ナショナル・アーカイブ (ブラジル)
ブラジル国立公文書館(ポルトガル語: Arquivo Nacional、頭字語AN)はリオデジャネイロにある1838年設立の国立機関。当初は帝国公文書館と称し、1911年に改称した。当館は連邦政府の文書を管理、保存しアクセスを提供する。2011年以降はブラジル法務・公安省(英語版)の配下に移された。 当館の掌握する業務は、2018年5月7日付の政令第9,360号の定めにより、連邦政府の公文書管理システム(SIGA=ブラジルポルトガル語: Sistema de Gestão de Documentos de Arquivo の頭字語[1])の維持と運営が第一である。
上記のように対象は国家機関であり国民にも対応する当館は二重の機能を果たし – 連邦機関各省庁が作成するアーカイブ文書の管理と、また基本的に歴史愛好家を保護しアクセスを供与する[訳語疑問点]。 使命
沿革
歴代の館長
収集品
![]() リオデジャネイロの施設に加えてブラジリアに第2の拠点を置き、収蔵する書類は保管キャビネットの総延長55 kmにのぼる。その構成は写真と原板が総計174万枚、写真アルバム200冊、戯画と挿絵4千点、ポスター類3千点、絵画300点、デッサンとイラスト類2万点を数え、これらに加えて地図、動画フィルム、音声録音を収める[2]。 連邦行政機関三権として司法府、立法府および旧行政府)(穏健派)の歴史的文書類を保管する。これに権限を受任した個人のコレクションも連なり、ポルトガルが独占したウルトラマリン採鉱を中心に本国とかわした通信文、中でも法律関連で特筆すべきはブラジル社会の始まりを記し、1808年にジョアン6世に献上された文書類がある。植民地時代の崩壊、帝国国家の形成は1824年当初の憲法と黄金法ばかりか、旧省庁)(旧最奥裁判所や旧海軍軍事法廷)や司法機関によって作成された文書を閲覧できる。 共和制政権下の公文書には移民の入国記録のほか民事および刑事訴訟、民事登録簿から20世紀初頭の都市開発および衛生設備の整備事業、果ては発明の特許申請やUFOの目撃情報にわたる。現代ブラジルの形成に関連する側面を反映する書類は1891年憲法に終わらず、司法は国家安全保障裁判所や軍事最高裁判所、最高連邦裁判所 の手続き書類、またこの国が軍事政権であった近代の歴史を証左する文書として、情報機関および対情報機関の検閲の記録や情報統制など複数の政府機関の文書、さらに政治闘争に関与した抑圧機構を構成したる国家情報局 の資料も残る。また個人や民間団体も資料を寄託し、現在まで資料の散逸と消滅を逃れてきた[注釈 1]。 地図文庫は地図を揃え、4万4千件超の資料は17—20世紀の世界各地とブラジルの地理が対象である。主題をブラジル国内にしぼると都市計画関連が群を抜き、リオデジャネイロの目抜き通りがリオ・ブランコ通りと命名されるまでの変遷、あるいは全国の著名な建物、鉄道や電信設備、港湾と河川関連、水道計画などが際立つ。 図像の記録は、写真の普及とともに1860年代から始まる。時代の著名な写真家はブラジル内外の活動を抑えて画像に切り取り、一連の画像資料の背景は国家公文書機関収蔵品の継承(1930–1979年)を土台に、新聞『コレイオ・ダ・マニャ』(1901–1974年)の報道写真、さらに写真家の遺族から受託したマルク・フェレス親子の作品(1839–2000年)は注目に値する。もちろん個人が撮影した単葉も整理保管してきた。 音声資料の収集時期は1902年から1990年をおさえたレコード盤や録音テープ1万1千点にのぼり、公的資料は共和国大統領府とメイリンク・ヴェイガ放送 、公共娯楽検閲局の押収資料で構成する。音楽の分野はクラシックからポピュラーまで幅が広く、研究家のウンベルト・フランチェスキ)(Humberto Franceschi[注釈 2])が集めたコレクション、ジョルナル・ド・ブラジル放送)(Radio Jornal do Brasil)の資料、レコード会社旧カーザ・エジソンからも受け入れた。 ブラジルの歴史と文化は一連の動画資料に残され、資料数3万3千件は報道用や映像記録、劇映像、広告などのほか家族で撮影したものもあり、フィルムロール総計12万4千本、ビデオテープ4千本を収める。中には検閲機関によって公開を禁じられたニュース映画の切片も含まれ、国家機関や国家核エネルギー委員会など公共機関の報道発表用や、廃業したテレビ局ヘジ・トゥピ の資料室が出どころである。 ユネスコ世界記録遺産に推薦当館の資料はブラジルの文化省傘下のブラジル国連記憶遺産委員会の後押しを受け、世界記憶遺産の候補に推薦された[3]。 ブラジルの資料
ラテンアメリカの資料
公的機関の国際的な資料
![]() ギャラリー収蔵資料の一部を紹介する。
ユネスコ世界記憶遺産の候補(文書類)図書館ブラジル国立公文書館に付属する図書館は2館あり、ブラジルの歴史と公文書保存学の分野に特化する。リオデジャネイロ本館の図書館はマリア・ベアトリス・ナシメント図書館 と呼ばれ[4]、1876年定礎、同年3月24日付の政令第6164号に規定された[5]。ブラジリア地域図書館群2016年に組織され、20超の異なる言語で著された蔵書は書籍11万1000冊、小冊子や雑誌、学術論文、CDおよびDVDの電子媒体、希少本2万3千件を数える。特に2015年に解散したブラジル・アーキビスト協会の書誌コレクションの一部を受け入れて以降、ブラジル最大のアーカイブ学専門は図書館とみなされる[6]。 建築リオデジャネイロ市の中心部、共和国広場に面する当館は、ラジオMECとリオデジャネイロ連邦大学法学部に隣接し、ブラジル中央駅にも近い。現在の建物の新古典主義様式の設計は技師アントーニオ・ピニェイロ・ギマランエス・フランシスコとテオドロ・アントニオ・デ・オリベイラが手がけ、片麻岩を採用[7](Antonio Pinheiro Guimarães Francisco、Teodoro Antonio de Oliveira)。旧ブラジル造幣局が入居(1868年から1983年)した建築物であり[8]、1938年に国立歴史芸術遺産研究所 が記録を始めた建築物の第一陣の1件でもある[9]。正面部分にペディメント3基を設けて、古典的なポータルを抜けて正面玄関に通じる。 リオデジャネイロ本部に加え、連邦首都ブラジリア分館を1988年に開いた。現地はその後、グラフィック産業の中核となり、隣は国立出版局(Imprensa Nacional)である。 脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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