キャンベル準男爵キャンベル準男爵(Campbell baronets)は、イギリスの準男爵位[注釈 1]。キャンベル姓の家が持つ準男爵位は19個存在し、うち7個はノバスコシア準男爵、12個は連合王国準男爵である。 一覧グレノーチーのキャンベル準男爵 (1625年)パース州におけるグレノーチーのキャンベル準男爵 (Campbell Baronetcy, of Glenorchy in the County of Perth)は、1625年5月29日にダンカン・キャンベルがノヴァスコシア準男爵位として叙位されたのにはじまる[1]。彼はアーガイル公爵家の貴族としての始祖である初代キャンベル卿ダンカン・キャンベルのヤンガーサンであるグレノーチーのサー・コリン・キャンベルの子孫であり、スコットランド議会のアーガイル選出議員として活動し「ブラック・ダンカン」と呼ばれていた。5代準男爵は1681年にホランドのブリーダルベイン伯爵に叙された。下記のセント・クロス・メーディのキャンベル準男爵も参照。
ランディのキャンベル準男爵 (1627年)フォーファー州におけるランディのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Lundy (or Lundie) in the County of Forfar)は、1627年12月13日にコリン・キャンベルがノヴァスコシア準男爵として叙位されたのに始まる[2]。彼は第6代アーガイル伯爵コリン・キャンベルのヤンガーサンであるランディーのコリン・キャンベルの息子である。この称号は1696年頃の2代男爵の死去により停止(dormant)となった。この称号は後に初代アーガイル公爵アーチボルド・キャンベルとその子孫が継いだと考えられている。しかし2010年の準男爵公式名簿にこの称号の記載はない。詳細はリンク先を参照。
オーチンブレックのキャンベル準男爵 (1628年)→詳細は「オーチンブレックのキャンベル家」を参照
![]() アーガイル州におけるオーチンブレックのキャンベル準男爵 (Campbell Baronetcy, of Auchinbreck in the County of Argyll)は、1628年1月24日にサー・デュガルド・キャンベルがノヴァスコシア準男爵として叙位されたのに始まる[3]。彼はアーガイル公爵家の貴族としての始祖である初代キャンベル卿ダンカン・キャンベルのヤンガーサンであるキルマイケルのダンカン・キャンベルの子孫である。5代準男爵は第1回グレートブリテン議会スコットランド代表の一人だった。
アードナマーカン=エアーズのキャンベル準男爵 1期 (1628年)アーガイル州におけるエアーズのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Ardnamurchan and Airds in the County of Argyll)は、1628年12月23日にドナルド・キャンベルがノヴァスコシア準男爵として叙位されたのに始まる[4]。1643年8月28日に甥やその相続人のための新しい記載と土地の合併のために称号を国王に返還した。ドナルドの死後、甥のジョージ(カルダーのジョン・キャンベルの息子)は称号を請求しなかったが、1790年頃にジョージの玄孫にあたるジョン・キャンベルが6代準男爵を請求するようになり、その孫ジョン・キャンベル少将は準男爵常任委員会の公式名簿に1628年創設の準男爵として記載するよう請求した。これは認められなかったが、1913年11月に新規の準男爵位が彼に与えられることになった。アードナマーカンのキャンベル準男爵 2期を参照。
アベルチルのキャンベル準男爵 (1668頃)![]() パース州におけるアベルチルのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Aberuchil in the County of Perth)は、1668年頃にコリン・キャンベルがノヴァスコシア準男爵として叙されたのに始まる[5]。
アードキングラスのキャンベル準男爵 (1679年)![]() アーガイル州におけるアードキングラスのキャンベル準男爵 (Campbell Baronetcy, of Ardkinglass in the County of Argyll)は、1679年3月23日にコリン・キャンベルがノバスコシア準男爵位として叙位されたのに始まる[6]。いくつかの選挙区の庶民院議員だった息子の2代準男爵が1752年に死去した後、廃絶した。
Glentirranのリビングストン のちキャンベル準男爵 (1685年)スターリング州におけるリビングストン準男爵、のちキャンベル準男爵(Livingston, later Campbell Baronetcy, of Glentirran in the County of Stirling)は、1685年7月20日にアレグザンダー・リビングストンがノバスコシア準男爵として叙位されたのにはじまる[7]。3代準男爵がリビングストンからキャンベルに改姓した。1810年の4代準男爵の死去で廃絶した。
スコスのキャンベル準男爵 (1808年)ダンバートン州におけるスコスのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Succoth in the County of Dumbarton)は、民事控訴院院長を務めたイレイ・キャンベルが1808年9月17日に連合王国準男爵として叙位されたのにはじまる。2017年の7代準男爵の死去で廃絶した[8]。
