ディビッドソン純マーカス
ディビッドソン 純 マーカス(ディビッドソン じゅん マーカス、英語: DAVIDSON Jun Marques, 1983年6月7日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。ポジションはミッドフィールダー(ディフェンシブハーフ)[1][3]。 来歴父親がアメリカ人[4]、母親が日本人[2]。小学3年生時にサッカーを始め[5]、東京ガス(後のFC東京)の下部組織に加入。柴田峡らの指導により力を付けた[5]。同期には尾亦弘友希らがいる。高校生時には父の故郷であるアメリカのサッカースクールに渡り、多国籍の環境下でプレーすることで精神的にも鍛えられた[5]。同スクールの監督がJリーグ・大宮アルディージャ監督のピム・ファーベークと知己だったことから[5]大宮での練習に参加する機会を得て、2002年8月より正式加入[6]。加入当初は出場機会に恵まれなかったが、2004年より監督に就いた三浦俊也によってレギュラーに抜擢された[2]。 2007年、アルビレックス新潟へ完全移籍[7][8]。しかしレギュラー定着は叶わず、ヴィッセル神戸[9][10]、コンサドーレ札幌[11][12][13]、新潟復帰[14] と移籍を繰り返した。札幌では再び三浦の下でプレー[2]。 2010年、マーティン・レニー (Martin Rennie) が率いるUSSF・カロライナ・レイルホークスへ移籍[15]。 2011年、Jリーグへの復帰を選び、J2・徳島ヴォルティスに練習生として参加[4]。2月末になって正式加入が発表された[16]。J1昇格圏内入りには僅かに届かず、1年限りで退団。 日本国内のクラブからも誘いを受けていたが、レニーに請われ[17][3]、2012年よりMLS・バンクーバー・ホワイトキャップスへ移籍[18]。ジョック・マクドナルド[注 1] 賞を獲得した[19]。 2014年、カロライナ・レイルホークスへ復帰[20]。主将を務めた[21]。 2015年、タイ・サイアム・ネイビーFCへ移籍[22]。 2016年、シャーロット・インディペンデンスへ移籍[19]。リーダーシップとゲームコントロールを評価され[23] レギュラーを確保。2017年をもって現役を引退。 引退後、2018年に大宮のアカデミーコーチ、2019年に広州富力のアカデミーコーチ、2020年に石家荘永昌のアシスタントコーチをそれぞれ歴任[24]。 2021年2月より鹿児島ユナイテッドFC U-15のコーチに就任した[25][26]。 エピソード
所属クラブ
個人成績
指導歴
脚注
関連項目
外部リンク
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