コルネリス・ブルーマールト
コルネリス・ブルーマールト(Cornelis Bloemaert II、1603年ころ - 1692年9月28日)はオランダの版画家、画家である。 略歴ユトレヒトで生まれた。父親は有名な画家の、アブラハム・ブルーマールト(1566-1651)で、画家、版画家になった4人の兄弟の2番目の息子である[1][2]。同名の建築家、彫刻家の祖父、コルネリス・ブルーマールト(Cornelis Bloemaert (I):1854-1593)と区別するために、「Cornelis Bloemaert II」と表記される[3]。 父親から学び、ユトレヒトで活動していた画家のヘラルト・ファン・ホントホルストからも絵を学んだ[2]。その後版画家のクリスペイン・ファン・デ・パッセ(Crispijn (van) de Passe : c.1564-1637)から版画を学んだ[4][5]。版画家として知られるようになり、1630年から1633年の間、パリに移り、収集家のミシェル・ド・マロレス(Michel de Marolles: 1600-1681)が出版した復刻版画集「Tableaux du temple des muses tirez du cabinet de feu Mr Favereau」のための版画復刻の仕事をした[1]。 1633年に[2]ヨアヒム・フォン・ザンドラルト(1606-1688)に推薦を受けて、ローマの銀行家で美術収集家のヴィンチェンツォ・ジュスティニアーニ(Vincenzo Giustiniani: 1564–1637)に招かれて、ローマに移った[1]。ローマではヨアヒム・フォン・ザンドラルトの指揮下でジミニャーニ家の美術品の図入り目録作成のため働いた。ピエトロ・ダ・コルトーナやドメニキーノ、チーロ・フェリ(Ciro Ferri)、ジャチント・ジミニャーニといった画家の作品や、ジュスティニアーニが所有するヨアヒム・フォン・ザンドラルトの素描をもとに版画を制作した。 レイニール・ファン・ペルセイン(Reinier van Persijn: 1615-1668)やテオドール・マータム(Theodor Matham: c.1605-1606)といった版画家とも一緒に働いた。一時的にフィレンツェで働くこともあったが、亡くなるまでローマで働いた[1]。 風俗画や宗教画、建物を題材にした作品、肖像画を残した。 作品
脚注参考文献
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