ゲイリー・ライト
ゲイリー・ライト(Gary Wright、1943年4月26日 - 2023年9月4日)は、アメリカ合衆国のミュージシャン。1976年に発表した楽曲「夢織り人」(Dream Weaver)や、1971年にハリー・ニルソンがカヴァーした「ウィザウト・ユー」へのピアニストとしての参加などで知られる。元ビートルズのジョージ・ハリスンとは友人だった。 来歴ライトはニュージャージー州クレスキル(Cresskill)で生まれ育ち、7歳の時にはテレビ番組のショーに出演した。彼はテナフライ高等学校(Tenafly High School)に入学した[1]。 その後、心理学の勉強を続けるためヨーロッパへ渡った。1967年、アイランド・レコードの創設者であるクリス・ブラックウェルの紹介で、「アート」[2]というバンドにシンガーおよびキーボーディストとして加入。アートは「スプーキー・トゥース」と改名した。 →詳細は「スプーキー・トゥース」を参照
1970年、リヴァプールに拠点をおくフォーク・ミュージックバンド「アライヴァル」(Arrival)の音楽プロデューサーと、フォークロックバンド「ハウル・ザ・グッド」のメンバーを同時に務めた。同年のワイト島音楽祭ではこれら2つのバンドが共に出演した。 1971年11月23日、ライトはテレビ番組『ディック・キャヴェット・ショウ』(The Dick Cavett Show)のエピソードで、「ワンダー・ホイール」というバンドが彼の作った曲「Two Faced Man」を演奏したことがきっかけで名前を紹介された。ワンダー・ホイールにはジョージ・ハリスンが好意でスライドギター演奏にて参加していた。これはライトがハリスンのアルバム『オール・シングス・マスト・パス』でピアノ演奏を行ったのが縁で実現した。 1974年のスプーキー・トゥース解散後、ライトはソロで音楽活動を続け、その活動は楽曲「夢織り人」で頂点に達した。この曲のシングルは1976年にビルボード・ホット100で3週連続2位を記録し、ゴールドディスクに認定された。この曲はまた、映画『ウェインズ・ワールド』およびそのサウンドトラック、映画『ラリー・フリント』などの作品にフィーチャーされている。1976年には、続くシングル作品「Love Is Alive」もチャート2位(2週連続)を記録している。 アルバム『夢織り人 - ドリーム・ウィーヴァー』(The Dream Weaver)は大ヒット作品となったものの、その後の彼の作品は評論・売り上げのどちらにおいても人気を博すものではなかった。ラジオ放送も手助けにならず、新たなヒットシングルも出なかったために、彼のキャリアはにわかに停滞することとなった。それでも彼は1970年代・1980年代・1990年代にわたってアルバムの制作を続けてゆく。 ライトが最後にポップ・チャートにおいて顕著な成功を収めたのは、1981年に「Really Wanna Know You」(アリ・トムソン(Ali Thomson)との共作)がチャート第16位を記録したときであった。 ライトの1981年のアルバム『ライト・プレイス』に収録された楽曲「Comin' Apart」は、2004年にアーマンド・ヴァン・ヘルデン(Armand Van Helden)が発表したクラブ音楽「マイ・マイ・マイ」(My My My)にサンプリングされている。 1991年に、日本の音楽ユニットであるTMNのシングル『Love Train/We love the EARTH』、アルバム『EXPO』のエンジニアとして参加。当時ニューヨークで最先端だったサウンドを日本に持ち込んだ。 2008年、リンゴ・スター&ヒズ・オールスター・バンドのツアーに参加した。同年11月には、6曲収録のミニアルバム『Waiting to Catch the Light』をリリースしている。 2023年9月4日、カリフォルニア州のパロス・ベルデス・エステーツで死去。80歳没[3]。 ディスコグラフィスタジオ・アルバム
コンピレーション・アルバム
シングル順位はビルボード・ホット100のもの
出典
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