ガーツフォードのキャンベル、のちコックバーン=キャンベル準男爵 (1815/1821年)ロス州におけるガーツフォードのキャンベル、のちコックバーン=キャンベル準男爵(Campbell, later Cockburn-Campbell Baronetcy, of Gartsford in the County of Ross)は、1821年7月3日に連合王国準男爵位として叙位されたのに始まる。この創設についての詳細はコックバーン=キャンベル準男爵を参照。 セント・クロス・メーディのキャンベル準男爵 (1815年)サウサンプトン州におけるセント・クロス・メーディのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of St Cross Mede in the County of Southampton)は、1815年5月22日に軍人サー・ガイ・キャンベルが連合王国準男爵として叙位されたのにはじまる。父であるジブラルタル総督を務めたコリン・キャンベル中将の功績に対して与えられ、コリンの男系男子を継承者として創設された。コリンは初代ブリーダルベイン=ホランド伯爵ジョン・キャンベルのヤンガーサンのコリンの孫にあたる。3代準男爵の次男であるロナルド・イアン・キャンベルは外交官だった。
インバーニールのキャンベル準男爵 (1818年)![]() アーガイル州におけるインバーニールのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Invernail in the County of Argyl)は、1818年12月4日にジェイムズ・キャンベルが連合王国準男爵位として叙位されたのにはじまるが、1819年の彼の死去と共に廃絶した。
ニューブランズウィックのキャンベル準男爵 (1831年)ニューブランズウィックのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of New Brunswick)は、1831年9月30日にニューブラウンズウィック総督アーチボルド・キャンベルが連合王国準男爵として叙位されたのに始まる[9]。1949年の5代準男爵の死去により廃絶した。
キャリック・ボーイのキャンベル準男爵 (1831年)ドニゴール県におけるキャリック・ボーイのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Carrick Buoy in the County of Donegal)は、1831年9月30日にロバート・キャンベルが連合王国準男爵として叙位されたのにはじまる。1900年の4代準男爵の死去により廃絶した。
バーカルディン=グレニュアのキャンベル準男爵 (1831年)![]() アーガイル州におけるバーカルディン=グレニュアのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Barcaldine (or Barcaldyne) in the County of Argyll and of Glenure)は、1831年9月30日に軍人ダンカン・キャンベルが叙位されたことに始まる[10]。
推定相続人は現当主の弟アンガス・チャールズ・ダンダス・キャンベル (1967-) ダンスタッフネイジのキャンベル準男爵 (1836年)アーガイル州におけるダンスタッフネイジのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Dunstaffnage in the County of Argyll)は、1836年3月11日にプリンスエドワード島総督ドナルド・キャンベルが連合王国準男爵として叙位されたのにはじまる。1879年に3代準男爵が死去したことで廃絶した。
ブリスウッドのキャンベル準男爵 (1880年)レンフルー州におけるブリスウッドのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Blythswood in the County of Renfrew)は、1880年5月4日に連合王国準男爵として創設されたのに始まる。詳細はブリスウッド男爵参照。 アードナマーカンのキャンベル準男爵 2期 (1913年)アーガイル州におけるアードナマーカンのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Ardnamurchan in the County of Argyll)は、1913年11月29日にサー・ジョン・ウィリアム・キャンベルが連合王国準男爵として叙位されたのにはじまる。創設の経緯については1628年創設の準男爵位の項目を参照。2代準男爵は1943年にスマトラ島のパレンバン収容所で捕虜になっている間に死去[11]。 この称号は彼の死で廃絶したか、停止(dormant)したと考えられている。彼の息子ブルース・キャンベルは父の死の直後にロンドンで失踪し、以降行方不明となった。
ミルトンのキャンベル準男爵 (1917年)ダブリン県におけるミルトンのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Milltown in the County of Dublin)は、1917年1月10日に連合王国準男爵として創設された。詳細はグレナヴィ男爵参照 エアーズのキャンベル準男爵 (1939年)アーガイル州におけるエアーズのキャンベル準男爵(Campbell Baronetcy, of Airds in the County of Argyll)は、1939年7月3日に保守党の政治家であるサー・エドワード・タスウェル・キャンベルが連合王国準男爵として叙位されたのに始まる[12]。2代準男爵が1954年に死去したことで廃絶した。
脚注注釈
出典
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