ジャンルイジ・レンティーニ
ジャンルイジ・レンティーニ(Gianluigi Lentini, 1969年3月29日 - )は、イタリア・カルマニョーラ出身のサッカー選手。イタリア代表である。ポジションはMF、FW。 経歴クラブ1986年にトリノFCからデビューし、1986-87シーズンと1987-88シーズンはともに11試合に出場した。1988-89シーズンには出場機会を求めてACアンコーナにレンタル移籍したが、トリノFCがセリエB(2部)に降格したため1989年夏に呼び戻された。6得点を挙げる活躍で1シーズンでのセリエA(1部)昇格に貢献し[1]、1992年までトリノFCに在籍した。 1992年の春頃、代理人が既にミランとの仮契約にサインをしていたが、本人はミランへの移籍を何度も拒否し、契約書にサインをする当日にもキャンセルすることを考えたが、周囲の説説により[2]、当時の移籍金世界最高額となる1300万ポンド(約30億円)でACミランに移籍した。1992-93シーズンは30試合に出場7ゴールを決めただけでなく、チームメートへのアシストも多く決め、セリエA優勝に貢献した[2]。UEFAチャンピオンズリーグ決勝進出にも貢献、決勝でも先発したが、オリンピック・マルセイユに敗れた。 1993-94シーズン開幕を控えた、8月に自動車事故を起こし、開放骨折と眼球の損傷を負ったため[3]、1993-94シーズン途中、コッパ・イタリアのピアチェンツァ戦で約3ヵ月振りに復帰したが、以降決して怪我の前のプレー振りに戻ることはなかった[2]。そのシーズンのリーグ戦では、9試合に出場したのみに終わり、チャンピオンズリーグやセリエAの優勝を果たしたチームには貢献出来なかった[2]。 1994-95シーズン後半戦、7試合で5ゴールを決めるなど、好調を維持していたが、チャンピオンズリーグ決勝のアヤックス戦では僅か5分間の出場時間、チームは0-1で敗れた[2]。この頃から、カペッロとの諍いも起こっていた[2]。1995-96シーズン、チームはリーグ優勝を果たしたが、出場機会を求め、このシーズン限りでミランを離れた。 1996年にはアタランタBCに移籍、比較的良いシーズンを送り、31試合に出場、4得点を挙げた[2]。1997年、当時セリエBの古巣トリノに移籍金200万ポンドで移籍した。このシーズンの終盤、ペルージャ戦ではマルコ・マテラッツィからの酷いタックルを受けて負傷した[2]。チームは1999-00シーズンにセリエA複帰、自身はこのシーズン、2000年4月6日のACミラン戦でセリエAでの最後の試合出場をした[2]。チームからは監督就任のオファーを受けていたが、プレーを続けることを選択した[2]。2001年から2004年まではエッチェッレンツァ(6部相当)のコゼンツァ・カルチョ1914に在籍し、その後も地域リーグのクラブでプレーしていた。 引退後は蜂蜜を売る商売をしている[4]。 代表1991年2月13日のベルギー戦で代表デビューを果たした[2]。1992年2月19日のサンマリノ戦で代表初得点を挙げた。 1994 FIFAワールドカップに向けた、イタリア代表の主要メンバーの一人になりつつあったことから、アリゴ・サッキ代表監督は、怪我後の様態を定期的に尋ねる電話をかけていたが、コンディションは戻らず、ワールドカップへの出場を逃した[2][4]。1996年11月、ボスニア・ヘルツェゴビナ戦で代表復帰したが、その試合が代表ラストゲームになった[5]。 タイトル
脚注
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