ストラスブール (戦艦)

艦歴
発注:
起工: 1934年11月25日
進水: 1936年12月12日
就役: 1938年12月
退役:
その後: 1955年にスクラップとして売却
除籍:
性能諸元
排水量: 26,500トン(基準時)、
31,687トン(常備時)、
34,884トン(満載時)
全長: 215.14 m、
209 m(水線長)
全幅: 31.1 m
吃水: 8.7(基準)、10.15 m(満載時)
機関: インドル式重油専焼水管缶6基+パーソンズ式ギヤード・タービン4基4軸推進
最大出力: 135,585hp
最大速力: 31ノット
兵員: 1,381名
兵装: 33cm(52口径)4連装砲2基、
13cm(52口径)4連装両用砲3基、
同連装両用砲2基、
オチキス37mm(60口径)連装機関砲10基、
13.2 mm(76口径)連装機銃16基
装甲: 舷側: 283 mm〜125 mm
甲板: 115 mm + 40 mm
主砲塔: 360 mm(前盾)、250 mm(側盾)、355 m(後盾)、160 mm(天蓋)
四連装副砲塔: 135 mm(前盾)、80 mm(側盾)
連装副砲塔: 20 mm(前盾)、20 mm(側盾)、20 mm(後盾)、20 mm(天蓋)
バーベット部: 310 mm
艦載機: ロアール・ニューポール水上機4機、カタパルト1基

ストラスブール (Strasbourg) は、フランス海軍戦艦[1]フランス公式の分類は戦列艦 (Navire de ligne[2]bâtiment de ligne) [注釈 1][注釈 2]ダンケルク級戦艦の2番艦[4][5]。 艦名はストラスブールに因む[注釈 3]日本語ではストラスブルグと表記する事例もある[注釈 4]巡洋戦艦と見なされることもある[10][注釈 5]。 姉妹艦はダンケルク (Dunkerque) [注釈 6][注釈 7]

設計

ドイツヴァイマル共和政ヒンデンブルク大統領)においてヴァイマル共和国軍ヴァイマル共和国海軍)がヴェルサイユ条約の枠内で建造したドイッチュラント級装甲艦(通称「ポケット戦艦」)は[14]、10,000トン級の軍艦でありながら[注釈 8]28センチ(約11インチ)三連装砲塔2基を搭載し[16]、最大速力28ノット程度を発揮して列強各国に衝撃を与えた[17]。対抗策を兼ねて、フランス海軍はダンケルク級戦艦を建造した[18][19][20][注釈 9]

ダンケルク級戦艦の設計は非常に革新的であった[注釈 10]13インチ(約33センチ)四連装砲塔2基(計8門)を前方に間隔をあけて配置[24]、加えて副砲を対艦・対空の両用に使える両用砲を装備した[注釈 11]集中防御方式を採用した上で列強新世代戦艦に匹敵する装甲厚を有し、30ノット以上を発揮可能な高速戦艦英語版として竣工した[25]

なお本艦は姉妹艦ダンケルク (Dunkerque) より約2年近く遅れて起工した[18]。姉妹艦との区別点は、二段となった操舵艦橋と、大型になった煙突のファンネルキャップ(煙突の上の黒い部分)等である。外見で区別は付かないが、防御力を対15インチ砲防御に強化しているのが特徴である[注釈 12]

艦歴

前方から見たストラスブール

フランス海軍はワシントン海軍軍縮条約規定により、クールベ級戦艦ジャン・バール (Jean Bart) 代艦を建造することにした[2]。それが本艦である[2]。ストラスブールは1934年(昭和9年)11月25日にサン=ナゼールロワール造船所フランス語版で起工、1936年(昭和11年)12月12日に進水し[注釈 13]、1938年(昭和13年)12月に就役した。第二次世界大戦勃発直前、ダンケルク(ジャンスール提督旗艦)とストラスブールを中核とする大西洋艦隊はイギリス各地を訪問し、イギリス海軍と交流を深めた[注釈 1]

