ツール・ド・フランス2008(フランス語: Tour de France 2008)は、ツール・ド・フランスとしては95回目の大会。2008年7月5日から7月27日まで、全21ステージ、全行程3559.5kmで行われた。
レース概要
フランス本土最西端のブレストをスタートし、フランスを反時計回りに一周して最終日のパリ・シャンゼリゼ通りのゴールを目指す。前半にピレネー越え、後半にアルプス越えが設定され、それぞれの途中で休息日が設けられている。前年と異なり基本的にほぼ全コースがフランス国内のみを巡るように設定され、アルプス越えの際に一部イタリアをかすめるのみとなっている。
また、この年はプロローグステージが行われないが、これは1967年以来初めて。また、到着順位ごとに与えられていたボーナスタイムも廃止され、純粋に区間ごとのタイムを積算する形で総合成績が競われることとなった。
この年は主催者であるアモリ・スポル・オルガニザシオン (ASO) と国際統括機関である国際自転車競技連盟 (UCI) との対立が先鋭化した年であり、UCIプロツアーを巡る両者の駆け引きに巻き込まれる形で様々な影響が生じている。
日程
参加チーム
UCIプロツアーチーム18チーム中17チーム、プロフェッショナルコンチネンタルチームから3チームの計20チームでスタートした。
主催者であるASOは、2008年2月13日にUCIプロツアーの有力チームの一つであるアスタナ・チーム(ルクセンブルク)を前年のツール・ド・フランスでのドーピング疑惑を理由に参加招待リストから除外することを発表した[2]。これにより、前年の覇者であるアルベルト・コンタドールの連覇および前年3位であるリーヴァイ・ライプハイマーの雪辱がレース開始前に思わぬ形で阻まれる形となった。
また、2007年のポイント賞獲得選手であるトム・ボーネンも、レース外ドーピング検査でのコカイン反応を理由に大会への出場禁止措置を行っている。
※太字はUCIプロチーム。中字はコンチネンタルプロチーム。
※DNS:該当ステージ出走せず(ドーピング陽性による除外を含む)。DNF:該当ステージ途中棄権。HD:該当ステージタイムオーバー。
ドーピング問題
CERA使用発覚選手の続出
- この年からヨーロッパでCERA(持続性エリスロポエチン受容体活性化剤=Continuous Erythropoietin Receptor Activator)と呼ばれるEPO(第三世代EPOとも言われる)の使用が可能になった為、これを用いたドーピング陽性者が続出した。
- 最終的に6名がCERAによるドーピング陽性者となり、総合3位と山岳賞に加え、全21ステージ中5ステージの優勝者が含まれていた (後に全員の成績は剥奪) 。
当大会期間中に発覚したケース
第8ステージを前にして、リクイガスのマヌエル・ベルトラン、さらに第11ステージ前を前にして、バルロワールドのモイセス・ドゥエニャスの尿内から、CERAの陽性反応が発覚。
第12ステージスタート直前となる7月17日、ここまでステージ2勝を挙げていたリカルド・リッコについても、第4ステージ終了後に尿検査で採取されたサンプルからCERA陽性反応が出たという、フランス・アンチドーピング機関の話を受け、リッコはフランス警察当局に勾留され今大会から除外。またリッコが所属するサウニエル・ドゥバル=スコットチームも事の重大性を考慮に入れ、今大会から撤退することを表明したことから、他選手も第12ステージを前に棄権を余儀なくされた他、リッコのドーピング問題が解決に至るまで、レース活動そのものを一時休止することを決めた[9][10]。
CERA陽性ではないが、最終日である7月27日のゴール後に総合19位のドミトリ・フォフォノフから第18ステージ後の検査において、興奮剤であるヘプタミノールの陽性反応が出ていたことが発覚した。
当大会後に発覚したケース
2008年10月6日のBBCニュースは、ステージ1勝を挙げたレオナルド・ピエポリとステージ2勝を挙げたシュテファン・シューマッハーの2人の血液サンプルからもCERA陽性反応が出たと報じた[11]。
同年10月13日付のレキップ紙は、総合3位で山岳賞のベルンハルト・コールにもCERA陽性反応が出たと報じている[12]。同月15日、記者会見の席上でコールは大筋で事実を認めた[13]。なお、ツール・ド・フランス公式記録集によると、コールの総合順位等は剥奪され、空位となっている。同様に山岳賞も剥奪され、空位となった[14]。
処分等について
7月18日、サウニエル・ドゥバル=スコットは、リッコ並びに、第10ステージを勝利したレオナルド・ピエポリ[15]の2人に対し、チームの倫理規定に違反した行為を行ったとして解雇通告した[16] 。加えてサウニエル・ドゥバルが当大会終了後まもなくスポンサーから撤退。残ったスコットがアメリカンビーフとともにチームを再結成することになり、当年8月28日よりレース活動を再開した。
7月20日、ドゥエニャス、ピエポリの2人が第三世代EPOの使用を認めた[17]。またドゥエニャスが所属しているバルロワールドは7月19日、当年のツール・ド・フランス終了後にスポンサーから降りることを表明した[18]。
マヌエル・ベルトランは所属チームのリクイガスより、年内一杯のレース出場禁止処分を通告された。また、ドミトリ・フォフォノフは即座に所属チームだったクレディ・アグリコールから解雇されたが、その後ドクターの処方ミスが証明されたため3ヶ月の停止処分のあと復帰、カザフスタンナショナルチームを経てアスタナ・プロチームに所属した。
最終的に、総合3位、山岳賞に加えて21ステージ中5ステージの優勝者が空位となる事態となった。
最終成績
総合成績
ポイント賞
山岳賞
新人賞
チーム総合時間
脚注
関連項目
外部リンク