グレッグ・リドリー
グレッグ・リドリー(Greg Ridley、1947年10月23日 - 2003年11月19日[1][2])は、イングランドのロック・ベーシスト。スプーキー・トゥースおよびハンブル・パイのメンバーとして知られる。 来歴カーライル生まれ[1]。音楽活動を始めたばかりの頃は「Dino and the Danubes」というローカル・バンドに参加しており[1][2]、その後、学友のマイク・ハリソン(後にスプーキー・トゥースで共に活動する)と共に「The Ramrods」というバンドを結成した[1]。そして、リドリーとハリスンは1960年代中期、ルーサー・グロヴナー率いる「The V.I.P.'s」に加入してCBSやアイランドといったレーベルからシングルをリリースした[1]。 その後「The V.I.P.'s」は「アート」と改名し、1967年にアルバム『Supernatural Fairy Tales』を発表するが、アイランドのプロデューサーであるクリス・ブラックウェルの案によりアメリカ人ミュージシャンのゲイリー・ライトが迎えられ、最終的には「スプーキー・トゥース」と再改名した[3]。リドリーはスプーキー・トゥースの初期2作のアルバムに参加するが、1968年末にスモール・フェイセスのオープニングアクトを務めた際、当時スモール・フェイセスのメンバーだったスティーヴ・マリオットから新バンド結成のプランを打診され、1969年にはスプーキー・トゥースを脱退してハンブル・パイの創設に参加した[1]。ハンブル・パイには1975年の解散まで在籍。なお、解散直前にリリースされたアルバム『ストリート・ラッツ』では、5曲でリード・ボーカル(うち1曲はマリオットとのツイン・ボーカル)も兼任している[4]。 ハンブル・パイ解散後には、リドリーが10曲中5曲に参加したマリオットのソロ・アルバム『マリオット』(1976年)がリリースされた[5]。また、クレム・クレムソンおよびコージー・パウエルと共に「Strange Brew」を結成したり[1]、マイク・パトゥとオリー・ハルソールが結成した「ボクサー」のライブに参加したこともあったが[2]、最終的には音楽業界を引退してスペインへ移住[1]。1980年代初頭にハンブル・パイが再結成された際には、リドリーは参加せずアンソニー・ジョーンズがベーシストを務めた[6]。 1990年代後半、スプーキー・トゥースはゲイリー・ライトを除くオリジナル・メンバー4人で再結成され、1999年にはアルバム『Cross Purpose』がリリースされた[7]。また、スティーヴ・マリオットの没後10周年に当たる2001年にはロンドンでハンブル・パイの再結成コンサートに参加し、2002年にはリドリー、グレッグ・シャーリー、ボビー・テンチ、デイヴ・コルウェルというラインナップでハンブル・パイ名義のアルバム『バック・オン・トラック』を発表した[1]。晩年には、ジェフ・ブリトン(元ウイングス)率いる「Costa Blanca」にも参加している[1]。 2003年11月19日、スペインのハベアにおいて56歳で死去[1][2]。 ディスコグラフィアート
スプーキー・トゥース
ハンブル・パイ
スティーヴ・マリオット
脚注
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