ザイログ
ザイログ(英: Zilog)は、米インテルの元社員がスピンアウトしてできた半導体製造会社である。有名な8ビットマイクロプロセッサZ80の開発と製造をした企業である。 歴史設立1974年、インテルの社員だったフェデリコ・ファジンとラルフ・アンガーマン(後にアンガマン・バスを創業する)が退職し、アンガーマンアソシエイツを設立した[2]。 それを聞きつけたエクソンの子会社エクソン・エンタープライズは150万ドルを投資し、アンガーマンアソシエイツの株式の51%を保有することになった。そして、新社名を "Zilog" とすることになった。Zはアルファベットの最後であり、「決定版」という意味を込めた。iはintegratedのi、logはlogicを意味した。つまり、Zilog(ザイログ)は「集積された論理回路の決定版」という意味であった[3]。 8ビットCPUの事実上の標準Z80の誕生ファジン達は、ザイログを設立すると、インテルで共に4004と8080の開発に従事した嶋正利らと共に、独自のマイクロプロセッサの開発を始めた。まもなく8080の上位互換であるZ80マイクロプロセッサ (=CPU) が完成した。1976年に発売されたZ80は、8080よりも高性能かつ扱いやすいこともありビジネスを軌道に乗せることに成功した[4]。また、同時に周辺デバイスもラインナップに加えた。 Z80は、Intel 8080(1974年)、MC6800(1974年)、MOS 6502(1975年)、Intel 8085(1976年)と競合することになった。Z80はこれらの中では後発の部類であったが、1980年には8ビットマイクロプロセッサの中で最大のシェアを確保することになった[5]。 Z8000の失敗やがて8ビットCPUからさらに処理性能の高い16ビットCPUの技術開発へと進み、デジタル半導体メーカーの新たな開発競争の舞台となった。16ビットCPUとしては、1978年4月にインテルからi8086が、1979年9月にモトローラからMC68000がそれぞれ出荷された。それらの中間の時期である1979年初め頃にザイログはZ8000シリーズの出荷を始めた。 しかし、モトローラMC68000は、命令体系全体を再設計し直したためMC6800やMC6809と互換性がなかった。同様にザイログZ8000も命令体系全体を再設計し直したためZ80と互換性がなかった。両社は過去の互換性を捨てて命令体系を綺麗にした。しかし、それが裏目に出て、モトローラとザイログの16ビットCPUの市場への普及は限定的だった。 それに対してインテルの16ビットCPUのi8086は、8ビットCPUである8080の命令コードをアセンブラレベルではそのまま実行できるように設計されていた(バイナリ互換性はなかった)。その代償として、16ビットCPUであるi8086の命令体系は、8ビット世代の8080の上にセグメント方式という方法で「屋上屋を架した」ことによってコンピュータアーキテクチャ的に不細工なものとなった[6]。一般的にセグメント方式そのものは悪いものではない。Z8000にもセグメントはあった。しかし、i8086のセグメント方式は、セグメントレジスタを4ビット左シフトした値を従来のアドレスに加算したものを実アドレスとするという変わったものであった。マイクロソフトの技術者は、i8086のセグメント方式を「コンピューティング市場でもっとも愚かな決定」とみなしていた[7]。ところが、結果としてインテルはこの不細工な設計によって、ビジネス的に大成功を収めた。 Z8000はi8086との競争に敗れ、それほど普及しなかった。しかしながらZ8000ファミリーのシリアル通信コントローラー Zilog SCC (Z8530) は、AppleのMacintoshやシャープのX68000でも採用された。それ以外にも各社のマイクロプロセッサと直結できる高性能な周辺デバイスをシリーズ化。これらは一時期のザイログを支える製品に成長した。 迷走1979年に発売されたZ8000の失敗によって、ザイログは、マイクロプロセッサの開発で迷走するようになった。 1985年にZ80を16ビット化したZ800を発売した。しかし、当時の組み込みシステム用途には複雑かつ過剰性能であった。 1986年にZ8000を32ビット化したZ80000を出荷したが、商業的に失敗したZ8000の互換性は売りにならなかった。