ジョー・サウス
ジョー・サウス(Joe South、1940年2月28日-2012年9月5日)はアメリカ合衆国のシンガーソングライターでギタリストである。代表作に「孤独の影(Games People Play)」、リン・アンダーソンのカバー・バージョンがヒットした「ローズ・ガーデン」などがある。 経歴本名はジョセフ・アルフレッド・サウター (Joseph Alfred Souter)。キャリアとして最初のレコードは、1958年7月にNRCレコードから出したノベルティヒットの「The Purple People Eater Meets the Witch Doctor」である。このヒットを皮切りに、サウスの音楽は次第に真面目なものになって行った。 1959年に、サウスはジーン・ヴィンセントによって録音された二つの曲を書いた。アルバム『Sounds Like Gene Vincent』(キャピトル・レコード、1959年)に収録された「I Might Have Known」と、アルバム『The Crazy Beat of Gene Vincent』(キャピトル・レコード、1963年)に収録された「Gone Gone Gone」である。 サウスは以前に、アトランタの音楽出版者でラジオパーソナリティーのビル・ロウリー (Bill Lowery)[1]に出会い、音楽の道を励まされていた。サウスはアトランタのナショナル・レコーディング・コーポレーション (en:National Recording Corporation、NRC)でレコーディングのキャリアを始め、他のNRCアーチストのレイ・スティーヴンスやジェリー・リードらと共にギター演奏スタッフとして働いた。サウスの最初期のレコーディングは、NRCでCDへ再レコーディング化された。 サウスは優れたスタジオ・ミュージシャンでもあり、トミー・ロウの「シェイラ」、ボブ・ディランのアルバム『ブロンド・オン・ブロンド』、アレサ・フランクリンの「チェイン・オブ・フールズ」でギターを弾いている[2]。記録によっては、サイモン&ガーファンクルの最初のヒット曲「サウンド・オブ・サイレンス」に加えられたエレキギターのパートをサウスが演奏したとしているものもあるが、他の記録ではアル・ゴルゴーニとヴィニー・ベルをギタリストとしてクレジットしている。 ビリー・ジョー・ロイヤルは、「Down in the Boondocks」、「I Knew You When」、「Yo-Yo」(のちにジ・オズモンズのカバーでヒット)、「Hush」(のちにディープ・パープル、サムバディズ・イメージ・ウィズ・ラッセル・モリス、クーラ・シェイカーらのカバーでヒット)といったサウスの歌をレコーディングしている。 1960年代終盤の社会問題に呼応して、サウスの楽曲スタイルは根本的に変化を見せた。最も如実に表れているのが、1968年に出した辛辣でナンセンス味のない「孤独の影(Games People Play)」であり(エリック・バーンの同名タイトルの本[3]に触発されたとも言われる)、大西洋の両側でヒットした。みずみずしいストリングスの音色、オルガン、ブラスを伴奏として、この作品はグラミー賞の最優秀コンテンポラリー楽曲賞と最優秀楽曲賞とを受賞した。サウスは更に、「Birds of a Feather」(もともとは「Bubbled Under」の題で1968年2月10-17日付で106位、ザ・レイダースのカバーで1971年10月23-30日付でHot 100の23位まで上昇)や、自己省察的な2つの曲、すなわち、基本に返る「Don't It Make You Want to Go Home」(8か月後にブルック・ベントン・ウィズ・ザ・ディキシー・フライヤーズによってカバー)と、社会を挑発する「Walk a Mile in My Shoes」(ラスベガス時代のエルヴィス・プレスリー、ブライアン・フェリー、コールドカットらによりカバー)といったヒット曲を続けて出した。 ジョー・サウスの作品で最も商業的に成功したものは、1971年のカントリー/ポップ部門で大ヒットとなったリン・アンダーソンの「ローズ・ガーデン」である。この歌は世界の16の国でヒット曲となり、アンダーソンはヴォーカル部門でグラミー賞を受賞し、サウスは最優秀カントリーソング部門と最優秀歌曲賞部門のふたつでグラミー賞にノミネートされることとなった。サウスはアンダーソンに、「How Can I Unlove You」(ビルボードチャートのカントリー部門1位)や「Fool Me」(同3位)といったさらに多くのヒット曲を書いた。フレディ・ウェラー、ジニー・C.ライリー、ペニー・デハーヴェンといった歌手も、サウスの歌でビルボードカントリーチャートのヒット曲を放った。更に、サウスの最も有名な歌をカバーしたものが大半ではあるものの、サウスが書いた歌をレコーディングした歌手には、ジョニー・キャッシュ、グレン・キャンベル、ロレッタ・リン、キャロル・バーネット、アンディ・ウィリアムス、キティ・ウェルズ、ドッティ・ウェスト、ジム・ネイバース、リズ・アンダーソン、ジョージア・サテライツ、k.d.ラングらがいる。 私生活1971年に兄弟のトミーが自殺したことにより、サウスはうつ病になっている[4]。トミー・サウスはジョーのバックバンドのドラマーであり、ライブ演奏のときだけでなく、サウスがビリー・ジョー・ロイヤル、サンディ・ポージー、フレンド&ラヴァーといった他のアーチストをプロデュースする時のレコーディングにも参加していた。 栄誉サウスは1979年にナシュビル・ソングライターの殿堂 (en:Nashville Songwriters Hall of Fame)に迎え入れられ、1981年にはジョージア州音楽の殿堂 (en:Georgia Music Hall of Fame)の一員となった。[5] 1988年には、オランダのDJのヤン・ドンカース (nl)がVPROラジオ (nl:VPRO)の番組でサウスにインタビューした。このラジオ番組[6]ではサウスの新曲も4曲公開されたが、新しいレコードは発売にならなかった。 2003年9月13日に、サウスはジョージア州音楽の殿堂の歓迎式典でバディ・ブイ、J.R.コブ、チップス・モーマンらと共に演奏した。 サウスの最後のレコーディングとなった「Oprah Cried」は2009年に行われ、『So the Seeds are Growing』と『A Look Inside』が一枚になって再リリースされたCDのボーナストラックとして収録された。 死去サウスは2012年9月5日にジョージア州ビュフォードの自宅で心不全により死去した。72歳であった。[7] ディスコグラフィアルバム
シングル
脚注
外部リンク |
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