ガーディナー・グリーン・ハバード (Gardiner Greene Hubbard、1822年 8月25日 - 1897年 12月11日 )は、アメリカ合衆国 の弁護士 、投資家 、コミュニティリーダーである[ 1] 。
ナショナルジオグラフィック協会 の創設者・初代会長。ベル電話会社 の創設者・初代社長であり、聴覚障害者 のための口話 教育の提唱者でもある[ 1] 。
娘の一人であるメイベル・ガーディナー・ハバード は、アレクサンダー・グラハム・ベル の妻となった[ 2] 。
若年期と教育
ハバードは、マサチューセッツ州 ボストン で生まれ、そこで育った。父はマサチューセッツ州最高裁判所 (英語版 ) 判事のサミュエル・ハバード(Samuel Hubbard、1785年 - 1847年)[ 3] 、母はメアリー・グリーン(Mary Greene、1790年 - 1827年)である[ 4] 。弟は、後にベル電話会社の初代秘書兼事務員となるチャールズ・ユーシス・ハバード(Charles Eustis Hubbard、1842年 - 1928年)である[ 5] 。
ハバードは、ボストンの商人ガーディナー・グリーン (英語版 ) の孫である[ 6] 。ハバードの先祖は、初期の新大陸 のイギリス人入植者であり、後にニューヨーク州 となる場所に最初のイギリス人入植地を作ったライオン・ガーディナー (英語版 ) である。ニューヨーク沖には、ライオン・ガーディナーが原住民から購入したガーディナーズ島 (英語版 ) があり、今もその子孫が保有している[ 3] 。
アンドーバーのフィリップス・アカデミー に通い、1841年にダートマス大学 を卒業した。その後、ハーバード大学 のハーバード・ロー・スクール で法律を学び、1843年に弁護士資格を取得した[ 1] 。
キャリア
ハバードはまずケンブリッジ に定住し、ボストンのベンジャミン・ロビンズ・カーティス (英語版 ) 法律事務所に入った[ 1] 。その後、ケンブリッジのインフラ整備の仕事をするようになった。ハバードは、ケンブリッジの市営水道の設立に貢献し、ケンブリッジ・ガス・カンパニーを創設し、後にケンブリッジ・ボストン間のトロリーバスシステムを組織した。また、マサチューセッツ州ノーサンプトン にクラーク聾学校 (英語版 ) を設立する際に中心的な役割を果たした。この学校は、アメリカで初の口話 による聾学校 であり、ハバードは生涯にわたって評議員を務めた。
ハバードは、アメリカ合衆国郵便公社 の下での電信 システム(当時はウエスタンユニオン が独占していた)の国有化を提案した。"The Proposed Changes in the Telegraphic System"(電信システムの変更の提案)という記事[ 7] において、ハバードは「郵便制度に欠陥がないとは言っていないが、新たな弊害をもたらすことなく、現行制度の重大な弊害の多くを取り除くことができる。そして、利益のバランスを考えると、郵便制度の安価な料金、設備の充実、限定的で分割された権限に大きく勝るものである」と述べた。1860年代後半、ハバードはアメリカ合衆国議会 に対し、「ハバード法案」とも呼ばれる合衆国郵便電信法案を通過させるよう働きかけた。この法案は、郵便公社を継承する郵便電信公社を設立するものであったが、法案は成立しなかった。
ハバード法案により利益を得るために、ハバードは、1本の電信線で複数のメッセージを同時に送るなど、電信技術の本質的な部分を支配する特許 を必要とした。これは音響電信 (英語版 ) と呼ばれていた。この特許を取得するために、ハバードはパートナーのトーマス・サンダース(彼の息子は耳が聞こえない)とともに、アレクサンダー・グラハム・ベル の音響電信機の実験・開発に資金を提供し、ベルの電話の発明 (英語版 ) につながった。
カーティスの引退後、ハバードはワシントンD.C. に拠点を移し、弁護士としてさらに5年間活動を続けた。1876年にはユリシーズ・グラント 大統領から鉄道郵便の適正料金を決定するよう任命され、フィラデルフィア万国博覧会 (アメリカ百周年記念博覧会)の委員も務めた[ 1] 。
ベル電話会社
ハバードは1877年7月9日、ベル電話会社 を設立し、自分を社長、トーマス・サンダースを会計係、ベルを主任電気技師とした。その2日後の7月11日に娘のメイベルがベルと結婚したため、ハバードはベルの義父となった。ガーディナー・ハバードは、ベル電話会社と密接な関係にあった[ 8] 。1878年、総支配人にセオドア・ニュートン・ヴェイル を推し、ヴェイルはアメリカの電話事業の原形であるベルシステム を構築する。ベル電話会社はその後、ナショナル・ベル電話会社、アメリカン・ベル電話会社へと発展し、成長の過程で小さな電話会社を合併していった。アメリカン・ベル電話会社は、1899年末にはアメリカ電信電話会社 (AT&T)となり、後に世界最大の電話会社となった。ハバードは、電話を世界に広めた企業家と言われている。
エジソン・スピーキング・フォノグラフ社
ハバードは、エジソン・スピーキング・フォノグラフ社の主要な出資者だった。エジソン が蓄音機 の開発を怠ったため、ハバードは娘婿のアレクサンダー・グラハム・ベルが1881年に設立した競合会社であるボルタ・グラフォン社に協力した。ベルは、ワシントンD.C.にあるボルタ研究所 (英語版 ) で、従兄弟でチェスター・ベル 、光学機器製造者のチャールズ・サムナー・テンター とともに、紙筒に蝋を塗って記録媒体とする蝋管 を開発した。ハバードとチェスター・ベルは、エジソンに合併を打診したが、エジソンはこれを拒否した[ 9] 。その結果、ボルタ研究所協会は、1886年にボルタ・グラフォン社の株式を、後にコロムビア・レコード に発展する会社に合併させた。
その他の事業
ハバードは、1888年に創設されたナショナルジオグラフィック協会 の創設者の一人であり、会長に就任して1897年まで務めた[ 10] 。ハバードを記念したハバード・メダル は、顕著な探検、発見、研究を行った人物に対して授与されている。
