シティ・オブ・シドニー
シティ・オブ・シドニー(City of Sydney)は、オーストラリア・ニューサウスウェールズ州の地方公共団体。 概要![]() シドニー中心業務地区(CBD)とCBDを囲む複数のサバーブより構成される。大都市シドニーの政治、経済、文化の中心であり、シティ・オブ・シドニーの市長はシドニー都市圏の代表を兼ねる。 地理シティ・オブ・シドニーの中核をなすのはシドニー中心業務地区(CBD)である。 範囲は北辺をサーキュラー・キーとシドニー港に、東をマッコーリー通り、西辺と南辺をリヴァプール通りに囲まれた地区である。 2004年10月6日にシティ・オブ・サウス・シドニーの地域が併合された。 以下がその地域である。 アレクサンドリア(en)、 ダーリントン(en)、 アスキンヴィル(en)、ニュータウン(en)、レッドファーン(en)、 ウォータールー(en)、パディントン(en)。 人口
2011年の国勢調査に基づくと、シティ・オブ・シドニーには、169,505人の人が居住しており、2006年の156,571人から増加している。平均週給は888豪ドルであり、オーストラリア全体の平均週給である577ドルを大きく上回っている。シティ・オブ・シドニーに居住する73.6パーセントの人がアパートやユニットで生活しており、これは、オーストラリア全体の13.6パーセントと比較すると大きな違いである。 地域サバーブ
シティ・オブ・シドニーは以下のサバーブから構成されている[3]。
歴史![]() 「Sydney」という地名は、シドニー湾に由来しているが、そのもともとは、1788年1月26日に、シドニーに流刑地を設立したアーサー・フィリップ総督が、トマス・タウンゼンド (初代シドニー子爵)にちなんで名づけたものである。シドニー子爵は内務大臣 (イギリス)であり、フィリップを総督に任命した人物である。彼はオーストラリアをアメリカに代わる流刑植民地にしようと構想していた。 現在のシティ・オブ・シドニーの原型は、1842年6月20日に形成された。当時の領域は、現在のサバーブでいえば、東はウルムルー、サリー・ヒルズ、南はチップンデイル、西はピアモントを含む。面積は、11.65平方キロメートルであった。 シティ・オブ・シドニーの境界は、1900年以降、しばしば変更されてきた。1909年には、ミューニシパリティ・オブ・キャンパーダウン(現在のキャンバーダウン)を併合した。さらに、1949年には、アレクサンドリア、ダーリントン、アスキンヴィル、ニュータウン、レッドファーン、グリーブ、ウォータールー、パディントンが併合された。1968年には、これらのサバーブの多くが新設されたシティ・オブ・サウス・シドニーに含まれるようになったため、境界の大幅な変更が実施された。 サウス・シドニーは1982年に、再度、シティ・オブ・シドニーに併合されたが、1988年に成立した「the City of Sydney Act」に基づいて、再分離した。その際には、シティ・オブ・シドニーの面積は6.19平方キロメートルに縮小した。しかしながら、2004年に、再度、この2つのシティは併合することとなり、2011年現在、17万人の人口を抱える。 対外関係姉妹都市・提携都市
シティ・オブ・シドニーは以下の6つの都市と姉妹都市である。
観光観光スポット
脚注
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