ジョージ・リッチモンド による肖像画、1858年。
第2代レスター伯爵 トマス・ウィリアム・クック (英 : Thomas Coke, 2nd Earl of Leicester KG 、1822年 12月26日 – 1909年 1月24日 )は、イギリス の貴族。ノーフォーク 州の地主として領地改良に多額の投資をし、政治や社交界にはほとんど関わらなかった[ 1] 。
1837年から1842年までクック子爵 の儀礼称号 を使用した[ 2] 。
生涯
『バニティ・フェア 』1883年8月4日号におけるカリカチュア 、レスリー・ウォード 画。
初代レスター伯爵トマス・ウィリアム・クック と2人目の妻アン・アミーリア(Anne Amelia 、1803年6月16日 – 1844年7月22日、第4代アルベマール伯爵ウィリアム・ケッペル の娘)の間の長男として、1822年12月26日にホウカム で生まれ、1823年6月25日にメイフェア のハノーヴァー・スクエア (英語版 ) で洗礼を受けた[ 2]
。洗礼式には王族のサセックス公オーガスタス・フレデリック とグロスター=エディンバラ公ウィリアム・フレデリック が代父を務めた[ 2] 。
イートン・カレッジ とウィンチェスター・カレッジ で教育を受けた後、1842年6月30日に父が死去するとレスター伯爵 位を継承した[ 2] 。母は1843年6月25日に商人エドワード・エリス (英語版 ) と再婚したが、1844年7月22日に出産中に亡くなった[ 2] 。
ノーフォーク 州の地主であり、1883年時点でノーフォーク州に44,090エーカー (178.4 km2 )の領地(年収59,578ポンド 相当)を所有した[ 2] 。1846年8月1日よりノーフォーク統監 (英語版 ) を務めたが、1905年より健康を害し、1906年9月に引退して長男に譲った[ 1] [ 3] [ 4] 。
地主として領地管理や農業改良に専念し、1894年までに建物や排水 システムの整備に575,048ポンドを支出し、領地改良に必要な土地購入費として377,771ポンドを支出した[ 1] 。1857年から1859年にかけてホウカムとウェルズ=ネクスト=ザ=シー (英語版 ) の間の沼地を埋め立てた[ 5] 。しかし地代収入は減る一方であり、1878年には52,682ポンドだったのが1894年には28,701ポンドに下がった[ 1] 。
一方で時流に逆らわず資産分散を図るようになり、1853年から1857年までウェルズ・アンド・ファケナム鉄道 (英語版 ) に投資し、1870年代にはイギリス、カナダ、オーストラリア、アルゼンチンの鉄道会社の株を所持した[ 5] 。またブルワリー などイギリス農業の産出物を使用する川下産業にも投資した[ 5] 。
政界と社交界にはほとんど関わらなかったが、自由党 の支持者であり、1873年6月30日に首相ウィリアム・グラッドストン の推薦でガーター勲章 を授与された[ 2] [ 1] [ 6] 。しかし、1886年にグラッドストンがアイルランド自治 を推進するとそれに反対した[ 2] 。宮廷では1870年から1901年のエドワード7世 即位までコーンウォール公領 国璽尚書を務めた[ 1] 。伯爵として長期間貴族院 議員を務め、ほとんど登院しなかったものの、晩年には貴族院の「父」と呼ばれた[ 1] [ 5] 。
1909年1月24日、心不全 によりホウカムで死去、28日に同地で埋葬された[ 2] 。同名の長男トマス・ウィリアム (英語版 ) が爵位を継承した[ 2] 。
家族
1843年4月20日、ジュリアナ・ウィットブレッド(Juliana Whitbread 、1825年6月3日 – 1870年4月21日、サミュエル・チャールズ・ウィットブレッド (英語版 ) の娘)と結婚[ 2] 、4男7女をもうけた[ 7] 。
1875年8月26日、ジョージアナ・シャーロット・キャヴェンディッシュ(Georgiana Charlotte Cavendish 、1852年2月4日 – 1937年2月26日、第2代チェシャム男爵ウィリアム・キャヴェンディッシュ (英語版 ) の娘)と再婚[ 2] [ 10] 、6男1女をもうけた[ 7] 。
リチャード(1876年8月20日 – 1964年6月14日) - 陸軍軍人、第二次ボーア戦争 と第一次世界大戦 に参戦。1907年12月21日、ドリーン・オブライエン(Doreen O'Brien 、1960年6月10日没、第14代インチクィン男爵エドワード・オブライエン の娘)と結婚して、子女をもうけたが、1927年に離婚した。1932年7月19日、エリザベス・ヴェラ・キャサリン・アリス・ド・ボーモント(Elizabeth Vera Catherine Alice de Beaumont 、1988年没、ルイス・レオポルド・M・B・ド・ボーモントの娘)と再婚、子供あり[ 11]
メイベル(1878年9月9日[ 7] – 1967年1月29日) - 1929年8月8日、ジェームズ・リトル・ラディントン(James Little Luddington 、1935年9月8日没)と結婚[ 11]
エドワード(1879年10月17日 – 1944年9月4日[ 11] ) - 陸軍軍人、第二次ボーア戦争 と第一次世界大戦 に参戦[ 8]
ジョン・スペンサー(1880年9月30日 – 1957年12月23日[ 11] ) - 陸軍軍人、第二次ボーア戦争 と第一次世界大戦 に参戦。1907年1月15日、ドロシー・オリーヴ・レヴィ=ローソン(Dorothy Olive Levy-Lawson 、初代バーナム子爵ヘンリー・レヴィ=ローソン (英語版 ) の娘)と結婚、子供あり[ 8]
