ジウソン・ド・アマラウ
ジウシーニョ (Gilsinho) こと、ジウソン・ド・アマラウ(ポルトガル語: Gilson do Amaral, 1984年4月4日 - )は、ブラジル出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはミッドフィルダー、フォワード(FW)。 経歴元々ユース年代まではディフェンダーだったが、その後フォワードへ転身。 2008年にジュビロ磐田に加入。チームが不調のなか30試合出場9ゴールと奮闘し、J1残留に導いた。 前年度の活躍の結果、2009年も磐田でプレーすることになりシーズン当初から10節までで7ゴールを挙げるなど好調だったものの、7月26日の19節横浜FM戦で右膝前十字靭帯損傷、外側側副靭帯損傷、外側半月板損傷という重傷を負い、ブラジルに帰国して療養。長期離脱することになった。 2010年シーズン、J1の公式戦が2010 FIFAワールドカップで中断する直前の5月16日の12節川崎戦で復帰し、前半2分で先制ゴールによる復帰弾を挙げた。この年のナビスコカップではカップ戦得点王となる活躍で、磐田のカップ戦王者獲得に貢献した。 2011年限りでチームを退団することが決まった。ジュビロでの最後の試合となる、最終節の川崎戦では、2ゴールをあげ、マン・オブ・ザ・マッチにも選ばれ、チームの勝利の立役者となった。 磐田には4年間在籍し、磐田に在籍経験のある外国人としては、ドゥンガの99試合に次ぐ、リーグ通算98試合に出場した。 磐田退団後はブラジルのコリンチャンスに移籍が決まった。その後、同じくブラジルのスポルチ・レシフェに移籍。 2013年、6月にJ1のヴァンフォーレ甲府への移籍が決まり、日本に復帰[1]。加入直後から前線の一角として出場を続け、ゴールこそなかったもののチームの残留に大きく貢献した。 2014年は開幕直後は負傷もあり欠場や途中出場もあったが、中断期後に福田健介が負傷離脱すると右ウイングバックにコンバートされレギュラーに定着。第25節の神戸戦では待望の加入後初ゴールを挙げる。出場停止や負傷が重なった終盤4試合こそ欠場したものの、2年連続の残留に大きく貢献した。シーズン終了後に、2014年限りでの退団が発表された[2]。 2017年1月8日、アトレチコ・ゴイアニエンセからアビスパ福岡に完全移籍[4]。シーズン終了後に退団した[5]。 個人成績
その他の公式戦
その他の国際公式戦
脚注
関連項目外部リンク
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