1939年(昭和14年)9月初頭より第二次世界大戦が始まると、ドイツ海軍_ポケット戦艦2隻や仮装巡洋艦などの通商破壊艦を大西洋に展開させた[29][30]。10月になると南大西洋でポケット戦艦アドミラル・グラーフ・シュペー (Die Admiral Graf Spee) が本格的に活動を開始した[31]イギリス海軍本部複数の掃討部隊英語版を編成、それにフランス海軍も協力する[32]。ストラスブールは重巡洋艦アルジェリー (Algérie) やデュプレクス (Dupleix) 、イギリスの空母ハーミーズ (HMS Hermes) などと共に任務部隊を編成し、ダカールを拠点としてドイツの通商破壊艦捜索に従事した[注釈 14]。10月25日、X部隊はドイツ船 Santa Fe を拿捕している。ストラスブールは11月21日にダカールを離れ、フランスに戻った。X部隊とY部隊はブラジル北東部ペルナンブコ西アフリカフリータウン間の大西洋を警戒した[35][注釈 15]

1940年(昭和15年)4月はじめ、ストラスブールは姉妹艦ダンケルクなどと共に北アフリカのメルセルケビールへ移った。ノルウェーの戦いに参加するため同月中にいったん北アフリカから離れたが、4月末までにはメルセルケビールに戻った[注釈 16]

6月10日ムッソリーニ首相が指導するイタリア王国枢軸側にたって連合国に宣戦を布告し、地中海戦域は緊迫化した[37]6月22日独仏休戦協定が、24日にフランスとイタリア間でヴィラ・インチーサ休戦協定イタリア語版フランス語版が結ばれて、フランスは事実上降伏した[38]。さらにヴィシー政権が成立すると[39]イギリスは「これらのフランス艦艇がナチス・ドイツに接収されるのではないか」と懸念した[10]

7月3日、イギリス軍はフランス艦隊を完全に無力化英語版するためカタパルト作戦フランス語版 (Operation Catapult) を発動し、ジブラルタルを拠点に行動するH部隊 (Force H) がメルセルケビール沖合に集結した[40][注釈 17]

メルセルケビールには、新型戦艦2隻(ダンケルク、ストラスブール)、プロヴァンス級戦艦2隻[42]、水上機母艦コマンダン・テスト (Commandant Teste) などが停泊していた[43]。H部隊はフランス艦隊に降伏もしくは自沈を促すと共に、空母アーク・ロイヤル (HMS Ark Royal, 91) のソードフィッシュ (Fairey Swordfish) が機雷を投下、夕刻になって港外から艦砲射撃を開始する[44][注釈 18]フッド等の砲撃によりダンケルクは中破し[41]、浅瀬に座礁した[45][注釈 19]。戦艦プロヴァンス (Provence) も被弾して着底し、戦艦ブルターニュ (Bretagne) は沈没した[46]。 ストラスブールと護衛の駆逐艦部隊はメルセルケビール港から脱出し[注釈 20]、イギリス海軍の追撃を振り切って、トゥーロンに辿り着いた[注釈 21][注釈 22]

修理後はヴィシー政権およびイタリア英語版ドイツの休戦協定委員会英語版で管理されたヴィシー・フランス海軍公海艦隊英語版フランス語版 (Forces de haute mer) 旗艦となる。1941年に新開発されたサディ式対空レーダーを艦橋上の四本のヤードに装備した。なお、このレーダーは北アフリカのリシュリュー級戦艦リシュリュージャン・バール)にも装備された。

1942年(昭和17年)11月8日、連合国軍はトーチ作戦によりモロッコアルジェリアに上陸した[47]。この動きに対し、ドイツはアントン作戦を発動してフランス全土の占領を試みる。トゥーロンでもドイツ軍がフランス艦隊接収を試みたため、ラボルド提督英語版フランス語版は事前の計画どおり、艦隊の処分を下令した。11月27日フランス艦隊は自沈する[25]。ダンケルク級2隻(ダンケルク、ストラスブール)や水上機母艦コマンダン・テスト (Commandant Teste) なども、この日に自沈した。

