デイヴ・グリーンスレイド
デイヴ・グリーンスレイド(David Greenslade、1943年1月18日 - )は、イングランド出身のキーボーディスト、オルガニスト、作曲家。 略歴黎明期( - 1968年)ハイスクール時代に、ジョン・ハイズマン(ドラム)やトニー・リーヴス(ベース)等とアマチュア・バンドを結成するなどオルガニストとして活動を始め、同僚達とブルースやジャズの道に歩み出す。 1964年から1968年頃まで「ウェス・ミンスター・ファイヴ」「クリス・ファーロウ&ザ・サンダーバーズ」「ジーノ・ワシントン&ザ・ラム・ジャム・バンド」などで、録音やセッション活動に参加。 バンド / ソロ活動期(1968年 - 1979年)1968年夏、これまでの知己であるハイズマン、リーヴス、ディック・ヘクストール=スミス(サックス)らと、ジャズ/プログレッシブ・ロック・バンド「コロシアム」を結成。 1971年、「コロシアム」が解散し、ジャズ・ロック・バンド「イフ」に短期間籍を置く。 1972年、デイヴは同僚であるリーヴスのほか、デイヴ・ローソン(キーボード、元ウェブ - サムライ)、アンドリュー・マカロック(ドラム、元キング・クリムゾン - フィールズ)といった実力者を集め、ギターレスのプログレッシブ・ロック・バンド「グリーンスレイド」を結成する[1]。 1973年、ファースト・アルバム『グリーンスレイド』でデビュー。年内にはセカンド・アルバム『ベッドサイド・マナーズ・アー・エクストラ』も発表している。1974年、サード・アルバム『スパイグラス・ゲスト』をリリース[2]。コロシアムでの盟友クレム・クレムソンがゲストとして2曲でギターを弾いた。この時期からセールス的には下降気味になり、1975年にはリーヴスが脱退する。マルチプレーヤーのマーティン・ブライリー(元マンドレイク)を新メンバーに起用して4枚目のアルバム『タイム&タイド』を発表した[3]が、状況は変わらず、翌1976年初頭に解散する。 その後、デイヴは、ソロ・アルバムの制作に着手。同年にファースト・ソロ・アルバム『カクタス・クワイア』を発表[4]した。録音参加したミック・ロジャース(ギター、元マンフレッド・マンズ・アース・バンド)やサイモン・フィリップス(ドラム)らと組んでツアーを開催。後には旧友のリーヴス、ハイズマンが合流し、翌1977年まで続けた。 1979年、グリーンスレイドの4枚目のアルバムで縁のあった、イラストレーターのパトリック・ウッドロフとコラボしたコンセプト作品のセカンド・ソロ・アルバム『The Pentateuch of the Cosmogony』をリリース。その後、「グリーンスレイド」解散の頃からテレビ業界の音楽制作にも携わっている事情もあり、そちらの仕事に専念して際立ったソロ活動は暫く途絶える。 再始動 - 以降(1994年 - 現在)![]() 1994年、SFファンタジー作家 テリー・プラチェットとコラボした15年ぶりのサード・ソロ・アルバム『From The Discworld』をリリース。そして同年に「コロシアム」が再結成を果たし、デイヴも復帰する[5]。 デイヴは、それと並行して2000年に「グリーンスレイド」の再結成を企画。オリジナル・メンバーのトニー・リーヴスも参加した25年ぶりの5thアルバム『ラージ・アフタヌーン』を発表する。その後、バンドはライブ・アルバムをリリースするなど、ライブを中心に2003年まで活動した。 1999年、4枚目のソロ・アルバム『ゴーイング・サウス』をリリース。 2011年、12年ぶり5枚目のソロ・アルバム『Routes/Roots』をリリース。 2015年、「コロシアム」再度の解散が決定。ロンドンのラスト・ライブを最後にバンドとしての幕を閉じた[7]。 ディスコグラフィソロ・アルバム
コロシアム→詳細は「コロシアム (バンド) § ディスコグラフィ」を参照
グリーンスレイド→詳細は「グリーンスレイド § ディスコグラフィ」を参照
脚注
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia