クレイグ・スタメン
クレイグ・N・スタメン(Craig N. Stammen, 1984年3月9日 - )は、アメリカ合衆国オハイオ州ダーク郡ノーススター出身の元プロ野球選手(投手)。右投右打。愛称はトリグ(Trig)[1]。 経歴プロ入り前デイトン大学時代は後に再び同僚となるジェリー・ブレビンスとチームメイトであり、2人ともコミュニケーション学科だったため、授業も同じでいつも一緒に行動していた[2]。 プロ入りとナショナルズ時代![]() (2010年3月22日) 2005年のMLBドラフト12巡目(全体354位)でワシントン・ナショナルズに入団。 2009年5月21日のピッツバーグ・パイレーツ戦で先発し、メジャーデビューを果たした。6月18日にインターリーグのニューヨーク・ヤンキース戦でメジャー初勝利を挙げた。7月11日のヒューストン・アストロズ戦でメジャー初完投勝利をあげるなど、このシーズンは最終的に4勝(7敗)をあげた。 2010年は開幕時に先発3番手だったが、スティーブン・ストラスバーグの昇格により先発の座を追われた。 2011年は僅か7試合の登板に終わった。 2012年は中継ぎとして開花し、9月29日のセントルイス・カージナルス戦でメジャー初セーブをあげるなど、59試合に登板し、ナショナルズの躍進に貢献した。 2013年は、6月から7月に一時、投球が不安定になったが、その期間を除いては様々な役割を果たしながら55試合に登板[2]し、2年連続防御率2.00台となる2.76、7勝6敗という好成績をマークした。シーズンオフには、ドラフト時に中退扱いとなっていたデイトン大学に復学し、不足分の単位を修得して経済学士の学位を取得した[2]。 2014年は、時折大量失点するケースがあったため、防御率が上昇して4年ぶりに3.00を超えたが、ランナーの81.5%の生還を阻止するなど、要所ではいい働きをした[3]。また、この年は四球を14個しか出さず、与四球率がメジャーで初めて2.0未満に留まった。 2015年は、右前腕部の故障で4月15日に故障者リスト入りし、2箇所の屈筋腱を修復する手術を受けた[4]ため、5試合だけの登板に留まり、計4.0イニングで3つの三振を奪って3つの四球を出したが、失点はなく勝敗も付かなかった。12月2日にノンテンダーFAとなった[5][4]。 インディアンス傘下時代2016年1月8日にクリーブランド・インディアンスとマイナー契約を結び、同年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[4]。この年はメジャーでの登板は無かった。マイナーでは、ルーキー級アリゾナリーグ・インディアンス、AA級アクロン・ラバーダックス、AAA級コロンバス・クリッパーズでプレーし、3球団合計で23試合(先発2試合)に登板して1勝4敗、防御率3.62、28奪三振を記録した。オフの11月7日にFAとなった[5]。 パドレス時代2016年12月23日にサンディエゴ・パドレスとマイナー契約を結び、2017年のスプリングトレーニングに招待選手として参加することになった[5]。3月30日にメジャー契約を結んで40人枠入りした[6]。 2017年は60試合に登板して2勝3敗、防御率3.14、74奪三振を記録した。オフにFAとなったが、2018年1月6日に2年総額450万ドルでの再契約が発表された[7]。 2020年1月17日にパドレスと2年総額900万ドル(2022年のオプション付き)で再契約を結んだ[9]。この年は新型コロナウイルスの感染拡大の影響で60試合の短縮シーズンとなったが、うち24試合に登板した。 2021年は67試合に登板し、6勝3敗、防御率3.06という成績を残した。 2022年は登板数が33試合に半減し、1勝2敗、防御率4.43という成績に終わった。オフの11月6日にFAとなった[10]。 2023年1月11日にマイナー契約でパドレスと再契約を結んだ[5]。スプリングトレーニング中の3月10日に右肩の関節包断裂の怪我を負い、3月31日に60日間の負傷者リスト入りした[5]。この故障が非常に重く、結局マイナーでも復帰も叶わぬまま、8月4日に現役引退を発表した[11]。 詳細情報年度別投手成績
年度別守備成績
背番号
脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia