カリフォルニア工科大学の卒業式の式辞において、ジャーナリストのロバート・クラルウィッチは Tell me a story(お話してください)という題でスピーチを行った。そこで彼は、科学者には科学や自身の研究を面白く説明するよう求められる機会が実は多い、そのような機会を逃してはいけないと語った。クラルウィッチによれば、科学者はニュートンがしたように公衆を遠ざける道を選んではならず、ガリレイにならってメタファーを使いこなさなければならない。科学が容易に理解できなくなっている現代では、メタファーの重要さは増す一方である。さらに、科学の現場で起こっているサクセスストーリーや苦闘の物語を語ることで、科学者が現実の人間だということを伝えられる。スピーチの最後には、科学的な価値観が普遍的な重要性を持つことや、科学的な観点とは単なる意見ではなく訓練によって得られた見識なのだということを公衆に理解してもらう大切さを訴えた[4]。
「科学の公衆理解」運動に対しては、そこで想定されている公衆がどこかブラックボックスのようで受動的だという批判が数多く寄せられてきた。その結果、公衆に対するアプローチのあり方は変化した。近年のサイエンス・コミュニケーション論の研究者や実践家は、非専門家の話に喜んで耳を傾けようとするだけでなく、レイトモダン・ポストモダンの社会的アイデンティティが流動的で複雑であることを意識するようになってきた[14]。分かりやすい部分としては、公衆すなわちpublicという言葉の代わりに複数形のpublicsやaudiencesが使われ始めた。Public Understanding of Science 誌の編集者エドナ・アインジーデルはpublics特集号で以下のように説明している。
公衆の科学に対する知識や関心度を調査することは、「科学の公衆理解」の観点と強く結びつけられた手法だと(一部に言わせれば、不当にも[16])考えられている。そのような調査を行うこと自体が「必然的に、公衆には科学的な理解が不足しているというイメージを形成するもの」[17]』という批判がある[6]。米国においてその種の調査研究を代表するのはジョン・ミラー(Jon D. Miller)である。ミラーは科学に「目を向けている」「関心のある」とみなせる公衆(言わば科学ファン)と、科学や技術にそれほど関心がない集団とを区別したことでよく知られている。ミラーの研究は、アメリカの公衆が以下に示す科学リテラシーの4つの特質を備えているか疑問を投げかけた。
もっとも効果的な科学コミュニケーションの試みは、ヒューリスティックが日常的な意思決定の中で果たしている役割を考慮に入れたものである。多くのアウトリーチ活動計画は公衆の知識を向上させることのみに焦点を当てているが、研究によると(たとえばBrossard et al. 2012[24])、知識レベルと科学的な問題に対する意見との相関は、あるとしてもわずかでしかない[25]。
大衆文化とメディアにおける科学
公共科学の誕生
ルネサンスと啓蒙時代を経て一般向けの言説の中に科学研究が現れ始めたが、19世紀になるまで公衆が科学に出資したり科学に親しむことは一般的ではなかった。それ以前の科学研究は、私的な後援者に依存しており、王立協会のような排他的な集団の間で行われるのがほとんどだった。19世紀に中産階級が台頭した結果、漸進的な社会の変化により公共科学(英語版)が成立した。ベルトコンベアや蒸気機関車のような19世紀の科学的発明が人々の生活様式を改善したことを受けて、大学その他の公的機関は大々的に科学的発明に資金を提供して科学研究を振興させようとし始めた[26]。科学の成果は社会にとって有益であったため、科学的な知識の探求は科学という一つの職業となった。当時存在していた科学に関する公共の議論を行う場としては、米国科学アカデミーや英国科学振興協会(British Association for the Advancement of Science、BAAS)のような学術団体がまず挙げられる[27]。BAASの創立者の一人であるディヴィッド・ブリュースターは、「科学の1本の支流を追求する人が、ほかの分野の探究者と理解しあえるように」、また「科学を志す学生が自らの仕事をどこから始めればよいかわかるように」、研究者がそれぞれの発見を円滑に伝えるための定期刊行物が必要だと信じていた[28]。科学が職業化されて公共圏へも導入されたことで、科学はより広い受け手に伝達されるようになり、それへの関心も高まった。
科学の公衆理解(英語版)(public understanding of science)、科学に対する公衆の意識(public awareness of science)、科学技術への公衆関与(public engagement with science and technology)、これらはすべて20世紀後半に国や科学者が起こした運動の中で作り出された用語である。19世紀末に科学は職業的な活動となり、国の影響を受けるようになった。それ以前には科学の公衆理解が論題として大きく取り上げられることはなかった。ただし、一部の著名人は専門家ではない公衆を対象とした講義を行っていた。その一人であるファラデーが行っていたのは、英国王立研究所(Royal Institution)が1825年から現在まで実施している名高いクリスマス・レクチャーである。
20世紀に至って、科学をより広い文化的コンテクストの中に置き、科学者が一般大衆に理解されるような形で知識を発信することを目指す団体が出現した。英国においては、1985年に王立協会が作成したボドマー報告書(正式な題名は The Public Understanding of Science 「科学の公衆理解」)が、科学者と社会との関係を再定義するきっかけとなった[6]。この報告書は「連合王国における科学の公衆理解の性質と程度を見直し、それが先進民主主義の観点から十分であるか検討する」意図で作成された[55]。作成委員会は遺伝学者ウォルター・ボドマーが議長を務め、ナレーターでもあるデイビッド・アッテンボローなど著名な科学者が参加していた。報告書では様々なセクターに対して科学の理解増進のための施策が提言されたが、特に科学技術の専門家に対し公衆とのコミュニケーションを促したことは画期的であった[6]。ここで公衆は(互いに重なり合う)5つのグループに分類された。すなわち (1) 私的個人、(2) 民主社会の市民、(3) 科学の専門家、(4) 中堅管理職と労組専従者、(5) 政治家や実業家である[56]。その前提として読み取れるのは、すべての人が科学をある程度理解している必要があり、そのためには若年のうちから科学に関して適格な教師に教えを受けなければいけないということである[57]。報告書の中ではテレビや新聞などのメディアが今以上に科学を取り扱うよう提言されていたが、それがもとになって、科学コミュニケーションのプラットフォームを提供するen:Vega Science Trustのような非営利団体が設立された。
第2次世界大戦が終わると、英国と米国のどちらにおいても、科学者に対する一般の見方は称賛から不信へと大きく振れた。このためボドマー報告書では、社会への関与を避けることで研究費の調達が阻害されているのではないかという科学コミュニティの懸念が強調されていた[38]。ボドマーは英国の科学者に対し、彼らには研究内容を公知のものとする責任があると訴え、より広範な一般大衆に科学を伝えることを奨励した[38]。ボドマー報告書の発刊を受けて、英国科学振興協会、王立協会、王立研究所は協同して「科学の公衆理解のための委員会」[† 5](COPUS)を設置した。これらの団体が協調に踏み切ったことで、科学の公衆理解運動に真剣に取り組む趨勢が生まれた。COPUSは公衆理解を増進するアウトリーチ活動を特に対象とする補助金の交付も行った[58]。ついには、科学者が研究成果を広く非専門家コミュニティに向けて公表するのが当たり前だという文化的変革がもたらされた[59]。英国のCOPUSは既に廃止されたが、その名はアメリカで「科学の公衆理解のための連合」(Coalition on the Public Understanding of Science)として受け継がれた。この団体は米国科学アカデミー、アメリカ国立科学財団から資金を拠出されており、サイエンスカフェやフェスティバル、雑誌発行、市民科学のような各形式のポピュラー・サイエンス分野のプロジェクトに重点を置いている。
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