クヌーズ5世 (デンマーク王)
クヌーズ5世(Knud V, 1129年 - 1157年8月9日)は、デンマーク王(在位:1146年 - 1157年)。父はデンマーク王ニルスの息子であるスウェーデン王マグヌス1世、母はポーランド王ボレスワフ3世の娘リクサ。世数はクヌーズ3世ともされる。 生涯又従兄に当たるデンマーク王エーリク3世が退位するとユトランド半島の貴族に擁立されるが、エーリク3世の従弟のスヴェン3世もシェラン島で即位[2]、内戦が勃発した。翌1147年にシェラン島を攻撃したが失敗して一旦和睦、ヴェンド十字軍に参戦したが、解散すると再度対立[3]、1150年に敗北してドイツへ亡命した。1152年にドイツ王フリードリヒ1世に忠誠を誓い、スヴェン3世の共同統治者とされた。しかしスヴェン3世はこれに従わなかった[3]。 1154年、シュレースヴィヒ公ヴァルデマー(エーリク3世の従弟、後のヴァルデマー1世)と同盟を結び、スヴェン3世を追放した。1157年に和睦が成立、クヌーズ5世はシェラン島とフュン島を治めることに決まったが[3]、8月9日にロスキレで開かれた祝宴でスヴェン3世の刺客に暗殺された[3]。この事件は「ロスキレの血祭り」と呼ばれている。ヴァルデマー1世はユトランド半島へ逃げ延び、グラーテ・ヘーゼの戦いでスヴェン3世を討ち取ってデンマークの内乱を終結させた。異父妹ソフィアは同年にヴァルデマー1世と結婚した。 子女1156年にスウェーデン王スヴェルケル1世の娘ヘレナと結婚したが、子供はいない[3]。ただし、3人あるいは4人の庶子がいる[3][4]。
脚注
参考文献
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