ネナ・チェリー
![]() ネナ・チェリー(Neneh Cherry、1964年3月10日 - )は、スウェーデン・ストックホルム出身の歌手。継父にフリー・ジャズのトランペッター、ドン・チェリーを持つ。イーグル・アイ・チェリーは、異父弟にあたる。前夫は、元ポップ・グループのブルース・スミス。1984年にモーガン&マクヴィのキャメロン・マクヴィと再婚している。娘にシンガーのメイベルがいる[1]。 略歴1964年、シエラレオネ共和国出身のパーカッショニストで父のアーマドゥ・ジャーとテキスタイル・コラージュの作家として知られる、母モキ・チェリーの間に生まれる。 ニュー・ウェイヴ/ポストパンクのグループ、スリッツ、ニュー・エイジ・ステッパーズ、リップ・リグ&パニック、フロート・アップ・CPに参加する。 1986年、菊池武夫のファッションショーの出演に伴い、モデル、スタイリスト、フォトグラファーから構成された集団「BUFFALO」のメンバーとして、ワイルド・バンチと共に日本ツアーが行われた[2][3]。 1988年、シングル「Buffalo Stance」が、全米チャート(Billboard Hot 100)第3位、全英シングルチャート(ミュージック・ウィーク)第3位のヒットを記録した。 1989年、ファースト・アルバム『ロウ・ライク・スシ』をリリース。シングル「Manchild」は、全英チャート第5位を、シングル「Kisses on The Wind」は、全米チャート第8位を記録した。「Manchild」は、マッシヴ・アタックのロバート・デル・ナジャ(3D)が作曲している。 1990年、ブリット・アワードの「Best Single」と「Best Female Vocalist」を受賞。コール・ポーターのトリビュート・アルバム『Red, Hot & Blue』からシングルカットされた「I've Got You Under My Skin」[4] は、ジャングル・ブラザーズをプロデューサーに迎えて制作され、全英チャート第25位を記録した[5]。 1991年、マッシヴ・アタックのデビュー・アルバム『ブルー・ラインズ』に参加[6]。 1992年、R.E.M.のマイケル・スタイプ、ギャング・スターが参加したセカンド・アルバム『ホームブルー』をリリースした[7]。 1994年、ユッスー・ンドゥールと共演したシングル「7 Seconds」は、全仏チャート(SNEP)、スイス・チャート第1位[8]、全英チャート第3位を記録した[9]。同曲は、MTV・ヨーロッパ・ミュージック・アワードにおいて「Best Song(最優秀楽曲賞)」を受賞している[10]。 1995年には、プリテンダーズのクリッシー・ハインド、シェール、エリック・クラプトンらと共演したシングル「Love Can Build a Bridge」が、全英チャート第1位を記録した。また、マーヴィン・ゲイのトリビュート・アルバム『マーヴィン・ゲイ・トリビュート (Inner City Blues The Music Of Marvin Gaye)』に収録された「Trouble Man」がシングル・カットされた[11]。 1996年、サード・アルバム『マン』からシングルカットされた「Woman」は、全英チャート第9位を記録[12]。 2005年、ゴリラズのアルバム『ディーモン・デイズ』に参加[13]。夫のキャメロン・マクヴィとサーカス (CirKus)を結成した。 2012年、フリージャズのグループ、ザ・シング (The Thing)と共にアルバム『ザ・チェリー・シング』をリリースした[14]。 2014年、フォー・テットをプロデューサーに迎えた4thアルバム『ブランク・プロジェクト』をリリースした[15]。 2018年、フォー・テットとロバート・デル・ナジャ(3D)をプロデューサーに迎えた5thアルバム『ブロークン・ポリティクス』をリリースした[16]。 2022年、THE FACEが作成したドキュメンタリー「Neneh Cherry documentary with Honey Dijon, Zadie Smith, Robyn and Dick Jewell」をYouTubeで公開[17]。 2024年、自伝「A Thousand Threads: A Memoir」を出版[18]。 ディスコグラフィスタジオ・アルバム
リミックス・アルバム
コラボレーション・アルバムサーカス (CirKus)
ネナ・チェリー&ザ・シング
リップ・リグ&パニック
出典
参考文献
外部リンク
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