ジョージア (原子力潜水艦)
ジョージア(USS Georgia, SSBN/SSGN-729)は、アメリカ海軍のオハイオ級原子力潜水艦の4番艦。艦名はジョージア州に因んで命名された。その名を持つ艦としてはバージニア級戦艦3番艦(BB-15)以来2隻目。 艦歴ジョージアの建造は1976年2月20日にコネチカット州グロトンのジェネラル・ダイナミクス・エレクトリック・ボート社に発注され、1979年4月7日に起工した。1982年11月6日にシーラ・M・ワトキンズ夫人によって命名、進水し、1984年2月11日にブルー班のA・W・クェスター艦長およびゴールド班のM・P・グレイ艦長の指揮下就役した。 SSBN1984年3月から4月にかけてジョージアは整調を行い、1984年4月7日にトライデント C-4潜水艦発射弾道ミサイル3発をアメリカ東部宇宙ミサイルセンターにて発射した[1]。1984年11月に母港のワシントン州バンゴールに到着する。1985年1月にジョージアは最初の戦略抑止哨戒を開始する。1983年9月から1986年5月まで第14.7.1任務ユニットの一部として活動した功績によりジョージアは部隊勲功章を受章した。その後1986年2月から8月までの活動でも部隊勲功章を受章している。 1986年3月22日、ミッドウェー島の近くでジョージアはタグボートセコタ (USS Secota, YTM-417) と衝突する[2]。セコタはジョージアとちょうど乗員の交替を完了した後で、セコタは沈没し、10名の乗組員が救助されたが2名が溺れた。太平洋艦隊の広報担当官はジョージアに損害は無かったとしているが[3][4]、ハワイに帰投した際に軽微な損傷を緊急修理している[5]。 ジョージアのゴールド班は2001年に第17潜水艦戦隊戦闘効率賞を受賞した。 2003年10月30日にジョージアは65回目、最後の戦略抑止哨戒を完了した。 2003年11月7日、ジョージアはバンゴールでドック入りする。トライデント C-4 ミサイルの撤去時に事故が発生した。撤去作業は16番発射管までスムースに進み、発射管が開けられると梯子が下ろされ、クレーンによってミサイルの引き上げが行われた。作業員は発射管の中でクレーンのカギをミサイルに取り付け、その後梯子を取り外さずに休憩に入った。梯子が装着されたままミサイルが引き上げられたため、ミサイルのノーズコーンに梯子が当たり9インチ(229mm)の穴が空いた。放射性物質が漏出することはなかった。 ミサイル撤去班の下士官兵3名が軍法会議にかけられた。太平洋戦略兵器設備班(Strategic Weapons Facility Pacific, SWFPAC)は直ちに閉鎖され海軍の調査を受けたが、検査をパスできなかった。SWFPACの指揮官キース・ライルス大佐は12月19日に解任され、副官のフィリップ・ジャクソン中佐、兵器士官のマーシャル・ミレット中佐、スティーヴン・ペリー特務曹長が部隊の指揮を執った。SWFPACは2004年1月9日に新任指揮官の下再検査が行われ、その後再開した。ジョージアの乗組員は影響を受けなかった。 SSGNジョージアは2004年3月1日に SSGN (原子力巡航ミサイル潜水艦)に艦種変更された。10月に演習「サイレント・ハンマー」に参加した[6]。 2005年3月にジョージアはノーフォーク海軍造船所入りし、燃料交換が行われた。同時に SSGN への転換が行われ[7][8]、作業は2008年2月に完了した[9]。 オーバーホール後ジョージアはジョージア州キングズベイ海軍潜水艦基地へ母港を変更した[10]。 脚注注釈出典
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