1943年(昭和18年)7月17日にイタリアがストラスブールを浮揚したが、損傷がひどかったためそれ以上の作業は行われたかった。イタリア降伏後はドイツの手に渡ったが、1944年(昭和19年)8月18日にアメリカ軍の爆撃機によって撃沈された。

トゥーロンの解放後、10月1日に再び浮揚され、海中爆破実験のテストベッドとして使用される。1955年(昭和30年)3月22日に Q45 と改名され、同年5月27日にスクラップとして売却された。

出典

注釈

  1. ^ a b 佛國[3](中略)戰艦 建造中の三五,〇〇〇噸級戰艦二隻。即ちリシュリューは一月ブレスト乾船渠より、ジャンバールは十一月サン=ナゼールに於て昨年進水した。前者の船臺には代つてクレマンソーの龍骨が据えられた。佛國海軍年鑑「Les Flottes de Combat」に依れば、上記戰艦は主要性能に於てダンケルクの設計を踏襲したものであるが、但し煙突は極めて風變りなもの一箇で、煙路は全く新しい形式で後方に曲り、之に接著せる大檣は幾分獨逸風に倣つてゐる。
     軍艦ストラスブールに關して昨年述べた要目は幾分正確を缺いた點がある。同艦の兵装は三三糎(一三吋)砲八門と一三糎砲十六門の外四七粍砲四門、三七粍高角砲八門、對空機關砲三十二門である。乗組定員は士官六六、兵一,三六五名である。同艦と其の姉妹艦ダンケルクの艦種は公式にはリシュリュー級と同様Bátimenr de ligne(cuirassés)(註Ship of the line)に編入されてゐることを注意すべきである。
  2. ^ 世界各国の戦列艦一覧フランスの戦列艦一覧も参照のこと。
  3. ^ 先代は軽巡洋艦ストラスブール_ (Strasbourg) である[6]ドイツ帝国海軍 (Kaiserliche Marine) が建造したグラウデンツ級軽巡洋艦レーゲンスブルク (SMS Regensburg) で、第一次世界大戦賠償艦として1920年(大正9年)にフランスが取得、ストラスブールと改名した[7]。1936年(昭和11年)新世代戦艦に艦名を譲り、ハルクとして利用された[8]
  4. ^ 四、佛蘭西(中略)[9] (ロ)戰艦 建造中又は設計濟の戰艦は四隻を下らず、即ち二六,五〇〇噸のダンケルク(Dunkerque)は進水し、其の姉妹艦ストラスブルグ(Strasbourg)及び三五,〇〇〇噸フランス(France)は建造中である。而して三五,〇〇〇噸のパトリー(Patrie)も亦ストラスブルグが進水すれば、直ちに其の造船臺に於て起工される筈である。
     ダンケルクは一九三五年十月一日、ブレスト軍港の乾船渠に於て進水した。該船渠の長さは艦の全長六九一呎を容れるに不充分なりしため、同艦をエノン造船所に曳航した後、艦首を増設した。ストラスブルグはダンケルクよりも二年後に起工されたのであるが、一九三八年以前に竣工が豫期せられ、兩艦の竣工期は著しく早められたと言はれてゐる。(以下略)
