グジャラート州
座標: 北緯23度13分00秒 東経72度41分00秒 / 北緯23.2167度 東経72.6833度 グジャラート州(グジャラートしゅう、グジャラート語: ગુજરાત 歴史古代グジャラート地方は、古来から西アジアとの重要な交易地であって、インダス文明の港湾都市とされるロータルや近年発見されたドーラヴィーラなどが栄えた。 北インドやデカン地方の諸王朝の間でしばしば係争地になった。1世紀には、サカ族とサータヴァーハナ朝が争った。8世紀から9世紀には、北インドを支配したプラティハーラ朝とデカン地方を支配したラーシュトラクータ朝がグジャラートの領有をめぐって争った。 イスラームの侵攻![]() 10世紀にはイスラム原理に基づくガズナ朝のインド侵攻が始まり、1025年にはマフムードによってソームナートの豊かなヒンドゥー寺院を徹底的に略奪した[3]。 13世紀にはデリー・スルターン朝(ハルジー朝)のもとでムスリム(イスラーム教徒)がグジャラートを征服。 1407年にムザッファル・シャー1世がデリー・スルターン朝(トゥグルク朝)から自立して、グジャラート・スルターン朝を樹立。アフマド・シャー1世の代に、アフマダーバードを首都にして栄えた。 独立後2002年2月27日、ゴードラー列車襲撃事件。グジャラート動乱(2月 - 6月)。2003年、インド人民党(BJP)のハーレン・パンディア州歳入担当相が暗殺された。 地理→詳細は「グジャラートの地理」を参照
![]() グジャラートは、「グジャラート族の地」という意味である。 地図上では、アラビア海に突き出たサウラシュートラ半島(カーティヤワール半島)とその付け根部分にあたり、インド亜大陸の北西の付け根でもある。サウラシュートラ半島の北のカッチ湾をまたいで、カッチ湿地(カッチ大湿地およびカッチ小湿地)があり、半島の南にはカンバート湾(カンベイ湾)が広がる。 グジャラート州は、真南から真西を海に囲まれ、北にラージャスターン州、東にマディヤ・プラデーシュ州、東南にマハーラーシュトラ州、北西にパキスタン領のシンド州との国境がある。 州全体で起伏が少なく、冬はほとんど晴れ、比較的乾燥し、日中29℃、夜間12℃である。夏は日中41℃、夜間29℃と暑く乾燥しているが、6月中旬からのモンスーンで気温がやや低下し、湿度が増す。モンスーンにより大量の降雨があり、洪水を引き起こす。 地方行政区分![]() →「ダマン・ディーウ連邦直轄領」および「ダードラー及びナガル・ハヴェーリー連邦直轄領」も参照
主要都市
政治州議会州議会の定数は182議席で、2022年12月1日から5日にわたって行われた州議会選挙の政党別議席配分は以下の通りとなる。 州首相
経済農業農産物では綿花、タバコ、落花生、ナツメヤシ、サトウキビ、コメなどの生産が盛んである。郊外では酪農業も行われ、乳製品の産地でもある。 1994年、2019年には蝗害が発生し、農作物に大きな被害が出た。2019年の発生の際には殺虫剤による駆除が行われたが、地域には鍋などの金属を打ち鳴らして追い払う風習が残されており、古くから大きな被害に悩まされてきたことが伺われる[4]。 工業グジャラート州は、インド国内で工業生産が最も盛んな州であり、国内の約4割を占めている。石油・化学や鉱工業の他に、船舶解体、自動車、繊維などの工業がある。 エッサール・グループのハジラ製鉄所があり、年間1,000万トン規模の生産量を誇っていたが2017年に破産。再建に向けて売却手続きが進められている[5]。 石油・化学特に化学工業、製薬工業が盛んで、ジャームナガルにあるコンビナート(リライアンス・インダストリーズの精油所であるen:Jamnagar Refinery、エッサール・グループのen:Essar Oil、等)では、インドの石油化学製品の約7割、医薬品の約4割が同省で生産されている。また農薬を含むリン化学製品は、世界でも有数の製造地のひとつとなっている。全長1,670キロメートルにもおよぶ海岸線はインドの州の内最長である。伝統的に製塩業も盛んで、現在もインド全体の塩の約8割が同州で生産され、塩と石灰石から製造されるソーダ灰も約9割が生産されている。地元の石灰石はセメント製造にも用いられている。 鉱工業鉱産資源では、石灰石の他、方解石、石膏、マンガン、ボーキサイト、瑪瑙、長石、ケイ砂、カーネリアンを産し、褐炭等の化石燃料も州内で採掘されている。海外との宝石取引の拠点ともなっており、スーラトのダイヤモンド取引は盛んである。 投資誘致2003年よりバイブラント・グジャラート(Vibrant Gujarat)[6]という国際投資サミットを隔年で開催しており、海外からの投資誘致に成功している。 住民民族→詳細は「グジャラート族」を参照
近代には、「インド産業の父」と呼ばれるジャムシェトジー・タタや「インド独立の父」と呼ばれるマハトマ・ガンディーがこの地方で生まれた。英語圏の東アフリカ、米英に移民として出たものも多く[7]、これら地域のインド人はグジャラート出身者あるいはその子孫である場合が大半である。第18代インド首相、ナレンドラ・モディもこの地方出身である。 言語グジャラート語、ロマ語、カッチ語、シンド語、ビリー語、ガミット語、ウルドゥー語、マールワーリー語、マラーティー語、パンジャーブ語、タミル語、テルグ語、ベンガル語、カンナダ語、オリヤー語、マラヤーラム語。 宗教ヒンドゥー教徒(89.1%)、ムスリム(9.1%)、ジャイナ教徒(1.0%)、シク教徒(0.1%)、キリスト教徒(0.5%)[8]。 ![]() 脚注出典
関連項目
外部リンク |
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