レジナルド(1883年11月10日 – 1969年4月30日[ 11] ) - 法廷弁護士、陸軍軍人。第一次世界大戦 に参戦。1924年7月17日、キャサリン・ライダー(Katharine Ryder 、エドワード・ライダー閣下の娘)と結婚、子供あり[ 8]
ヘンリー(1888年3月9日 – 1892年2月23日[ 7] )
ラヴェル・ウィリアム(1893年8月19日 – 1966年3月16日) - 生涯未婚[ 11]
出典
^ a b c d e f g Clarke, Ernest (1912). "Coke, Thomas William" . In Lee, Sidney (ed.). Dictionary of National Biography (2nd supplement) (英語). Vol. 1. London: Smith, Elder & Co . pp. 381–382.
^ a b c d e f g h i j k l m Cokayne, George Edward ; Doubleday, Herbert Arthur; Howard de Walden, Thomas , eds. (1929). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Husee to Lincolnshire) (英語). Vol. 7 (2nd ed.). London: The St Catherine Press. pp. 564–565.
^ "No. 20629" . The London Gazette (英語). 4 August 1846. p. 2833.
^ "No. 27946" . The London Gazette (英語). 4 September 1906. p. 6011.
^ a b c d Clarke, Ernest ; Martins, Susanna Wade (8 October 2009) [23 September 2004]. "Coke, Thomas William, second earl of Leicester of Holkham". Oxford Dictionary of National Biography (英語) (online ed.). Oxford University Press. doi :10.1093/ref:odnb/32484 。 (要購読、またはイギリス公立図書館への会員加入 。)
^ "No. 23995" . The London Gazette (英語). 4 July 1873. p. 3193.
^ a b c d e f g h i j k l m Lodge, Edmund , ed. (1901). The Peerage and Baronetage of the British Empire as at Present Existing (英語) (70th ed.). London: Hurst and Blackett. pp. 428–429.
^ a b c d e f g h i j k Burke, Sir Bernard ; Burke, Ashworth Peter, eds. (1934). A Genealogical and Heraldic History of the Peerage and Baronetage, The Privy Council, and Knightage (英語). Vol. 2 (92nd ed.). London: Burke's Peerage, Ltd. p. 1460.
^ Cokayne, George Edward ; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 289. ISBN 978-0-7509-0154-3 。
^ a b Cokayne, George Edward ; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. pp. 429–430. ISBN 978-0-7509-0154-3 。
^ a b c d e f g Mosley, Charles , ed. (2003). Burke’s Peerage, Baronetage & Knightage Clan Chiefs Scottish Feudal Barons (英語). Vol. 2 (107th ed.). London: Burke's Peerage Limited. pp. 2289–2290. ISBN 978-0-97119662-9 。
^ Cokayne, George Edward ; Hammond, Peter W., eds. (1998). The Complete Peerage, or a history of the House of Lords and all its members from the earliest times (Addenda & Corrigenda) (英語). Vol. 14 (2nd ed.). Stroud: Sutton Publishing. p. 433. ISBN 978-0-7509-0154-3 。
外部リンク