ジェイソン・ロジャース (野球)
ジェイソン・ダグラス・ロジャース(Jason Douglas Rogers , 1988年3月13日 - )は、アメリカ合衆国ジョージア州フルトン郡イーストポイント出身のプロ野球選手(内野手)。右投右打。現在は、フリーエージェント(FA)。愛称は「パンダ(Panda)」[1]。 経歴プロ入りとブルワーズ時代2010年のMLBドラフトでミルウォーキー・ブルワーズから32巡目(全体969位)指名され、プロ入り。この年は傘下のルーキー級アリゾナリーグ・ブルワーズでプレーし、42試合に出場して打率.281・3本塁打・32打点・5盗塁の成績を残した。 2011年はパイオニアリーグのルーキー級ヘレナ・ブルワーズとA級ウィスコンシン・ティンバーラトラーズでプレーし、2球団合計で71試合に出場して打率.277・7本塁打・40打点・6盗塁の成績を残した。 2012年はA級ウィスコンシンとA+級ブレバード・カウンティ・マナティーズでプレーし、2球団合計で133試合に出場して打率.301・11本塁打・66打点・12盗塁の成績を残した。 2013年はAA級ハンツビル・スターズでプレーし、133試合に出場して打率.270・22本塁打・87打点・7盗塁の成績で、球団最優秀マイナー選手に選出された[2]。オフの11月20日に40人枠入りした[3]。 2014年はAA級ハンツビルとAAA級ナッシュビル・サウンズでプレーし、2球団合計で134試合に出場して打率.296・18本塁打・82打点・5盗塁の成績を残した。ロースターが拡大された9月にメジャー初昇格を果たし、メジャーデビューとなった2日のシカゴ・カブス戦での初打席で二塁打を放った[4]。この年メジャーでは8試合に出場した。 2015年はAAA級コロラドスプリングス・スカイソックスで開幕を迎えた。4月17日に昇格。5月9日のカブス戦ではフィル・コークからメジャー初本塁打を放った。この年は86試合に出場し、打率.296・4本塁打・16打点の成績を残した。 パイレーツ時代2015年12月17日にキーオン・ブロクストンとトレイ・スーパックとのトレードで、ピッツバーグ・パイレーツへ移籍した[5]。 2016年は23試合の出場に留まり、打率.080・2打点・OPS0.463だった。守備面では一塁手を5試合と三塁手を4試合で守り、それぞれDRSはいずれも0・UZRは - 0.1と0を記録した。なお同年、マイナーではAAA級インディアナポリス・インディアンスに所属。105試合の出場で打率.263・6本塁打・40打点・1盗塁・OPS0.709を記録した。オフの12月23日にDFAとなり[6]、2017年1月6日にAAA級インディアナポリスへ配属された[7]。 阪神時代2017年7月1日に阪神タイガースが1年契約を結んだ[8][9]。背番号は48[9]で、推定年俸は30万ドル[10]。チームに右の長距離打者が不足していることや、エリック・キャンベルが一軍へ昇格する前の5月中旬から一軍の打線が深刻な得点力不足に喘いでいたこと[11]なども相まって、レギュラーが固定されていない一塁手としての起用を前提にロジャースの獲得へ踏み切った。契約後は、ウエスタン・リーグ公式戦への調整出場を経て、7月18日にNPB移籍後初の出場選手登録。この年から打線の中軸を担ってきた左打者の糸井嘉男が前日(17日)の対広島東洋カープ戦(阪神甲子園球場)で右脇腹を痛めたことによる緊急措置[12]でもあったことから、登録初日に催された同カードで「3番・一塁手」としてスタメンで一軍デビューを果たす[13]と、8回裏1死満塁で迎えた第4打席で中﨑翔太からの2点適時打によって一軍初安打・初打点を記録した[14]。7月21日の対東京ヤクルトスワローズ戦(明治神宮野球場)では、4回表の第2打席で来日初本塁打をデビッド・ブキャナンからの2点本塁打で記録すると、6回表の第3打席でもブキャナンから2点本塁打を放った[15]。さらに、7月23日の同カードから一軍公式戦における阪神打線通算100代目の4番打者に起用される[16]と、7月26日の対横浜DeNAベイスターズ戦では本拠地の甲子園球場における初本塁打を3号ソロ本塁打で記録した[17]。しかし、8月の長期ロード中から打撃不振に陥ると、新人の大山悠輔が「4番・一塁手」としてスタメンに抜擢された影響で出場機会が減少。9月10日にいったん出場選手登録を抹消されたが、「5番・一塁手」としてスタメンで一軍に復帰した9月23日の対ヤクルト戦(神宮)では、第2打席の5号2点本塁打を皮切りに3打席連続安打で猛打賞を達成した[18]。その後の2試合にも4番打者へ起用されたが、通算で6打数1安打に終わったことから、9月26日に登録を再び抹消された[19]。なお、抹消後の9月30日には、一軍のセントラル・リーグ(セ・リーグ)レギュラーシーズン2位とクライマックスシリーズ進出が確定。しかし、セ・リーグ公式戦の残り試合やポストシーズンの試合へ出場する予定がないことから、レギュラーシーズン終了直前の10月3日にアメリカへ帰国した[20]。オフの11月30日にNPBに提出する保留者名簿が期限を迎え、ルイス・メンドーサ、ロマン・メンデス、キャンベルとロジャースの4選手の退団が確定。12月2日に自由契約公示された[21]。 阪神退団後2018年4月、北米の独立リーグであるアメリカン・アソシエーションのカンザスシティ・ティーボーンズと契約[22]。5月15日にアトランティックリーグのニューブリテン・ビーズに移籍。オフはオーストラリアン・ベースボールリーグのシドニー・ブルーソックスでプレー。 2019年4月2日にニューブリテン・ビーズと再契約。 2020年6月29日にメキシカンリーグのタバスコ・キャトルメンと契約したが、新型コロナウイルスの感染拡大の影響でシーズン中止となったため[23]、公式戦での出場は無かった[7]。 2021年5月27日にアトランティックリーグのガストニア・ハニーハンターズと契約。6月20日にメキシカンリーグのラグナ・ユニオン・コットンファーマーズに移籍したが、12試合に出場して打率.182、2本塁打、4打点に終わり、7月5日に自由契約となった[7]。7月9日にガストニア・ハニーハンターズに復帰した[7]。 2022年はアメリカン・アソシエーションのリンカーン・ソルトドッグスと選手兼任コーチとして契約した[24][25]。 2023年9月に、古巣のガストニア・ハニーハンターズに復帰した[26]。シーズン終了後に退団した。 選手としての特徴・人物広角に打ち分ける柔軟なバットコントロール[27]、選球眼の良さと勝負強さが魅力の中距離打者[28][29][30]。主に一塁を守るが、三塁や左翼もこなす[31]。 試合では2種類のバットを使い分けており、「黒色が軽くて白色が重いんだ。ゲームの最初で体の状態がいい時は重めを使って、ちょっと疲れてきたら軽めを使ったりしていくつもりだよ」と語っている[32]。 陽気で人懐っこい性格で[33]、阪神時代はすぐにチームに溶け込んだ[34]。 詳細情報年度別打撃成績
年度別守備成績
記録
背番号
登場曲
脚注
関連項目外部リンク
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