ジュリアス・インドンゴ
ジュリアス・インドンゴ(Julius Indongo、1983年2月12日 - )は、ナミビアのプロボクサー。元WBA・IBF世界スーパーライト級統一王者[3]。ウィントフック出身[2]。 来歴アマチュア時代インドンゴは10歳のときにラジオでボクシングの試合を聞いてボクサーになることを決意し、地元の工業大学に通いつつ、17歳のときにボクシングを始めた[2]。 2002年に学校を卒業したインドンゴは同時期にナミビアの全米選手権大会で優勝したが、その後肺結核を罹患し、完治まで2年間の闘病生活を送った[2]。 2006年にボクシングに復帰したインドンゴはキャリアを積み、2008年の北京オリンピックでナミビア代表となったが、ウォームアップ中に右手を骨折のアクシデントに見舞われる[2]。しかしインドンゴは棄権を選択せず、右手を使用しないままでの試合に臨んだが、第一ラウンド終了後にレフェリーストップが掛かり、インドンゴは敗退した[2]。 プロ時代スーパーライト級2009年、25歳のときにプロデビューし[1][2]、デビュー後は14連勝した[1]。その後、無敗のままWBOアフリカスーパーライト級王座を獲得した[1]。 2016年12月3日、モスクワのメガスポルトでIBF・IBO世界スーパーライト級王者のエドゥアルド・トロヤノフスキーと対戦し、スーパーライト級世界戦最速KO記録となる初回40秒TKO勝ちを収め王座獲得に成功した[4][5]。 2017年4月15日、グラスゴーのThe SSE HydroでWBA世界スーパーライト級王者のリッキー・バーンズと王座統一戦を行い、12回3-0(120-108、118-110、116-112)の判定勝ちを収め王座統一に成功、IBF及びIBO王座の初防衛並びにWBA王座の獲得に成功した[6][7][8][9]。 2017年8月19日、ネブラスカ州リンカーンのピナクル・バンク・アリーナでWBC・WBO世界スーパーライト級統一王者のテレンス・クロフォードと王座統一戦を行い、プロ初黒星となる3回1分18秒TKO負けを喫しスーパーライト級王者として初となる主要4団体の王座統一に失敗、WBA王座の初防衛、WBC王座の獲得、IBF王座の2度目の防衛並びにWBO王座の獲得に失敗し、2004年9月18日にミドル級でバーナード・ホプキンスが主要4団体の王座を統一して以来の快挙を逃した[10][11][12][13][14]。 →詳細は「テレンス・クロフォード 対 ジュリアス・インドンゴ戦」を参照
2018年1月5日、ルー・ディベラが主催しているディベラ・エンターテイメントと契約した[15]。 2018年2月10日、同年3月9日にサウスダコタ州デッドウッドのデッドウッド・マウンテン・グランドでWBC世界スーパーライト級2位のレジス・プログレイスと元WBC世界スーパーライト級王者でWBC世界スーパーライト級4位のビクトル・ポストルの間でWBC世界スーパーライト級暫定王座決定戦を行うとの報道がなされたが[16]、同月12日にポストルが練習中に右手を負傷しWBC世界スーパーライト級暫定王座決定戦への出場を辞退したため、ポストルの代わりにインドンゴが出場することになった[17]。 2018年3月9日、サウスダコタ州デッドウッドのデッドウッド・マウンテン・グランドでWBC世界スーパーライト級2位のレジス・プログレイスとWBC世界スーパーライト級暫定王座決定戦を行い、2回2分54秒TKO負けを喫しIBF及びWBAに続く王座獲得に失敗した[18]。 ウェルター級2020年11月27日、フロリダ州ハリウッドのセミノール・ハード・ロック・ホテル・アンド・カジノ内にあるハード・ロック・ライブでダニヤル・イェレウシノフとIBFインターコンチネンタルウェルター級王座決定戦を行うが、2回30秒KO負けを喫した[19]。試合後にディベラ・エンターテイメントとデビューから所属していたMTC・サンシャイン・プロモーションから離脱した[20]。 2022年2月5日、カーディフのカーディフ・インターナショナル・アリーナでクリス・ジェンキンスと対戦し、8回75-78の判定負けを喫した[21]。 戦績
獲得タイトル脚注
関連項目外部リンク
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