ソフィヤ・ウラジミロヴナ
ソフィヤ・ウラジミロヴナ / ミンスクのソフィア(ベラルーシ語: Сафія Валадараўна / デンマーク語: Sofia af Minsk、1141年頃 - 1198年5月5日)は、12世紀後半のデンマーク王妃(デンマーク王ヴァルデマー1世の妻)である。母はポーランド大公ボレスワフ3世の娘のリクサ・ボレスワヴヴナである。父はおそらくミンスク公ヴォロダリとみなされている。 生涯ルーシの年代記にはソフィヤに関する記述はなく、ソフィヤの存在は西欧の史料上にのみ確認できる。すなわち、中世デンマークの歴史家サクソ・グラマティクスの著書[1]、『クヌートの子孫のサガ』(ru)[2][注 1]などにおいてである。同様にその出生地も不明である。しかし出自に関する論争において、ソフィヤは伝統的にミンスク公ヴォロダリの娘とみなされており、この説はJ. Gallénによってほぼ立証されている[3]。なお、帝政ロシア出身の系譜学者N.バウムガウルテン(ru)[4]、ソビエト連邦の歴史学者V.パシュト(ru)[5]らは、ソフィヤはノヴゴロド公ウラジーミル・フセヴォロドヴィチの娘ではないかという仮説を唱えていたが、その場合、ヴァルデマー1世はいとこの姪と結婚したことになり、このような姻戚関係の可能性の有無が問われることになる。いずれにせよソフィヤの父は、母のリクサにとっては2番目の夫ということになる。また、母は後にスウェーデン王スヴェルケル1世と結婚しており、ソフィヤはスウェーデンで育った。 1154年、スウェーデンとデンマークとの同盟のために、デンマークのヴァルデマー1世との婚約がなされた。ソフィヤはデンマークに所有地がなく、当時のデンマーク王クヌーズ5世(ソフィヤの異父兄)の所有地の1/8を譲られることが約束された。婚約の3年後の1157年10月23日に、ヴィボーでヴァルデマー1世と結婚した。結婚に関する記述は、12世紀の『スラヴ年代記』[注 2]に、「デンマーク王ヴァルデマールは、プリナランドの王ヴァラダと王妃リキツァの娘、スッフィヤを妻とした」と記されている[6][注 3]。デンマーク王妃として2男4女をもうけた。1182年にヴァルデマー1世と死別し、1184年にテューリンゲン方伯ルートヴィヒ3世(ru)と再婚した。しかし1190年に離婚し、デンマークへ送り返された。1198年に死亡し、リングステズ(Ringsted)(ru)[注 4]の王家の墓地の教会[注 5]において、最初の夫であるヴァルデマー1世の隣に埋葬された。ソフィヤは美しく、支配的で残酷、という記述が残されている。また後世(1580年と1757年)に肖像画が描かれている。 子女
脚注注釈
出典
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