ギヨーム・クストゥー (子)
ギヨーム・クストゥー(Guillaume Coustou、1716年3月19日 - 1777年7月13日)は、フランスの彫刻家である。同名の彫刻家の父親ギヨーム・クストゥー1世(Guillaume Coustou le aîné: 1677- 1746)と区別するために「若いほうのギヨーム・クストゥー(Guillaume Coustou le Jeune )」などとも呼ばれる。 略歴パリで生まれた。多くの彫刻家を輩出した家系の出身で、叔父のニコラ・クストゥー(1658-1733)は1682年にローマ賞を受賞した彫刻家であり、父親のギヨーム・クストゥー1世も1697年にローマ賞を受賞した彫刻家であった。弟に建築家になったシャルル=ピエール・クストゥー(Charles-Pierre Cousto: 1721-1797)がいる。 家族の工房で学び、父たちと同じように1735年に彫刻のローマ賞を受賞し、1736年から1739年に間、在ローマ・フランス・アカデミーで修行した[1]。1739年に帰国すると老年になり、体調のすぐれない父親に国王から注文されていたマルリー宮殿の馬の彫刻「Chevaux de Marly」を完成させた[2]。1742年に王立絵画彫刻アカデミーの会員候補に選ばれ、バルカンの座像をアカデミーに提出し会員となった。1746年には教授の称号を得た。ギヨーム・クストゥーが教えた学生にはクロード・ドジュー(Claude Dejoux: 1732-1816)やフランソワ・ドヴォージュ(François Devosge: 1732-1811)、ピエール・ジュリアン(Pierre Julien: 1731-1804)、ジャン=バプティスト・ストーフ(Jean-Baptiste Stouf: 1742-18261)らがいる。 ギヨーム・クストゥーの作品には弟子たちと完成させたサンスの聖堂(Cathédrale Saint-Étienne de Sens)のフランス王太子ルイ・フェルディナンのモニュメントなどが知られている[3]。 作品
参考文献
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