ダビド・ディ・ミケーレ
ダヴィド・ディ・ミケーレ(David Di Michele, 1976年1月6日 - )は、イタリア・ラツィオ州ローマ県グイドーニア・モンテチェーリオ出身の元同国代表サッカー選手、現サッカー指導者。現役時代のポジションはフォワード。 経歴クラブ1993年、地元のクラブで当時セリエC1所属のASロディジャーニでプロデビュー。セリエBのクラブを転々とした後、活躍が認められて2001年にウディネーゼ・カルチョへ移籍するが、大きな活躍はできなかった。2006-07シーズンにはUSチッタ・ディ・パレルモへ移籍。 熱狂的なASローマのティフォージで2006-07シーズン終了後には「早くローマに行きたい」とコメントするも、トリノFCへの移籍が決まった。2007年3月にウディネーゼ時代の賭博疑惑により、3ヶ月の出場停止処分を受けた上、監督と対立するなど活躍できなかった。2008-09シーズンはイングランドのウェストハム・ユナイテッドFCにレンタル移籍し、ジャンフランコ・ゾラ監督の下でまずまずの活躍を見せた。 2009-10シーズンのトリノに復帰後、ステファノ・コラントゥオーノ監督よりキャプテンに任命された。しかし、クラブは不振で後述の暴行事件の被害もあり退団を希望し、USレッチェへレンタル。シーズン終了後、完全移籍。 2012年7月、ACキエーヴォ・ヴェローナへ移籍[1]したが、2013年1月に契約を解消[2]。直後にセリエBのレッジーナ・カルチョと契約した[3]。 2015年8月7日、レガ・プロのルーパ・ローマFCに加入することが決定した[4]。同年11月1日に20年以上の現役生活に終止符を打ち、同クラブのスタッフに転身することが発表された[5]。 代表長年、代表候補止まりであったが2005年に代表デビューすると、ドイツW杯直後から代表に名を連ねていた。 指導者時代2016年1月よりルーパ・ローマFCのテクニカルコーチに就任。4月からは同クラブの監督を務めたが半年でその座を退いた[6]。翌11月17日、再び指揮官として招聘された[7]。 エピソード
所属クラブ
指導歴
代表歴
タイトルクラブ
個人
脚注
外部リンク
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