1883年から亡くなるまでコロンビアン大学(現 ジョージ・ワシントン大学 )の評議員を務めた。また、スミソニアン博物館 の評議員を務めた。
エッチング やエングレービング の作品のコレクターであり、死後は追加のための基金とともにアメリカ議会図書館 に寄贈された[ 11] 。1894年にアメリカ古美術協会 (英語版 ) の会員に選ばれた[ 12] 。
私生活
ハバードと妻のガートルード(1890年代)
1846年、ハバードは、ガートルード・マーサー・マッカーディ(Gertrude Mercer McCurdy、1827年 - 1909年)と結婚した。ガートルードの父は、ニューヨークの著名な実業家ロバート・ヘンリー・マッカーディ (英語版 ) [ 13] 、母は、上院議員で1844年の大統領選挙 の副大統領候補だったセオドア・フリーリングハイゼン の姪のガートルード・マーサー・リー(Gertrude Mercer Lee)である[ 14] 。弟のリチャード・アルドリッチ・マッカーディ (英語版 ) は、ニューヨーク生命保険相互会社の社長を務めていた[ 14] 。
ガートルードとの間には、以下の6人の子供がおり、大人まで成長したのは4人だった[ 15] 。
ロバート・ハバード(Robert Hubbard、1847年 - 1849年)
ガートルード・マッカーディ・ハバード(Gertrude McCurdy Hubbard、 1849年 - 1886年) - モーリス・ネビル・グロスマン(Maurice Neville Grossmann、1843年 - 1884年)と結婚。
メイベル・ガーディナー・ハバード (Mabel Gardiner Hubbard、1859年 - 1923年) - アレクサンダー・グラハム・ベル と1877年に結婚[ 2] 。
ロベルタ・ウォルコット・ハバード(Roberta Wolcott Hubbard、1859年 - 1885年) - チャールズ・J・ベル (英語版 ) (グラハム・ベルのいとこ)と1881年に結婚。
グレース・ハバード(Grace Hubbard、1865年 - 1948年) - 1885年の姉ロベルタの死後、1887年にチャールズ・J・ベルと結婚。
マリアン・ハバード(Marian Hubbard、1867年 - 1869年)
次女のメイベルは、猩紅熱 により5歳で耳が聞こえなくなった[ 16] 。その後、耳の聞こえない子供たちを教えていたアレクサンダー・グラハム・ベルの生徒となり、1877年に2人は結婚した[ 17] 。結婚式はハバードの家の庭で行われた。ケンブリッジのブラットル・ストリートにあったハバードの家は現存しないが、庭にあった大きなブナの木は、2011年現在でも残っている。
1897年12月11日、ハバードは郊外の別荘であるツインオークスで亡くなった[ 1] 。
妻は1909年10月20日、ワシントンD.C.で交通事故により死亡した[ 18] [ 19] 。
子孫
グラハム・ベルの像とその子孫(1947年)
ガートルードの娘のガートルード・ハバード・グロスマン(Gertrude Hubbard Grossmann、1882年 - 1919年)は、1903年にツインオークスのハバード邸でピーター・スタイヴェサント・ピロット(Peter Stuyvesant Pillot、1870年 - 1935年)と結婚した[ 20] [ 21] 。その娘のロザリー・ピロット(Rosalie Pillot、1907年 - 1959年)は、1925年にラザファード・スタイブサント の息子である[ 22] ルイス・ラザフォード・スタイヴェサント(1903-1944)と結婚したが[ 23] [ 24] 、息子を出産した後[ 25] [ 26] 、1935年に離婚した[ 27] 。
メイベルの娘のエルシー・メイ・ベル(Elsie May Bell、1878年 - 1964年)は、『ナショナルジオグラフィック 』で有名なギルバート・ホーベイ・グロスヴェナー (英語版 ) と結婚した[ 28] [ 29] 。マリアン・ハバード・"デイジー"・ベル(Marian Hubbard "Daisy" Bell、1880年 - 1962年)はデビッド・フェアチャイルド と結婚した[ 30] [ 31] 。その他に息子を2人生んでいるが、幼児期に亡くなっている。
ロベルタの娘のグレース・ハバード・ベル (英語版 ) (Grace Hubbard Bell、1884年 - 1979年)は、セオドア・ルーズベルト の従兄弟であり、ロバート・ルーズベルト の息子であるラフ・ライダーズ のグランビル・ローランド・フォーテスキュー (英語版 ) (Granville Roland Fortescue、1875年 - 1952年)と結婚した[ 32] 。
遺産
ガーディナー・ハバードの生涯は、エドワード・ウォーレン・デイによる伝記"One Thousand Years of Hubbard History "に詳しく書かれている[ 33] 。
グラハム・ベルの1939年の伝記映画『科学者ベル (英語版 ) 』(The Story of Alexander Graham Bell )では、チャールズ・コバーン がハバードの役を演じている。
1890年、アラスカ州 とユーコン準州 の境にある山は、ナショナルジオグラフィック協会が共催した探検隊によって、同協会の会長であるハバードに因んでハバード山 (英語版 ) と命名された。グリーンランド のハバード氷河 (英語版 ) は、ロバート・ピアリー がハバードに因んで命名した。
クラーク聾学校のメイン校舎であるハバード・ホールは、ハバードの功績を称えて命名された。
脚注
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外部リンク
参考文献
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