サルソウル・オーケストラ
サルソウル・オーケストラ(Salsoul Orchestra)は、アメリカ合衆国のバンドである。1975年から1982年にかけて、ニューヨークのレコードレーベルであるサルソウル・レコード所属アーティストのバックバンドとして活動したほか、自身の名義でシングルやアルバムをリリースした。 歴史1974年に結成され、1983年に解散した。フィラデルフィア・ソウル、ファンク、ラテン・ミュージック、ディスコの要素を特徴としていた[1]。最大で50人のメンバーが在籍した。結成から1978年までは、フィラデルフィア・ソウルのミュージシャンであるヴィンセント・モンタナ・ジュニアが中心となり、全楽曲の作曲、アレンジ、指揮、プロデュース、演奏を担当した[2]。 当初のサルソウル・オーケストラは、フィラデルフィア・インターナショナル・レコードに所属するMFSBのほとんどのオリジナル・メンバーで構成されていた。彼らは、プロデューサーのギャンブル&ハフと金銭面で決裂し、サルソウルに移籍した。他に、リッチー・ファミリーやジョン・デイヴィスとモンスター・オーケストラのメンバーも合流した。当時。MFSBをはじめとする大規模なディスコ楽団が人気を博していた。サルソウル・オーケストラは、モンタナほか大半のメンバーが在籍していたMFSBと多くの共通点があったが、サルソウル・オーケストラがストリングスを中心とするのに対し、MFSBはバリトンサックス5人を使ったビッグ・バンド的な構成だった。モンタナにはMFSBの構成が合わず、バリトンサックスを構成から省いた。 サルソウル・オーケストラの最大のヒットは、1976年に発表した『タンジェリン』のディスコ・インストゥルメンタル・バージョン(ポップスチャート18位、R&Bチャート36位)と、同年末の"Nice 'N' Naasty"(ポップスチャート30位、R&Bチャート20位)だった[3]。 モンタナが脱退した後は、フィラデルフィアのシグマサウンドスタジオで、主にプロデューサーのバニー・シグラーとともにアルバムのレコーディングを行った。最後の3枚のアルバムは、ニューヨークでパトリック・アダムスやトム・モールトンら地元のセッション・プレイヤー、プロデューサーとともにレコーディングされた。 "Love Break (Ooh I Love It)"は、50セントの"Candy Shop"やエリックB&ラキムの"Paid in Full"などのヒップホップ・ミュージックでサンプリングされている。マドンナの『ヴォーグ』でも使用され、サルソウル側が提訴したが、マドンナの勝訴に終わった。 ディスコグラフィスタジオアルバム
コンピレーションアルバム
シングル
脚注
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