  5. ^ 佛國海軍の英國諸港訪問[11] 昨年度中には佛國軍艦の英國來訪が數度行はれた。(中略)五月及び六月に佛國の大西洋艦隊の多數が英國港灣を訪問した。即ち巡戰のダンケルク(ゲンソール中将の旗艦)及ストラスブルグはリヴァプールオーバンスカッパフロー、及フォース・オブ・フォースを歴訪した。(中略)六月には佛國の巡戰及び巡洋艦がフォース・オブ・フォースに來箸したとき、サア・チャーレス・フォーブス大将麾下の内國艦隊に依つて歓迎を受けた。彼等は五日間滞泊し、其の間、訪問者に對する饗應の設備萬端十分に行届き又民間、海軍兩者とも力を併せて或はスポーツの競技を行ひ、或る軍事上の相談をも行つた。(以下略)
  6. ^ 戰艦 “ダンケルク Dunkerque[12] 全要目{排水量26,500噸 速力29.5節 備砲33糎砲8門、13糎砲16門 起工1932年12月 竣工1936年12月 建造所 ブレスト海軍工廠 } 華府條約締結後始めて生れた新造戰艦として列強注視のものである。この外に35,000噸の最大級戰艦“ジャンバール Jean Bart” “リシユリ Richelieu”(38糎砲8門)の二艦が建造中であることを忘れてはならないが、戰艦ダンケルクの誕生はたしかに歐洲のみならず世界の海軍史に一つの大きな里標を築くものである。むしろ古典的ともいふべき舊戰艦數隻ありとはいへ、佛國は未だ戰艦を持たなかつたといつてよい。世界最初の四聯装砲にしてしかも主砲であり尚且つ思ひ切つた艦首集中の方式である。ネルソンに似てネルソンに非ずミシシピに似てミシシピではない。副砲は四聯砲、要目は嚴重に秘密となつてゐるが、信ずるに足る報導によれば全長213.6米、幅31.0米、平均吃水8.5米、カタパルトは艦尾に二臺あるといふ。同型艦一隻“ストラスブール Strasbourg
  7. ^ 第四節 佛蘭西(中略)[13] 二、主力艦 三萬五千噸型戰艦の第一次建造の二隻の艦名は、最初フランスパトリーであつたが、後にリーシュリュージャン・バールに變更された。リーシュリューは船體を三つに分けてブレストで建造中、又ジャン・バールは、ストラスブルグの進水した後、即ち本年一月一日に起工された。是等の軍艦は總て竣工迄に約四箇年を要するものと推定される。主力艦の第三艦は現在起工される模様はなく、寧ろ箸手中のものに全力を傾注してゐるやうに見える。
     戰艦ダンケルクの姉妹艦ストラスブルグは一九三六年十二月に進水した。同艦は進水後十五ヶ月で竣工する豫定であるが、佛國の評論家は、既に、此期間には出來ないであらうと論じ、注意を喚起してゐる。それは最近採用した四十時間勞働制の爲めに、恐らく總ての新艦工事に遅滞を生ずるものとの論據によるものであらう。(以下略)
  8. ^ ポケット戦艦の基準排水量の公称値は10,000トンだが、実際はヴェルサイユ条約の規定を20%超過して約12,000トンに達していた[15]
  9. ^ ダンケルク級戦艦の構想そのものは、1920年代中盤よりスタートしている[21]海軍休日時代 (Naval Holiday) のフランス海軍は、旧式戦艦(クールベ級[22]ブルターニュ級[23])しか保有していなかった[12]
