ダリオ・ヒュブナー
ダリオ・ヒュブナー(Dario Hübner、1967年4月28日 - )は、イタリア・ムッジャ出身のサッカー選手。ポジションはフォワード。 1991-1992シーズンにセリエC1、1995-1996シーズンにセリエB、2001-02シーズンにセリエA各得点王、セリエA、セリエB、セリエCの全てのカテゴリーで得点王を獲得した選手は、他にプロッティのみである[2]。また、セリエAの得点王に輝きながら、1度もイタリア代表でプレーしていない4選手の一人である(他にプロッティ、ビルディス、ヴォルクが居る。)[3]。 経歴祖父はフランクフルトからイタリアに来たドイツ人[1]。14歳の時、働くために学校を退学し、パン屋で働き始めた[1]。16歳の頃はシャッターやアルミニウム加工品などを作る工場で働きながら、地元のマッギアネーゼでプレーしていたが、サッカーは単なる趣味であった[1]。 1987年、20歳の頃、地域リーグのピエヴィジーナへと移籍。ペルゴクレーマを経て、1989年にファーノへ移籍。1991-92シーズンにはセリエCで14得点を挙げ、リーグ得点王を獲得した[1]。1992-93シーズン、ACチェゼーナへ移籍、ここでの5シーズンで、180試合に出場し、83得点を挙げ、クラブの最多得点者となった[1]。この間の1995-96シーズンには22得点を挙げ、セリエBの得点王に輝いた[1]。 1997-98シーズン、30歳の時にセリエA(当時)のブレシアからオファーを受けて移籍した[1]。対インテル戦でセリエAデビュー、アンドレア・ピルロのパスからセリエA初得点を決めた[1]。9月13日のサンプドリア戦ではハットトリックを達成した[1]。リーグ戦では16得点を決めたが、チームはセリエBへ降格が決まった[1]。それでもチームに残留し、2シーズンをセリエBの舞台でプレーした。2000-01シーズンはにチームはセリエA再昇格を果たし、はロベルト・バッジョとのコンビでゴールを量産した[1]。このシーズンのコッパ・イタリアでは7得点を挙げ、チームは準決勝まで進出した[1]。この頃、殆ど選手を褒めることがないファビオ・カペッロも、「ここ10年のイタリアで、ベスト3から4に入るストライカーの1人だと」と称賛した[1]。 2001-02シーズン、プレミアリーグのリーズ・ユナイテッドから高額のオファーを受けたが、これを断り、セリエAに昇格したピアチェンツァへ加入した[1]。ここでも決定力を発揮し、35歳にして24得点を挙げ、ダビド・トレゼゲ(ユヴェントス)と並んで得点王を獲得、35歳での得点王は最年長記録となった[1]。2002-03シーズンはチームのセリエA残留は成し得なかったが、ヒュブナー自身は14得点をマークした。 2003-04シーズンよりセリエA昇格を果たしたアンコーナに加入するも、9試合で無得点と活躍は出来ず、シーズン途中で不振に苦しむペルージャへ移籍[1]。ペルージャがセリエB降格後、マントヴァに移籍した[1]。 2006年からは、エッチェンレンツアリーグ(4部相当)に在籍するオルサコルテフランカでプレーし、2009年にカステル・メッラに移籍した。 備考
所属クラブ
個人成績
脚注
|
Portal di Ensiklopedia Dunia