刊JPニュースの二つということになりますね。はっきりとした特筆性を備えているとは言えませんが、この状態で特筆性タグを貼ると、あまりにも特筆性の基準に厳しいとの反発もありそうですから、タグを貼るのは控えたほうが良いかもしれません。--しおまねき(会話) 2013年11月30日 (土) 00:17 (UTC)[返信]
- しおまねきさんがこの人は単に情報発信を積極的にやっているだけと仰有る通り、ブログを見ても、この人は売名活動、自分を大きく見せることに必死です。そして上念司氏と組んで必死に売名活動をしている割には、上念氏や三橋貴明氏のように地上波テレビに出るだけの社会的認知は受けられないでいます。著書の著者略歴紹介でも、以前に私が指摘した通り、鳥海靖教授との師弟関係に関する事実を歪曲してまで鳥海教授との関係を強調し、本の販促活動をしています。そんな人物の一次資料に基づいてWikipediaに書いてやるということは、倉山氏の必死の売名活動に手を貸してやることになるわけで、この人にそれほどの特筆性があるの?と疑問を投げかけられると、消極的にですが「そうですね」という感じがします。私が積極的に削除依頼を出す気にはなりませんが、「特筆性なし」で削除依頼が出れば、消極的にですが賛成するでしょう。--Sutabo(会話) 2013年11月30日 (土) 13:56 (UTC)[返信]
Sutaboの「大学教員の記事でも、指導教授を書いているものなど殆どありませんし[27]」
間違い。「教授 師事」「教授 指導」あたりで全文検索すると、大量にヒットします。そもそも学者infoboxテンプレートには、指導教員名や影響を受けた人物を記述する欄がある
倉山満人物情報 |
---|
生誕 |
????年??月??日 [[]] |
---|
学問 |
---|
博士課程指導教員 |
○○ |
---|
指導教員 |
○○ |
---|
影響を受けた人物 |
○○ |
---|
テンプレートを表示 |
Sutaboの「倉山氏が事実を歪めてまで鳥海靖との関係を著書の著者履歴で強調するのは、販促のためであり、[28]」
一般人で鳥海靖の事を知っている人なんてはっきり言っていない。販促になるのでしょうか。「佐藤優氏推薦」とか「池上彰氏激賞」とは違う。--219.111.109.176 2016年8月2日 (火) 06:06 (UTC)[返信]
三橋の主張によると、倉山は消費税8%増税を行った際、自らが主宰する倉山塾等を通じ、
当時の財務省事務次官木下康司への苛烈なバッシングとコラージュ画像作成による木下への攻撃を訴える等の扇動活動を行っていた。
上記の出典を明示すべし。--あきつの飛鳥山(会話)
倉山氏と三橋氏の言い分が食い違っているので、主張は主張として、各自のそれに沿った形に書き換えて、事実としては、信頼できる第3者の出典を用いて記載すべきだと思います。--JapaneseA(会話) 2017年4月11日 (火) 06:57 (UTC)[返信]
了解いたしました、となると かなり修正しなければいけませんね。
三橋氏のBlogが出典になっている箇所も大量にあるので。少し整合性も検証してみますね。--あきつの飛鳥山(会話) 2017年4月11日 (火) 07:54 (UTC)[返信]
「著作を巡る名誉毀損裁判」の節における記述は全て当事者らのブログ等を出典としており、そもそもこの事象自体にWikipediaに記載するほどの特筆性がないのではないでしょうか。現に「三橋貴明」の項目には倉山のくの字もありません。また、報道機関等の第三者による言及も検索した限りでは見つかりませんでした。ブログで書いたなら何でも記載、となれば宣伝し放題になってしまいます。特に異論がないようでしたら当該箇所を1ヶ月後に削除したいと考えます。--106.161.235.33 2017年9月7日 (木) 02:42 (UTC)[返信]
- だいたい賛成します。当事者ブログだけが出典のままいろいろなことが書かれていていささか冗長だと思います。ただ、全部削除というよりは「主張・人物」のところで一、二行で触れるのでもよいのではとも思いますが。--さえぼー(会話) 2017年9月15日 (金) 03:38 (UTC)[返信]
- ご意見ありがとうございます。「主張・人物」のところで一、二行で触れる、という点について、Wikipedia:信頼できる情報源があれば良いのですが、当事者同士のブログしか出典がない状態では一、二行触れるのも適切ではないと考えます。WP:SELFSOURCEでは「自己公表された情報源」を「公表者自身についての情報源」として利用できるとしていますが、本件は公表者自身の単なるプロフィールではなく、自身以外の人物との裁判についての記述であり、ブログを出典とするのは難しいのではないでしょうか。なお、WP:RSを満たす出典が提示された場合に記載を妨げるものではありません。(IPが変わっておりますが106.161.235.33と同一利用者です)--106.161.222.19 2017年9月15日 (金) 06:18 (UTC)[返信]
- たしかに出典にはかなり問題がありますので、うまく触れることができなそうだというのであれば全削除に反対するものではありません。--さえぼー(会話) 2017年9月15日 (金) 07:09 (UTC)[返信]
報告 1ヶ月の経過期間に特に異論はないようでしたので、当該箇所の記述を除去致しました。繰り返し述べますが、WP:RSを満たす出典が提示された場合に当該の記載を妨げるものではありません。宜しくお願い申し上げます。(IPが変わっておりますが106.161.235.33と同一利用者です)--106.161.216.200 2017年10月18日 (水) 10:09 (UTC)[返信]
2017年秋の議論で、自己公表された情報源をもとにする裁判に関する細かい記述は除去するという合意ができましたが、他にも自己公表された情報源をもとにする箇所がかなり残っています。「来歴」の最後の段落については、現在の注11にあたる扶桑社の出典があればあとの2つはいらないと思いますので、除去すべきではないでしょうか。また、「主張・人物」の節の上から三つめの段落は全て本人のブログを出典としており、上で若干議論がありますがやや言葉を濁したようなわかりづらい箇所もあります。こちらは全て除去してはどうでしょうか?こうした細かい内容を本人ブログを出典として記載する意味があまり見いだせません。反対がないようでしたら、一週間をめどに記述を整理・除去したいと思います。--さえぼー(会話) 2018年3月4日 (日) 11:27 (UTC)[返信]
- ご指摘の箇所の除去に賛成致します。2つ目の注釈(番組降板に関する解説)の出典についても「裁判に圧勝」のブログは必要ないかと思われます。なお、現在は当人のブログ等のみ「自己公表された情報源」として分類されていますが、団体や政党のプレスリリース等も自己公表された情報源に該当します。この記事のように「自主公表された情報源・公式サイト・プレスリリース」と記載すれば後から追記する利用者もわかりやすいかと思います。また、「著作」もシリーズ分けや「年表あり」等の記載は必要ないように思います。--2001:268:C032:59F4:5D2F:DBE:FCC4:28BE 2018年3月12日 (月) 14:56 (UTC)[返信]
- 議論に従い、自己公表された情報源だけにもとづく箇所や、いくつかある注に自己公表された情報源が入っていて不要と思われるところなどを除去しました。まだもう少し整理したほうがいいかもしれませんが…--さえぼー(会話) 2018年3月13日 (火) 09:58 (UTC)[返信]
「著作」について、年表あり表記は冗長と思いますが、シリーズ分けはあったほうが利便性が高いように思います。--Snowmar(会話) 2018年3月20日 (火) 05:32 (UTC)[返信]