  10. ^ (ロ)戰艦(中略)[9] 此等の戰艦は四聯装砲塔に一三吋砲八門を、ネルソンに於けるが如く装架し、五.一吋砲十六門は艦尾に四聯装砲塔三基、其の前方兩舷に二聯装砲二基に各装備され、全部航空機射撃に使用し得る。其他三.九吋高角砲十三門、複式中間砲數門及び三聯装發射管六門、射出機一基又は二基を有し、飛行機各四機を搭載するであらう。十一吋甲帶は最前部十三吋砲塔より後部五.一吋砲塔に至るまで施されるとのことである。脆弱部は厚さ約二吋の最下甲板なるべく、其の上は厚さ三吋及び五吋の諸甲板を成すであらう。三五,〇〇〇噸の戰艦に就ては、長さ約七九四呎、幅一〇八呎半、吃水二六呎七吋であらうといふ以外、細目に關しては尚ほ不明である。(以下略)
  11. ^ 本級の両用砲は成功したとは言い難く、発展型のリシュリュー級戦艦では副砲と対空砲が分離している[5]
  12. ^ 再軍備宣言後のドイツ海軍もダンケルク級戦艦に対抗するため[26]、ポケット戦艦の建造計画を見直してシャルンホルスト級戦艦を建造した[27][28]
  13. ^ 本艦進水と前後して、ロワール造船所では戦艦ジャン・バール (Bâtiment de ligne Jean Bart) の建造がはじまった[13]
  14. ^ フランス海軍艦艇が参加した掃討部隊は以下のとおり。10月上旬時点ではM部隊(重巡洋艦複数隻)とN部隊(ストラスブール、ハーミズ)[33]、11月にはデュプラ中将フランス語版が指揮するX部隊(ハーミーズ、デュプレクスフォッシュネプチューン)とY部隊(ストラスブール、アルジェリー)に再編された[34]
  15. ^ アドミラル・グラーフ・シュペーは12月13日のラプラタ沖海戦で損傷し、17日に自沈して[36]、南大西洋の追跡劇は幕を閉じた。
  16. ^ 地中海戦線英語版への備えとしてフランス海軍は地中海艦隊フランス語版を増強、ゴッドフロイ提督英語版フランス語版が指揮するX部隊英語版フランス語版を編成し、アレクサンドリアに配置した。
  17. ^ H部隊:巡洋戦艦フッド[41](H部隊司令官サマヴィル提督旗艦)、戦艦ヴァリアントレゾリューション、空母アーク・ロイヤル、軽巡アリシューザエンタープライズ、随伴駆逐艦多数など。
  18. ^ フランス艦隊に使者として派遣されたのは、フランス駐在武官の経験をもつアーク・ロイヤル艦長セドリック・ホランド英語版大佐であった。
  19. ^ 7月5日、H部隊はアーク・ロイヤルのソードフィッシュで再攻撃を敢行、ダンケルクは大破した(レバー作戦)。
  20. ^ 駆逐艦ル・テリブル (Le Terrible) 、駆逐艦ボルタ英語版フランス語版 (Volta) 、ブーゲンビル級通報艦リゴー・ド・ジュヌイー英語版 (Rigault de Genouilly) が付き添った。
  21. ^ 港外で待ち構えていたH部隊には、31ノットを発揮する巡洋戦艦フッドと、空母アーク・ロイヤルが含まれている[44]。特に旗艦フッドは俊足でありながら、脱出してゆくストラスブールを見逃した[45]
  22. ^ なおストラスブールを追跡していたH部隊に、フランス通報艦リゴー・ド・ジュヌイー英語版 が接近したため陣形が乱れ、H部隊の軽巡2隻(エンタープライズアリシューザ)などが応戦している。このフランス通報艦は、イギリス潜水艦パンドラ (HMS Pandora, N42) がアルジェ近海で撃沈した。

