ノート:交響曲メンデルスゾーンのシンフォニア12曲はやっぱ交響曲には参入しないものですか?(Setomanko 17:14 2004年2月15日 (UTC))
大規模な楽曲というのは編成面のことでしょうか?それとも形式上のことでしょうか?一般的な音楽事典などでは「管弦楽のためのソナタ」という風に定義されることが通例のように思われます。ソナタは確かに大規模な楽曲形式ですが。yhr 2004年9月5日 (日) 14:41 (UTC) スケルツォに「重厚な」の表現はそぐわないと思い、削除しました。2005/01/17 交響曲の番号についての記事を交響曲第5番 (ベートーヴェン)より移動2008年1月12日 (土) 13:00 の版で追加した記事は、交響曲第5番 (ベートーヴェン)の2007年11月6日 (火) 22:57の版にて追加された記述です。
当該交響曲の説明としては余りに冗長であると思いますので、こちらのページに趣旨を移動しました。 「交響曲の標題」節と「交響曲の標題」記事の統合の提案交響曲#交響曲の標題節は、交響曲の標題記事と同じ題材について記述していますが、それぞれ別々に記事が成長している状況です。 両方の記事を統合したほうが分かりやすくなると思いますので、以下のように両者の記事を統合することを提案します。
以上の様な方向性でいかがでしょうか。 --M.F 2008年1月13日 (日) 03:09 (UTC) この項独自研究と事実誤認が多いと思います。そもそも絶対音楽という標題と直接関係しない内容を入れているのがおかしい。リストに番号付き交響曲はありませんし、シベリウスの「クレルヴォ」は交響曲ではないです。メンデルスゾーンの第二交響曲は歌詞も作曲者による標題もありです。また、マーラーの1番は、「巨人」という名前で交響詩として作曲者自身が演奏しており、表題が取り払われたのは第三稿ですから「作曲途中の表題を削除した」ではないです。「絶対音楽ではあり得ない」も口が滑った、と思うな。 --K.
調について調についての記述が全く無いです。見たところどうやら『第2楽章だけ調が違う』ものが多いと思うのですが、よく分かりません。調の記事にも書いてないようで。平行調や同種調などの定義が何かあるのでしょうか。--クラリネット吹き 2008年2月1日 (金) 08:49 (UTC)
厳密にいえば、「第二楽章」ではなく「緩徐楽章」が第一楽章の近親調になる、というのが古典的な原則なのではないでしょうか。同主調を同じと考えればベートーヴェンもほぼこれにあてはまっています。第9番は第三楽章がアダージョです。7番と8番には緩徐楽章がありませんので、7番では意表をついて第三楽章の方をを変えたのではないでしょうか。Gruppetto 2008年2月5日 (火) 06:54 (UTC)
楽典の本などには書いていないでしょうね。U・ミヒェルス編の「図解音楽事典」(白水社)には「ソナタ」の基本的な構成について、「第二楽章は緩徐、叙情的で(中略)調は第一楽章の近親調」「第三楽章は主調で、メヌエット、ベートーヴェン以降はスケルツォ、(中略)ときに第二楽章と入れ替わることもある。」とあります。もちろん時代が下ればスケルツォ楽章も近親調である場合も増えてきますが、基本的には緩徐楽章が調が変わる、というのが定型でしょう。ベートーヴェンの9番の他、ブルックナーの8、9番、室内楽ではモーツァルトの弦楽四重奏曲第14番、ベートーヴェンの15番、16番などが第三楽章が緩徐楽章ですが、第三楽章のみ別な調(または主音の異なる調)となっています。ただ、こういうことは「交響曲」ではなく「ソナタ」のページに書くべきことでしょうね。--Gruppetto 2008年2月5日 (火) 13:17 (UTC) ちなみに、最終楽章は第一楽章と同じ調、または同主調というのがやはり原則です。マーラーは一見出鱈目に見えますが、1番のフィナーレはヘ長調ではなくヘ短調で始まり最終的には第一楽章と同じニ長調で終わります。6番のフィナーレもハ短調で始まりますが最終的には第一楽章のイ短調で終わります。8番も最終的には冒頭と同じ変ホ長調で終わり、10番も最後は嬰ヘ長調になって終わります。大地の歌は最終的にはハ長調ですから、2番と大地の歌は平行調で終わることになりますね。7番と5番は半音上の調で終わりますが、交響曲第5番 (マーラー)のページによればこれは「発展的調性」と言うそうです。9番は半音下の調で終わりますが、これをもって「生→死」というドラマが表わされているという意見もあるようです。私も長々と失礼致しました。--Gruppetto 2008年2月5日 (火) 15:58 (UTC)
調についての記述を加えておきました。ちなみに、石桁真礼生著「楽式論」(音楽之友社)ではメヌエット=スケルツォ楽章について「調=近親調」としていますが、石桁はベートーヴェン以降の時代を基準に考えていると思われ、古典派時代の実例は主調であることが多く、この点では上述のミヒェルスの方が正確であると言えるでしょう。ただし、ブラームスやチャイコフスキーのように、ロマン派時代以降は近親調である例も増えるので、その旨記述しました。最終楽章が主調(または同主調)である点についてはミヒェルス、石桁とも共通しています。マーラーに関しては、事実を記述しているのみですので、独自研究にはあたらないでしょう。--Gruppetto 2008年2月6日 (水) 15:18 (UTC) 2008年7月1日 (火) 02:52における私の編集の解説主な作品#ロマン派以降においてベリオのシンフォニアが書かれていましたが、作品の構成も編成も交響曲と呼ぶにふさわしい所は無く、前々から気になっていましたがついに削除しました。「シンフォニア」を加えた人は、その名前から交響曲と判断したのでしょうが、イタリア語のシンフォニアは「序曲」を指す場合があり、しかもこの場合「シンフォニア」は、曲の構成、編成を反映したものではなく、比喩的な意味合いで用いている物かもしれないのです。もしまた追加するならば、「シンフォニア」が交響曲に分類できる理由を説明して下さい。 またペンデレツキの交響曲に関する記述において、長い間「現在第9番を作曲中?」という件が放置されていましたが、出典が明らかでないことに加え、9番が完成すれば書き加えればよく、現時点ではそのような記述は必要ないと思い削除しました。--もんじゃ 2008年7月1日 (火) 03:12 (UTC) 「主な作曲家と作品」の過剰な記述の整理交響曲#主な作曲家と作品にはかなりの数の作曲家が記述されていますが、分量が多く過剰な記述になっていると思います。特に、
については、交響曲の「主な作曲家」とは言い難いでしょう。このようなリストは、読み手にとって何の意味もなく、書く側の自己満足に終わっていると思います。 Wikipedia:特筆性やWikipedia:ウィキペディアは何ではないか#ウィキペディアは名鑑ではありませんという方針もありますので、記述内容を整理したいと思います。 残す条件としては、とりあえずその作曲家の交響曲が単独記事としてWikipediaに存在する(すなわち、Wikipedia:特筆性を満たす交響曲を作曲している)ということを基準にできると思いますが、皆さんのご意見はいかがでしょうか。 特に異論がなければ、この方針で対処させていただきたいと思います。--M.F 2011年11月26日 (土) 08:42 (UTC)
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