ガストン・ドゥメルグ

ガストン・ドゥメルグ
Gaston Doumergue

レジオンドヌール勲章を受章したドゥメルグ(1924年)

任期 1924年6月13日 – 1931年6月13日
首相

任期 1923年2月22日1924年6月13日

任期 1913年12月9日 - 1914年6月9日
1934年2月9日11月8日
大統領 アルベール・ルブラン
レイモン・ポアンカレ

任期 1914年8月3日8月26日
首相 ルネ・ヴィヴィアニ

フランスの旗 フランス共和国
植民地大臣
任期 1902年6月7日1905年1月24日
首相 エミール・コンブ

出生 (1863-08-01) 1863年8月1日
フランスの旗 フランス帝国ガール県エグ・ヴィヴ
死去 (1937-06-18) 1937年6月18日(73歳没)
フランスの旗 フランス共和国ガール県エグ・ヴィヴ
政党 急進党
配偶者 ジャンヌ・ドゥメルグ
宗教 プロテスタント

ピエール=ポール=アンリ=ガストン・ドゥメルグフランス語: Pierre-Paul-Henri-Gaston Doumergue1863年8月1日 - 1937年6月18日)は、フランス政治家。特に問題の多かった前任者のアレクサンドル・ミルランの後で、最も人気のあったフランス大統領の一人と見なされている。

生涯

1910年-1915年頃

エグ・ヴィヴ英語版プロテスタント[1]の家庭に生まれる。フリーメイソンであった[2][3][4]パリ大学で法学博士号を取得した1885年以後、ニームや、一年ほど仏領インドシナに勤めたりした。急進党から始まり、晩年にはさらに右派になった。

1913年12月9日から翌1914年6月2日まで首相を務めた。ドゥメルグは、ルネ・ヴィヴィアニ英語版及びアリスティード・ブリアン内閣を通じ、1917年3月にアレクサンドル・リボ英語版内閣の下で、ドイツ及びオーストリア=ハンガリーと別々に和平を結ばないようアレクサンドル・ケレンスキーを説得しに派遣されるまでの間、植民地大臣を務めた。1924年6月13日には共和国大統領に選出され、唯一のプロテスタント系大統領となった。ドゥメルグは大統領選出時点で独身であり、在任中に結婚した初めての大統領となった[5]

1934年2月6日の危機の後には、再び保守国家主義連立内閣の首相となった。この内閣は1934年2月6日から同年11月8日まで続いた。

出典

  1. ^ Gildea, Robert (1996). The Past in French History. Yale University Press. pp. 258–259. ISBN 978-0-300-06711-8. https://books.google.co.jp/books?id=-JcLOEKvJ2kC&pg=PA258&redir_esc=y&hl=ja 9 June 2013閲覧。 
  2. ^ Dictionnaire universelle de la Franc-Maçonnerie (Marc de Jode, Monique Cara and Jean-Marc Cara, ed. Larousse , 2011)
  3. ^ Dictionnaire de la Franc-Maçonnerie (Daniel Ligou, Presses Universitaires de France, 2006)
  4. ^ Ce que la France doit aux francs-maçons (Laurent KUPFERMAN,Emmanuel PIERRA, ed. Grund, 2012)
  5. ^ Sciolino, Elaine (3 February 2008). “French Leader and Ex-Model Wed in Quiet Ceremony”. New York Times. http://www.nytimes.com/2008/02/03/world/europe/03sarkozy.html 2008年8月10日閲覧。 

外部リンク