脚注

  1. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 178a-181戦艦ダンケルク級(フランス)/走攻守のバランスがとれた高速戦艦
  2. ^ a b c 公文備考 昭和12年 D 外事 巻1(防衛省防衛研究所)第54号 10.2.27仏国軍艦ストラスブ-ル建造に関し主要細目事項通知の件」 アジア歴史資料センター Ref.C05110622500 
  3. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, pp. 24–25原本33-34頁
  4. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, p. 68(ストラスブール右舷後方からの撮影写真解説)
  5. ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, pp. 22–23フランス ダンケルク級
  6. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 67a〔戦利・貸供与艦〕フランス/軽巡洋艦「ストラスブール」 STRASBOURG
  7. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 38ドイツ/小型巡洋艦「グラウデンツ」級 GRAUDENZ CLASS
  8. ^ 世界の艦船、近代巡洋艦史 2009, p. 67b.
  9. ^ a b ブラッセー海軍年鑑 1936, p. 38原本42頁
  10. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, pp. 248–255(2)メルス・エル・ケビル港の悲劇
  11. ^ ブラッセー海軍年鑑 1940, p. 13原本10頁
  12. ^ a b ポケット海軍年鑑 1937, p. 123(原本228-229頁)戰艦ダンケルク
  13. ^ a b ブラッセー海軍年鑑 1937, p. 32原本38-39頁
  14. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, pp. 33–41(2)ポケット戦艦
  15. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 152–155装甲艦ドイッチュラント級(ドイツ)
  16. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 215–217条約下であえいだドイツ戦艦
  17. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 30–35ドイツ ドイッチュラント級
  18. ^ a b ジョーダン、戦艦 1988, pp. 8–9戦艦の新造
  19. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, pp. 130–132装甲艦の戦術的価値
  20. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 67–69史上最大の戦艦建造ブーム
  21. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 178b.
  22. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 170–173戦艦クールベ級(フランス)
  23. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 174–177戦艦ブルターニュ級(フランス)
  24. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 141–144主砲は四連装砲塔を採用
  25. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 180.
  26. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 36–41ドイツ シャルンホルスト級
  27. ^ 福井、世界戦艦物語 2009, pp. 219–220.
  28. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, pp. 156–159巡洋戦艦シャルンホルスト級(ドイツ)
  29. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 154.
  30. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, pp. 132–135海上交通破壊戦と海上権力
  31. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, p. 65第6図 シュペーの航跡図
  32. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, p. 75a第5表 1939年10月5日現在の掃討部隊編成
  33. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, p. 75b.
  34. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, p. 79a第6表 1939年11月23日における掃討部隊配備
  35. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, p. 80第8図 1939年11月23日における英掃討部隊配備図
  36. ^ 酒井、ラプラタ沖海戦 1985, p. 1261939年12月17日、ラプラタ河口で劇的な自沈をとげるアドミラル・グラーフ・シュペー
  37. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 18–25(1)参戦前の状況
  38. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 60–64(1)フランスとの戦争
  39. ^ ヨーロッパ列強戦史 2004, p. 192.
  40. ^ 三野、地中海の戦い 1993, p. 249.
  41. ^ a b ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 140.
  42. ^ ミリタリー選書(6)世界の戦艦 2005, p. 176.
  43. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 65–67(2)フランスとイギリスの海戦
  44. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 250.
  45. ^ a b 三野、地中海の戦い 1993, p. 251.
  46. ^ ジョーダン、戦艦 1988, pp. 20–21フランス プロヴァンス級
  47. ^ 三野、地中海の戦い 1993, pp. 167–171生き返ったマルタ、そしてトーチ作戦

参考文献

  • 酒井三千生『ラプラタ沖海戦』株式会社出版協同社、1985年1月。ISBN 4-87970-040-1 
  • ジョン・ジョーダン『戦艦 AN ILLUSTRATED GUIDE TO BATTLESHIPS AND BATTLECRUISERS』石橋孝夫(訳)、株式会社ホビージャパン〈イラストレイテッド・ガイド6〉、1988年11月。ISBN 4-938461-35-8 
  • 「世界の艦船増刊第22集 近代戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第30集 イギリス戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第38集 フランス戦艦史」(海人社)
  • 「世界の艦船増刊第38集 第2次大戦時のイギリス戦艦」(海人社)
  • 「世界の艦船 列強最後の戦艦を比較する 2006年2月号」(海人社)
  • 編集人 木津徹、発行人 石渡長門「<第1部> 近代巡洋艦の成長」『世界の艦船 2010.No.718 近代巡洋艦史』株式会社海人社〈2010年1月号増刊(通算第718号)〉、2009年12月。 
  • 「世界の艦船増刊第22集 近代戦艦史 2008年10月号(海人社)
  • 福井静夫 著、阿部安雄、戸高一成 編『新装版 福井静夫著作集 ― 軍艦七十五年回想第六巻 世界戦艦物語』光人社、2009年3月。ISBN 978-4-7698-1426-9 
  • 三野正洋『地中海の戦い』朝日ソノラマ〈文庫版新戦史シリーズ〉、1993年6月。ISBN 4-257-17254-1 
  • ミリタリー・クラシックス編集部、執筆(松代守弘、瀬戸利春、福田誠、伊藤龍太郎)、図面作成(田村紀雄、こがしゅうと、多田圭一)「第四章 ドイツ、フランス、イタリアの戦艦」『第二次大戦 世界の戦艦』イカロス出版〈ミリタリー選書6〉、2005年9月。ISBN 4-87149-719-4 
  • John Jordan, Pobert Dumas, French Battleships 1922-1956, Seaforth Publishing, 2009, ISBN 978-1-84832-034-5

関連項目

外部リンク