Z8000と同様にZ80との互換性はなかった。しかもモトローラは1984年に32ビットのMC68020をすでに発売しており、インテルも1985年に32ビットのIntel 80386をすでに発売していた。このような状況では、Z80000の需要はなく極少数の出荷に終わった[8]。 結局、ザイログは、日立製作所HD64180Zのセカンドソースとしてザイログが発売したZ64180を改良した8ビットマイクロプロセッサZ180を1986年に発売することになった。 1987年にZ800をCMOS化したZ280を発売した。しかし、売れなかったZ800をCMOSにしても売れることはなかった。 ウォーバーグ・ピンカスによる買収ザイログは1980年台初頭から連続赤字を計上。経営を立て直すために1989年にエドガー・サックがCEOに就任した。サック氏はザイログの大胆なリストラを敢行した。従業員を大量に解雇し、不採算事業を廃止した。このようなサック氏の行いが従業員に好感を持たれることはなく、不満を抱いた元従業員の一人がライフルで本社ビルの窓に向けて発砲するほどであった[9]。 同1989年、サック氏は投資企業ウォーバーグ・ピンカスの協力を得てマネージメントバイアウト(MBO)を行いエクソンからザイログを独立させた[10]。 サック氏の経営は成功し、ザイログは負債を解消。1991年に株式公開を達成した。その後も経営は順調に続き、1990年代半ばまでに、ザイログは、インタラクティブ・テレビコントローラー、コンピュータモデム、電子楽器、電動ガレージ・ドア・オープナー、標準的なテレビ画像をより鮮明な画像に変換するデジタルビデオ画像強化システムなど、幅広い用途向けの半導体を製造および販売していた[9]。 しかし、1996年から製品需要が後退し、最大顧客のルーセント・テクノロジーとの契約更新もできず、再び経営が悪化した。アイダホ州に新設した工場も活用されなかった[9]。 テキサス・パシフィック・グループによる買収1998年にテキサス・パシフィック・グループに買収された[9]。 2001年にZ80互換の後継CPUであるeZ80を発売した。eZ80はZ80と同様に8ビットCPUではあったが、Z80とのバイナリ互換性と維持しながらメモリ空間を16MBまで拡張し、3ステージパイプラインと最大50MHzのクロック周波数によってZ80を大幅に強化することに成功した。eZ80は後に商業的成功を収めることになる。 ところが、ザイログは、2002年初旬に連邦倒産法第11章の適用を受けた。その後、再建の努力が続いたものの業績は回復せず、テキサス・パシフィック・グループは、ザイログを手放すこととなった。 IXYS Corporationによる買収ザイログは、2010年2月18日に米国カリフォルニア州に本社を持つIXYS Corporationに買収された[11]。 2011年1月、IXYSの一部となったザイログは、モータ制御用MCUとして「Z16FMC」シリーズを発表した。この新製品は、多相AC/DCモータ制御に適した16ビットマイクロコントローラとされる[12][13]。 2015年にテキサス・インスツルメンツからグラフ電卓TI-84 Plus CEが発売された。グラフ電卓として独占的地位を占めるTI-84 Plus シリーズの最新機種であり、CPUとして前述のeZ80を搭載している。これによってeZ80は大量に使用されることとなった。 リテルヒューズによるIXYSの買収2017年8月、リテルヒューズは、現金と株式を合わせて7億5000万US$と引き換えにIXYS Corporationを買収することを発表した[14][15]。 2018年1月、リテルヒューズによるIXYSの買収が完了し、IXYSはリテルヒューズの子会社となった[16]。 その結果、ザイログはリテルヒューズの傘下に入ることになった。 主な製品Z80
Z8000
マイクロコントローラ通信コントローラー
日本での事業1977年、半導体商社の日本テクセル(現在の三井物産エレクトロニクス)が代理店となり、Z80やZ8000シリーズの販売、マーケティングを行った。その後、ザイログジャパンが設立された。現在の代理店は、インターニックス、三井物産エレクトロニクス、ユニダックスほか[要出典]。 脚注
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