セントルーシー郡 (フロリダ州)
セントルーシー郡(英: St. Lucie County)は、アメリカ合衆国フロリダ州のフロリダ半島南部大西洋岸に位置する郡である。人口は32万9226人(2020年)[1]。郡庁所在地はフォートピアースであり、同郡で人口最大の都市はポートセントルーシーである。 セントルーシー郡はポートセントルーシー大都市圏に属している。 歴史セントルーシー郡となった地域には狩猟採集型のアイス(インディアン)部族が住んでおり、その領土はセントジョンズ川の南からセントルーシー入り江にまで及んでいた。スペインが母国に富を運ぶときに強力なメキシコ湾流を生かすために大西洋岸に並行して航行したので、スペイン人探検家達がしばしば気性の荒い部族に遭遇していた。この地域はスペイン人によって、「リオ・デ・アイス」(後に英語化されてインディアンリバー)や「サンタルチア」など様々な名称で呼ばれていた。「サンタルチア」という名前は、さらに南に16世紀後半にスペインが造った短命の砦に付けられた名前だった。1715年、スペインの宝船船隊がこの地域の海で沈んだという伝説があり、この地域を「トレジャー海岸」と呼ぶことになった。 19世紀初期、スペイン政府はこの地域に幾つかの土地特許を発行しており、その1つが開拓者ジェイムズ・ハッチンソンに与えられた。この特許は広さ2,000エーカー (8.1 km2) に及ぶものであり、今日海岸のバリア島がハッチンソン島と呼ばれている。1800年代半ば、セミノール族インディアンと逃亡奴隷が、事実上無人の地域に逃げ場所を求めた。1837年には第二次セミノール戦争が起こった。同年12月、ベンジャミン・K・ピアース中佐の指揮する兵士集団がインディアン川を下って砦を設立し、ピアース砦と名付けた。現在セントルーシー郡の郡庁所在地はフォートピアースと呼ばれている。1841年、アメリカ合衆国政府が武装占領法の下に、この地域に進んで入植しようというアメリカ人開拓者に土地特許の発行を始めた。これら土地特許の幾つかは現在のセントルーシー郡域に入っていた。1851年の第三次セミノール戦争によって、今日のセントルーシービレッジとなっている地域に、カプロン砦という地域では2番目のアメリカ軍砦が造られることになった。 この時点から開拓者たちが健康と経済的な理由から南に下って来るようになり、次第に人口が増加していった。1890年代にはフロリダ東海岸鉄道が延伸されてきた。19世紀末の主要産業は、パイナップル栽培、漁業、海産物加工および牛の牧畜だった。柑橘類が主要産品になったのは1900年代初期になってからだった。フォートピアースは1901年に法人化された。 1905年までこの地域はブレバード郡に属していた。ただし、1844年から1855年までセントルーシー郡と呼ばれていたことがあった。1905年夏、ブレバード郡南部からセントルーシー郡が設立され、郡庁所在地をフォートピアースとした。当時郡内の開拓地としては、ジェンセン、イーデン、アンクノナ、ウォルトン、エルドレッド、ホワイトシティ、バイキング、セントルーシー、オスロ、ベロ、クエイ、セバスチャンなどがあった。1925年、郡領域の北部からインディアンリバー郡が設立され、南東部からはマーティン郡が作られた。マーティン郡はパームビーチ郡の北部も合わせた。セントルーシー郡の西部は1917年にオキーチョビー郡設立のために分割されていた。 1920年代にはインドリオやサンルーシーなどで土地投機が進み開発が計画されたが、1929年に世界恐慌が始まって挫折した。第二次世界大戦のとき、アメリカ海軍水陸両用訓練基地が、フォートピアースの南北のハッチンソン島に設立された。その運営中には14万人以上の兵士がこの基地で訓練を受けた。戦後、この地域に急激な人口増加がおこったが、その中にはこの基地で訓練を受けた兵士とその家族が混じっていた。 1958年、マックル・ブラザーズの子会社であるジェネラル・デベロプメント・コーポレーションが、新しい町を造るために郡南部、セントルーシー川沿いの土地数万エーカーを購入した。華美で人目を引く広告によって国内北東部から数多い退職者や家族を惹きつけ、後のポートセントルーシーの町の基盤ができた。20世紀後半の建設ブームにより、セントルーシーウェストや新しい計画都市のトラディションなどポートセントルーシー市の西や南の地域に町ができた。21世紀初期、2004年には大型ハリケーンに襲われ、2008年には住宅バブルが弾けて経済不況となるなど、試練の時代になった。2005年、セントルーシー郡は創設100周年を祝った。 2024年10月9日、ハリケーン・ミルトンの接近に伴い竜巻が多数発生。90分間に12回前後の竜巻が確認され郡内で6人が死亡した[2]。また、移動式住宅125軒が破損して死傷者が出た[3]。 地理アメリカ合衆国国勢調査局に拠れば、郡域全面積は688.08平方マイル (1,782.1 km2)であり、このうち陸地572.45平方マイル (1,482.6 km2)、水域は115.63平方マイル (299.5 km2)で水域率は16.80%である[4]。水域の大半は大西洋である。 交通郡内にはセントルーシー交通計画機構がある[5]。この組織は連邦政府が委任して資金手当てした交通政策立案組織である大都市圏計画機構の1つであり、セントルーシー郡の交通計画、実行計画作り、州と連邦政府の交通基金の資金手当てを任務にしている。選出された役人、セントルーシー郡教育委員会の代表、カウンシル・オン・エイジング・オブセントルーシーの一部門であるコミュニティ・トランシットの代表で構成されるセントルーシー交通計画機構理事会が管理している[6]。1990年代にディマンド対応バスのサービスが開始されたが、郡内のみでのサービスだった。間もなく定期便運航に拡張された。2002年6月3日、フロリダ州交通省がマーティン郡への拡大資金を認め、トレジャー海岸コネクターとなった[7]。 主要高規格道路
隣接する郡
人口動態
以下は2000年国勢調査による人口統計データである。
都市と町法人化自治体
未編入地域
政治セントルーシー郡選挙管理官のウェブサイトに拠れば、2012年10月1日時点の登録有権者数は173,304人であり、内訳は民主党74,281人、共和党55,755人、無党派36,517人、その他6,751人となっている[10]。
教育郡内の公共教育はセントルーシー郡公共教育学区が管轄している。 高等教育機関としては次のものがある。
見どころ
脚注
外部リンク政府関連
特殊地区
司法関連 |
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