スペース・ミラー・メモリアルスペース・ミラー・メモリアル(Space Mirror Memorial)は、アメリカ合衆国フロリダ州ブレバード郡メリット島のケネディ宇宙センター内のビジターコンプレックスにある国営の記念碑であり、アメリカ合衆国内(特にNASA)の宇宙開発に関連して命を落とした人物を追悼するための施設として1991年5月9日に献納された。アメリカ合衆国議会により「職務中に死亡した宇宙飛行士を追悼する国立施設」(1991年共同決議214号)と指定されているアストロノーツ・メモリアル(Astronauts Memorial)の一部を構成する。宇宙飛行士記念財団(AMF)によって管理されており、その事務所はビジターコンプレックスに隣接するNASA宇宙教育センター内に置かれている。 20人のNASAの正規の宇宙飛行士のほか、アメリカ空軍のX-15のテストパイロット、当時機密扱いだった軍事宇宙計画の訓練中に死亡したアメリカ空軍将校、チャレンジャー号爆発事故で死亡した民間人の宇宙飛行関係者、コロンビア号空中分解事故で死亡したイスラエル人宇宙飛行士の名前も記念碑に刻まれている。 2019年7月、AMFは、民間の宇宙飛行で死亡した人物についてもこの記念碑に名前を加えることを全会一致で決議した[1]。これにより、2014年10月31日のVSSエンタープライズ墜落事故で死亡したスケールド・コンポジッツ社のパイロット1名の名前が2020年1月25日に記念碑に刻まれた。 記念碑の構造この記念碑は、高さ約13メートル、幅約15.2メートルの鏡のように磨き上げた黒御影石で、表側は90枚のパネルに分けられている。それぞれのパネルに、宇宙開発に関連して死亡した人物の名前が刻まれている。同じ事故で亡くなった複数の人物については、同じパネル内、または隣接するパネルにまとめられている。名前はくり抜いて半透明のアクリルで埋められ、背後のLEDライトにより光って見えるようになっている。 この記念碑の近くに花崗岩製の壁があり、1991年の建立時点で名前が掲載された人物の肖像と経歴が刻まれている。スペース・ミラー・メモリアルのデザインは、国際コンペで優勝したホルト・ヒンショー・プファウ・ジョーンズのウェス・ジョーンズによるものである。 太陽追尾システムこの記念碑は元々、モーターと歯車により常に太陽の方向を追尾し、碑の背後の鏡によって、刻まれた名前が太陽光で光って見えるようになっていた。 1997年に追尾システムが故障した。保険で支払われた37万5千ドルにより修理が行われたが、その後、旋回リングに問題が発生したため、追尾システムは再び停止された[2]。追加の修理費用は70万ドルと見積もられたが、AMFはそのお金を教育プログラムに使うべきと全会一致で決議し、追尾システムは修理されないことになった[2]。 建設費の調達記念碑の建設費は約620万ドルだった[2]。 建設資金の一部は「スペースショット」というトレーディングカードの売上げにより調達されることとなっていた。AMFとスペースショットの販売会社との間で、AMFが16万ドルを融資し、利益の25%をAMFに支払う契約が結ばれた[3]。このプロジェクトによりAMFに40万ドルの支払いが見込まれたが、実際には支払われなかった[4]。 フロリダ州が発行する特別デザインのナンバープレートからも一部資金が調達されている。1987年に初めて発行されたものは、スペースシャトル・チャレンジャーがデザインされ、「チャレンジャー・プレート」と呼ばれた。2004年から発行されている第3弾にはスペースシャトル・コロンビアがデザインされている[5]。このプロジェクトにより、2009年には37万7千ドルが調達された[6]。 アメリカ合衆国造幣局が2019年に発行したアポロ11号50周年記念硬貨の収益の4分の1がAMFに寄付された[7]。 名前が刻まれている人物この記念碑に名前が刻まれるのは、アメリカ合衆国が支援する有人宇宙飛行のミッション中または訓練中に死亡した者である[8]。 この記念碑に名前が刻まれている人物は、以下の通りである。
宇宙飛行士記念財団宇宙飛行士記念財団(Astronauts Memorial Foundation, AMF)は、1986年1月28日のチャレンジャー号爆発事故のすぐ後の1986年の夏に設立された。発起人は、建築家のアラン・ヘルマン、下院議員で宇宙飛行士のビル・ネルソン、マーティン・マリエッタ(現ロッキード・マーティン)のビジネス・ディレクターのリーランド・マッキー、AT&Tの役員のランディ・ベリッジ、フロリダ州知事ボブ・グラハム、フロリダ州教育委員ラルフ・ターリントン、上院議員で宇宙飛行士のジェイク・ガーンや、その他のフロリダ州や連邦の指導者たちである。1986年9月4日、フロリダ州のグラハム知事と州内閣は、AMF設立を全面的に支持する決議を行った。フロリダ州では、67の郡でチャリティーのマラソン・ウォーキング大会が行われたり、特別デザインのナンバープレートの発行が行われたりした。AMFの特別デザインのナンバープレートは、アーティストのロバート・マッコールによってデザインされ、1986年12月に初めて発行され、収益の数百万ドルはフロリダ州内の教育の目的のために使われた。 AMFの初代会長にはスティーブン・フェルドマンが就任した。フェルドマンの年俸は30万3千ドルで、これはブレバード郡内の非営利団体の中で最高額であったため批判を受けた。フェルドマンの給与は、AMFの2009年の予算の18.3パーセントを占めていた。フェルドマンは、自分がこの財団で唯一の資金調達者であり、財団の最高財務責任者であるとして、自身の年俸の正当性を主張した[6]。2012年8月、ザット・アルトマンがAMFの2代目会長に就任した[10]。 ギャラリー
脚注
関連項目
外部リンク
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