テオドール・マータム
テオドール・マータム(Theodor Matham、1605年か1606年生まれ、1676年3月26日没)は、オランダの画家、版画家である。名前は Theodoor やDirck、Theodorusとされることがある。 略歴ハールレムで有名な版画家、ヤーコプ・マータム(Jacob Matham: 1571-1631)の息子に生まれた[1]。兄に画家、版画家になるアドリアーン・マータム(Adriaen Matham:c.1599-1600)とヤン・マータム(Jan Matham: 1600-1648)がいる[2]。 父親から版画を学んだ[3]。1621年から1625年の間、ハールレムで活動した後、パリに移り[2]、収集家のミシェル・ド・マロレス(Michel de Marolles: 1600-1681)が出版した復刻版画集「Tableaux du temple des muses tirez du cabinet de feu Mr Favereau」のための版画復刻の仕事をした[4]。 1629年からローマに移り[2]、1633年からはローマの銀行家で美術収集家のヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニ(Vincenzo Giustiniani: 1564–1637)が収集した美術作品を版画にする仕事をした[5]。この仕事は画家のヨアヒム・フォン・ザンドラルト(1606-1688)が指揮し、コルネリス・ブルーマールト(c.1603-1692)やレイニール・ファン・ペルセイン(Reinier van Persijn: 1615-1668)といった版画家が参加していた。 1637年にハールレムに戻り、ハールレムで多くの版画を制作した。1641年7月にアムステルダムで結婚した。その後1644年からデンハーグ、1652年からアムステルダム、1656年から再びハーグで活動し1656年に結成された「Confrérie Pictura(絵の兄弟信心会)」の創立メンバーになった[5]。1962年にアムステルダムに移りそこで亡くなった。 作品
脚注参考文献
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