サラマンカ大学
サラマンカ大学(サラマンカだいがく、スペイン語:Universidad de Salamanca)は、マドリードの西北西に位置する都市サラマンカにある大学。現存するスペイン最古の大学であり、オックスブリッジ、パリ大学、モンペリエ大学、トゥールーズ大学、ボローニャ大学などとともに12〜13世紀頃にヨーロッパで設立された中世大学の1つでもある。「知識を欲する者はサラマンカへ行け(Quien quiera saber, va a aprender en Salamanca.)」と言わしめた。2004年現在、学生数約32,000の総合大学である。 歴史1218年にレオン王国のアルフォンソ9世によって設立された。酸化鉄を含んだ石造の建物はおびただしい装飾が施され、セルバンテスやイサベル1世、フェルナンド2世の肖像のレリーフがあるほか、それを見たものは学業成就すると言われる蛙の乗った髑髏のレリーフもある。13世紀中にヴァチカンからストゥディウム・ゲネラーレの認定を受けている。 大航海時代には、天文学などに基づいた航海計画が綿密に練られた場所となった。宗教改革後は、スペインにおける学術の中心であるとともにヨーロッパにおけるカトリック神学の中心となり、16世紀には大学内のサン・エステバン神学院を拠点にしてドミニコ会を中心とする学派、17世紀〜18世紀にはサン・エリアス神学院を拠点にカルメル会を中心とする学派が神学・哲学・法学の研究を進め「サラマンカ学派」と称された。 1415年から18年に渡って建築した講義堂「エスクエラス・マヨーレス」がある。1988年にサラマンカの旧市街の構成のひとつでユネスコの世界遺産に登録される[4]。 学部外国人がスペイン語を勉強するための“cursos internacionales”というコースがあり、ヨーロッパを中心に多くの国から学生が集まっている。そこでは、スペイン語の他に文化・歴史・経済を学ぶことができ、7月と8月には、日本語翻訳の授業も行なわれている。 教員、著名な卒業生等
日本とのかかわり本学で学び、1603年に来日し徳川家康に謁見、日本でのキリスト教の布教に従事したルイス・ソテロは、慶長遣欧使節団の正使としてヨーロッパに渡りローマ教皇パウルス5世に謁見して日本での宣教の援助を求めたが目的を達せず、1624年に大村で火刑により殉教。1867年にピウス9世により列福された。 学内には、1985年に当時の皇太子夫妻(現・明仁上皇と上皇后美智子)が訪れたことを記念するラテン語の碑文がある。碑文には“AKIHITVM ET MICHIKAM IMPERII IAPONICI SERENISSIMOS PRINCIPES VNIVERSITAS LAETA RECEPIT 28 FEBRVARII MCMLXXXV”(本学は、日本帝国の皇太子殿下ならびに同妃殿下である明仁と美智子を喜びをもって迎えたり。1985年2月28日)とある。 日本との協定校
脚注
関連項目
外部リンク |
Portal di Ensiklopedia Dunia