クラウディオ・タファレル
クラウディオ・タファレル(Cláudio André Mergen Taffarel, 1966年5月8日 - )は、ブラジル・リオグランデ・ド・スル州サンタローザ出身の元サッカー選手、現サッカー指導者。現役時のポジションはゴールキーパー。元ブラジル代表。優れたPKストッパーとして知られていた[2]。セリエA史上初の外国籍GKであった[3]。 ブラジル代表GKとして最多出場記録を持っている[4]。現在は、ブラジル代表とリヴァプールFCのGKコーチを兼務している[5]。 来歴クラブ1984年、SCインテルナシオナルでデビュー。 1990年にパルマACへ移籍。イタリアでプレーする初のブラジル人ゴールキーパーだった[6]。当時ブラジル人ゴールキーパーで欧州で活躍する選手はなく、3人しか無い外国人枠を、どうしてわざわざGKに使うのか、獲得を疑問視する声も多かったが、この年パルマの全68試合全てに出場[7]、コッパ・イタリアなどのタイトル獲得に貢献した。1991-92シーズン、チームは8本のPKを献上したが、このうちの半分をストップしてみせた[2]。1992-93シーズン、新たにアスプリージャが加入すると、ブローリン、グルンが殆どの試合で起用され、外国人枠の問題で出場機会を6試合にまで減らした[7]。1993-94シーズンはACレッジャーナに移籍、レギュラーとしてプレーした[7]。 ワールドカップ後は暫く移籍交渉がまとまらず、フリーであったが[2]、1995年にはアトレチコ・ミネイロへ加入、1998年にはガラタサライSKへ移籍、UEFAカップの優勝などに貢献した[7]。 2001年にはジャンルイジ・ブッフォンが移籍した事によりパルマへ復帰し[7]、セバスティアン・フレイに次ぐ第2GKを務めた[7]。このシーズン、リーグ戦では6試合の出場に留まったが、コッパ・イタリアでは、決勝のユヴェントス戦を含め、全8試合に出場し、優勝を果たした[7]。翌2002-03シーズン終了後に現役を引退した[7]。 現役引退後は古巣ガラタサライのゴールキーパーコーチに就任。2014年11月、チェーザレ・プランデッリの解任を受け、ガラタサライの暫定監督を務めた[8]。現在はGKコーチを務めている[4] 代表1988年7月7日のオーストラリア戦で代表デビューを果たすと、1990年のイタリアW杯でベスト16に終わったものの、全試合出場を果たした。 1994年のアメリカW杯では、正キーパーとして全試合でゴールマウスを守り、イタリアとの決勝戦ではPK戦でダニエレ・マッサーロのPKを止め、フランコ・バレージ、ロベルト・バッジョの失敗を誘い、優勝に貢献した[2]。 決勝戦から1年後の同日に行われたコパ・アメリカの準々決勝・アルゼンチン戦でもPK戦に勝利した。 それから代表からはしばらく遠ざかっていたが、トルコでの活躍を買われ、1998年のフランスW杯の代表に選出された。本大会でも準決勝のオランダ戦で2本のキックをストップしてPK戦を制し、勝利に貢献した[2]。決勝戦では地元フランス相手に3失点し、準優勝に終わった。 ブラジル代表GKとして最多出場記録を保持し、W杯通算18試合出場もGKとしては最多記録[4]。 2018 FIFAワールドカップ・ブラジル代表GKコーチ、ガラタサライGKコーチ兼任。 エピソードトルコでは長友佑都と同じマンションに住み、まだ車が無い長友を自らが運転する車に同乗させ、クラブハウスまで連れて行っていた。[4]。また長友に本格的なイタリア料理をふるまい、長友はその料理を「びっくりするほど美味しかった」と振り返っている[9]。 代表歴出場大会試合数
脚注
関連項目
外部リンク
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