ゴロンタ劇場ゴロンタ劇場(ごろんたげきじょう)はNHK総合テレビジョンの幼児向け番組『おかあさんといっしょ』で1976年(昭和51年)4月5日 [1]から1979年(昭和54年)3月まで放送されたコーナー。 概要『おかあさんといっしょ』における着ぐるみ人形劇コーナーの第6作目にあたる[2]。 本作開始と同時に『おかあさんといっしょ』の番組構成が大幅に変更され、前作『うごけぼくのえ』までの特定の曜日のみに放送する形式からほぼ毎日(月曜 - 木曜)放送する形式に変更され、初めて着ぐるみキャラクターがスタジオの子供たちと直接交流するようになった[3]。そのため本作は、水曜・木曜に放送された最初の作品になる。さらに翌1977年(昭和52年)10月からは、着ぐるみキャラクターも参加するエンディングテーマも導入され、後者は「その人形劇のために作られたエンディングテーマ」として、第11作『モノランモノラン』の「あしたてんきにな〜れ!」まで34年間、途切れなかった[注釈 1]。 本作品では別撮りのものを放送時に組み込む形ではなく、スタジオ内にセットを設け、スタジオに来た子供たちの目の前で物語が展開する形式を採っていた。この方式は、次作『ブンブンたいむ』の2年目まで5年間続いた[4]。 情報量の少なさから不明な点が多い『うごけぼくのえ』を除けば、第3作『とんちんこぼうず』以来7年ぶりにメインキャラクターが全員男の子[5]、前々作『とんでけブッチー』以来5年ぶりに兄弟が登場する作品で[6]、前者は『ブンブンたいむ』まで続く。また、ゴロンタは歴代人形劇で初めて「男性声優が声を当てた主人公」となった[7]。さらに、現時点ではタイトルに漢字が入っている唯一の作品になっている[2]。 原作・脚本担当の山元護久は、本作放送中の1978年(昭和53年)4月22日、本番組の打ち合わせ終了後に急逝。1978年秋の放送分までは過去の作品の中から好評だったものを再演していたが、その後は4人の構成作家が執筆した。山元の死後も児童からの人気は高かったが、制作サイドからは「ゴロンタは山元の幼児体験が生んだものであり、このまま続けても以前のゴロンタとは異なるものになってしまう」という意見があり、1979年(昭和54年)3月で放送を終了した[8][注釈 3]。そのため、放送期間が3年以内の作品で、早期に終了した理由が唯一明確になっている(作者死亡による絶筆)と同時に、未完である。 歴史登場人物着ぐるみは瞳が上下に動く構造になっている。
共演者水木一郎は本作放送開始と同時に番組に加入すると同時にすべてのおにいさん・おねえさんが隔週で交代するスタイルをとった。
ゴロンタ音頭作詞・山元護久 / 作曲・越部信義 / 歌・水木一郎、斉藤伸子、ゴロンタ[17] 『おかあさんといっしょ』の当時のエンディングテーマとして使用されていた。『あんからもんからフライパン』のかけ声とともに、両腕を上、中、下の3つのポーズのいずれかを取り、ゴロンタと違うポーズなら勝ち、同じポーズなら負けという勝負のコーナーがあった。LPではエンディング「ゴロンタ音頭」の1番と2番の間の間奏に、ゴロンタの台詞でルールの説明と掛け声が収録されている。この勝負とルールは後続の「ブンブンたいむ」にも引き継がれた。 →「おかあさんといっしょ § ゴロンタ音頭」も参照
ファミリーコンサート
スタッフ
脚注注釈
出典
関連項目外部リンク
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