シンチェスト(欧字名:Shin Chest、1983年4月4日 - 2012年5月6日)は、日本の競走馬、種牡馬[1]。主な勝ち鞍に1987年の京都記念。
半兄に阪神大賞典2連覇のシンブラウン、半弟に京都記念など重賞2勝のテイエムジャンボがいる。
競走馬時代
1986年1月25日、京都競馬場第7競走の4歳新馬戦で、岩元市三を鞍上にデビューし3着。その後折り返しの新馬戦を勝つと、すみれ賞(OP)2着、わらび賞(400万下)1着と3連対しNHK杯へ挑んだ。3番人気の支持であったがラグビーボールの2着と健闘した。続く東京優駿は4番人気で出走であったが、7着と初めて掲示板を外した。その後半年以上の休養を余儀なくされ、翌1987年の日経新春杯より復帰し4着。続く京都記念に1番人気で出走すると、2着のスピードヒーローに1馬身以上付ける走りで快勝し重賞初制覇を果たした。しかし、この後も2度休養を余儀なくされ、結果的に京都記念の後は1988年の日経新春杯(12着)、産経大阪杯(5着)、1989年の京阪杯(11着)のわずか3戦したのみで引退することとなった。
競走成績
以下の内容は、netkeiba.com[2]およびJBISサーチ[3]に基づく。
競走日 |
競馬場 |
競走名 |
格 |
距離(馬場) |
頭 数 |
枠 番 |
馬 番 |
オッズ (人気) |
着順 |
タイム (上り3F) |
着差 |
騎手 |
斤量 |
1着馬(2着馬)
|
1986.01.25
|
京都
|
4歳新馬
|
|
芝2000m(良)
|
16
|
2
|
3
|
05.5(2人)
|
03着
|
2:06.1(49.4)
|
-0.7
|
岩元市三
|
55kg
|
バラモンインター
|
0000.02.08
|
京都
|
4歳新馬
|
|
芝1600m(良)
|
9
|
5
|
5
|
02.0(1人)
|
01着
|
1:37.9(48.6)
|
-0.5
|
岩元市三
|
55kg
|
(シルクホウザン)
|
0000.11.23
|
阪神
|
すみれ賞
|
OP
|
芝2200m(重)
|
7
|
5
|
2
|
02.9(2人)
|
02着
|
2:18.0(47.9)
|
-0.0
|
岩元市三
|
55kg
|
ヤエシオ
|
0000.04.12
|
阪神
|
わらび賞
|
|
芝2200m(稍)
|
10
|
6
|
6
|
01.3(1人)
|
01着
|
2:18.1(48.4)
|
-1.2
|
岩元市三
|
55kg
|
(モガミパワー)
|
0000.05.04
|
東京
|
NHK杯
|
GII
|
芝2000m(重)
|
18
|
2
|
4
|
06.4(3人)
|
02着
|
2:03.9(50.0)
|
-0.3
|
岩元市三
|
56kg
|
ラグビーボール
|
0000.05.25
|
東京
|
東京優駿
|
GI
|
芝2400m(良)
|
23
|
7
|
19
|
07.0(4人)
|
7着
|
2:29.5(49.1)
|
-0.6
|
岩元市三
|
57kg
|
ダイナガリバー
|
1987.01.25
|
京都
|
日経新春杯
|
GII
|
芝2200m(重)
|
7
|
6
|
6
|
09.9(5人)
|
04着
|
2:17.1 (50.7)
|
-1.0
|
岩元市三
|
56kg
|
フレッシュボイス
|
0000.02.22
|
京都
|
京都記念
|
GII
|
芝2400m(稍)
|
12
|
8
|
11
|
02.3(1人)
|
01着
|
2:29.3(48.9)
|
-0.3
|
岩元市三
|
55kg
|
(スピードヒーロー)
|
1988.01.24
|
京都
|
日経新春杯
|
GII
|
芝2200m(良)
|
12
|
6
|
7
|
12.2(6人)
|
12着
|
2:18.6(51.3)
|
-3.3
|
岩元市三
|
57kg
|
スピードヒーロー
|
1989.04.02
|
阪神
|
阪神大賞典
|
GII
|
芝2000m(良)
|
13
|
5
|
6
|
51.1(12人)
|
05着
|
2:02.4(49.0)
|
-1.0
|
田原成貴
|
58kg
|
ヤエノムテキ
|
0000.05.14
|
京都
|
京阪杯
|
GIII
|
芝2000m(良)
|
15
|
8
|
14
|
03.9(2人)
|
11着
|
2:05.0(52.1)
|
-2.3
|
田原成貴
|
57kg
|
ニホンピロブレイブ
|
種牡馬時代
引退後は種牡馬入りし、75頭の産駒を残した。すると、シンカイウンが1997年の朝日チャレンジカップを制し、産駒の中央重賞初制覇を果たした。その後もマグマライフが2002年の阪神スプリングジャンプを制するなど、中央競馬で活躍する馬を輩出した。2000年を最後に種付けを終え、2002年2月12日より名馬のふるさとステーションへ移動。そこが経営難により閉鎖されたあとは、新設された新ひだか町のローリング・エッグス・クラブにミスターシクレノンやタケノハナミと移動した。2003年12月1日に用途変更[4]、種牡馬としての供用が停止されたあとは、引退名馬繋養展示事業の助成対象馬となり[5]、同地で引き続き繋養された。ダービーやNHK杯で共に走ったアサヒエンペラーもこの施設に引き取られている。
2012年5月6日、老衰のため同地で死亡した[6]。29歳没。スタッフによれば、同年2月にミスターシクレノンが死亡した後から弱り出し、最期はミスターシクレノンの使っていた馬房で倒れていたという[7]。
主な産駒
- 1991年産
- 1992年産
- 1994年産
- 1998年産
血統表
脚注
注釈
出典
外部リンク