トリポリ
トリポリ (Tripoli) は、リビアの首都。リビアの北西部に位置し、地中海に面した港町である。2023年の人口は約118.3万人で、リビア最大の都市である。 都市名はギリシア語で「3つの都市」を意味する Tripolis に由来し、同語源で同名の都市にレバノンのトリポリやギリシャのトリポリがある。 都市名都市名は紀元前7世紀にカルタゴによって建設されたフェニキア人の植民都市「オエア」「サブラタ」「レプティス」の3つを総称して、ギリシア語で「3つの都市」を意味する Tripolis と、この3都市の所在した現在のリビア北西部を「トリポリタニア」 Tripolitania と呼んだ。この3都市のうちのオエアが現代のトリポリ市である。 アラビア語ではタラーブルス(طرابلس Ṭarābulus ( 発音、 リビア方言)といい、レバノンにある同名の都市トリポリ(タラーブルス)と区別してタラーブルス・アル=ガルブ(طرابلس الغرب Ṭarābulus al-Gharb 「西のトリポリ」の意)とも呼ばれる。 歴史ヴァンダル王国の時代にリビア地域の中心都市として発展し、645年にイスラム帝国に併合されたのちは、シチリア王国に一時占領された時期を除いてチュニジアやエジプトのムスリム(イスラム教徒)諸勢力の支配下にあった。 1510年にスペインによって征服され、1530年からマルタ騎士団の支配下に入ったが、1551年にオスマン帝国が征服し(トリポリ包囲戦 (1551年))、西トリポリ州の州都に定められた。西トリポリ州は1711年から1835年までカラマンリー朝がオスマン帝国の宗主権下に地方世襲政権を立てたほかは、1911年にイタリアによって占領されるまでオスマン帝国の直轄統治下に置かれた。 その後、イタリアの植民地支配から、第二次世界大戦中の1943年のイギリス軍による占領を経て1951年に独立したリビアの首都となり、同国最大の都市として政治、経済、文化の中枢に発展した。1986年にはカダフィ大佐の暗殺を狙い、アメリカ空軍および海軍が空爆した。2011年の内戦では8月に戦闘が発生し、8月23日には反体制派により制圧された。2015年1月27日、中心部のコリンシア・ホテルがISILトリポリ支部の襲撃を受け8人が死亡。 地理トリポリは地中海に臨むサハラ砂漠の端に位置する。チュニジアから約200km離れており、リビア第2の都市ベンガジとはスルト湾を間に挟む。300kmにわたる海岸はオアシス、砂漠、潟が交互に続く。最高気温は7月から10月が27°Cから30°C、12月から3月が18°Cから23°Cの間である。4月から9月の降雨が少なく、とくに7・8月はゼロである。11月から1月は70mmから90mm、年間合計は400mmを下回る。 気候ケッペンの気候区分で高温ステップ気候(BSh)に区分される。
経済リビア経済(商業、通信、金融)の中心地で、トリポリ港を使用した輸出入が盛んである。市内には工業品を製造する産業がある。 交通国内最大のトリポリ国際空港は紛争により閉鎖されており、ミティガ国際空港が使用されている。トランス・アフリカ・ハイウェイのトリポリ・ケープタウン・ハイウェイの起点がある。また、トリポリ地下鉄の計画もある。 教育スポーツいくつかのサッカークラブがある。 建築姉妹都市画像
脚注
関連項目外部リンク
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