ゴールズFC
ゴールズFC(クラブとしての主要な期間はフェルヴォローザ石川・白山FCとして活動)は、かつて存在した石川県の社会人サッカークラブ。当初は白山市、後に石川郡野々市町で活動していた。 概要1973年に結成された松任オフサイドFCが母体で、地元の松任中学校と笠間中学校のサッカー部OBが中心となって結成され、石川県社会人リーグを中心に活動を進めたが、参加者が増加した為、1984年頃からオフサイドFCと松任クラブの2チームに分割した。松任クラブは1996年に松任オレンジモンキーとチーム名を改め、石川県の地区リーグからスタートし、2000年に石川県1部リーグに昇格。2001年の北信越チャレンジリーグ優勝して北信越フットボールリーグへ昇格した。 日本プロサッカーリーグ(Jリーグ)参入を目指したプロジェクトを進めた時期もあり、2004年度からチーム名を松任FCに変更、第84回天皇杯全日本サッカー選手権大会に初出場、JFL所属のザスパ草津と対戦した。また、ジュニア(小学生)チームの「松任FCジュニア」を傘下チームに組み入れ、将来的には中学生年代、高校生年代のユースチームの結成も視野にして、下部組織の充実も目指していた。 2005年、公募によりチーム名をポルトガル語で、『ひたむきさ』『熱心さ』を表すフェルヴォローザメンテをもとにした造語で、「ひたむき」「熱心」「一本槍」など、まっすぐな情熱を表したフェルヴォローザFCに変更[1]。翌2006年にホームタウンの石川県白山市の地域名を加えてフェルヴォローザ石川・白山FCとした。チームカラーは、世界へとつながっている石川の海から、無限に広がる未来を表現した「青」と、県内最高峰である白山に代表される石川の大地をイメージし、地域に根ざした活動をすすめていく意志を表現した「白」、チーム・サポーター全ての応援する人達の情熱を表現した「赤」のトリコロール。エンブレムの中央上部には、石川県をイメージする、兼六園の徽軫灯籠(ことじとうろう)を配置し、加賀百万石の藩祖前田利家公の異名「槍の又佐」や、チーム名の意味「一本槍」から、背後に槍を配置したデザインで新しく制定された。エンブレムの下部には、石川の誇りとなるチームを目指すという意志を込めてISHIKAWAと記され、チームの設立年である1973年が刻まれていた。白山市内で恐竜の化石が数多く発掘されることから、恐竜をモチーフにしたマスコットの「フェルヴォくん」と「ローザちゃん」も設定されていた。 当初は運営組織をNPO法人としていたが、2007年に新たに設立した株式会社に経営主体を移した。Jリーグ経験者やスロベニアから選手を補強[2]、長期の九州キャンプなど、地域リーグの枠を越える体制でJFL昇格を目指したが、リーグ開幕から2カ月後の6月12日に選手の人件費の高騰と、入場料・スポンサー料が予定通りに確保できなかった事が原因となり、選手への給料が遅配、経営危機に陥っていることがわかった[3]。その後、7月4日付でチームの財政難から、監督ほかスタッフ・選手との契約も打ち切り、新スポンサーを探しながらチームを存続させることになった[4]。夏のリーグ戦中断期間に、主力選手の他チームへの移籍や帰国が発表されたが、チームに残った選手や、サポーターのチーム存続の願いもあり、9月9日の北信越フットボールリーグ最終節の直前には、登録選手数が11人を割り込み、スポンサー企業の県リーグ所属の同好会チームからの協力を得て試合を行った[5]。 2008年のシーズンは、運営を再びNPO法人に戻してチームを存続した。2009年にクラブ運営が、各地で定着しつつあったサッカースクール事業と共に、市外の企業へ譲渡され、チーム名をゴールズFCに変更、エンブレムやチームカラーも一新された。 2011年のシーズン開幕直前にクラブの運営を北陸大学へ移管して、名称をFC北陸に変更。チーム編成も大学生主体の学生・社会人の混成チームとなり、社会人クラブチームとしての歴史を終えた。 チーム成績・歴代監督
タイトルカップ戦
歴代在籍選手→「Category:ゴールズFCの選手」も参照
脚注
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