タハーン・プラーンタハーン・プラーン (タイ語:ทหารพราน、英語:Thahan Phran、Rangers)は、国境警備を任務とするタイ王国陸軍所属の軽歩兵準軍事組織。英語翻訳からレンジャー部隊とも呼ばれている。タイでは黒服部隊(นักรบเสื้อดำ)という通称がある。 概要タハーン・プラーンは、元々1978年7月18日、当時タイ東北部山岳地帯の拠点で活動していたタイ共産党ゲリラ掃討のために創設された志願兵による準軍事部隊である[1]。隊員のなかには、元タイ・スカウト部隊、恩赦を受けた元受刑者、戦果を挙げ土地を得るために参加した者などもいる。兵士とは異なり、黒い服を着ている。タイ共産党掃討の必要性が減少してくると、国境警備、麻薬根絶作戦、難民収容所警備などの安価な多目的部隊として改編された。国境警備警察、タイ王国陸軍の支援を行うことも任務とするが、公組織にできない危険任務を行うことが多い。現在なお、ミャンマー国境、カンボジア国境での紛争で多くの死傷者を出している。隊旗には三本の雷電に剣と星、『国家、宗教、国王、国民』の文字が書かれている[2]。 歴史
入隊条件入隊のためには条件を満たしている必要がある。
以上の条件を満たさない志願者は、土地鑑など特別な能力を認められることで入隊を許可される。 戦力タハーン・プラーンは、さまざまな階級の正規軍士官もしくは下士官によって統率されている。隊のおよそ3分の1が、軍レベルの訓練受けている。2001年にタイ西部、東部国境の脅威の質の変化に伴い、タイ王国軍同様に予算縮小されたため、大規模な改組と縮小が行われた。1990年代初期には20,000人をかかえていたが、2002年現在、総戦力は10,600人と言われている[2]。装備は軽装であり、訓練をあまり受けていない。しかし、運用費用が安価な兵力であるため、予算が縮小されてきた軍にとって、常時戦力が必要になる国境地域の監視業務の肩代わりをさせるのに役立っている。また、規律がゆるいため、問題行動を起こすことも多く、軍本部から解隊を命じられた部隊もある。南部タイでは犯罪、人権侵害などで問題にされた。一方、政治的に軍部に動員されることもあり、1984年には思想家スラック・シワラックの軍、国王批判に対して、1987年にはククリット・プラーモートの当時陸軍司令官であったチャワリット・ヨンチャイユット大将に向けられた批判に対して撤回を強訴[3]。タハーン・プーラン海兵部隊もあり、海上警備も行っている。 組織本部はかつてナコーンラーチャシーマー県 パックトンチャイ郡にあったが閉鎖され、陸軍の四つの地方本部に移設された。 タハーン・プラーンは13個連隊本部、107個中隊(90人構成)、12個の女性分隊(11人構成)で構成される。
活動武力紛争が散発する東、西部の国境地域において、タイ王国陸軍と国境警備警察と密接に関わりながら活動している。 ラオス、カンボジアに接する東部国境地域においては、国境の監視と防衛に関して初動の責任を負っている。ベトナム空爆、ベトナムのカンボジア侵攻時に多くの死傷者を出し、名を馳せた[4]。 ミャンマー国境のある西部では、ミャンマー軍やワ州連合軍、民主カレン仏教徒軍などによる越境攻撃によって多くの隊員が死傷している。 装備
脚注
参考文献
関連項目 |