ピエール=ポール=アンリ=ガストン・ドゥメルグ(フランス語: Pierre-Paul-Henri-Gaston Doumergue、1863年8月1日 - 1937年6月18日)は、フランスの政治家。特に問題の多かった前任者のアレクサンドル・ミルランの後で、最も人気のあったフランス大統領の一人と見なされている。
生涯
エグ・ヴィヴ(英語版)のプロテスタント[1]の家庭に生まれる。フリーメイソンであった[2][3][4]。パリ大学で法学博士号を取得した1885年以後、ニームや、一年ほど仏領インドシナに勤めたりした。急進党から始まり、晩年にはさらに右派になった。
1913年12月9日から翌1914年6月2日まで首相を務めた。ドゥメルグは、ルネ・ヴィヴィアニ(英語版)及びアリスティード・ブリアン内閣を通じ、1917年3月にアレクサンドル・リボ(英語版)内閣の下で、ドイツ及びオーストリア=ハンガリーと別々に和平を結ばないようアレクサンドル・ケレンスキーを説得しに派遣されるまでの間、植民地大臣を務めた。1924年6月13日には共和国大統領に選出され、唯一のプロテスタント系大統領となった。ドゥメルグは大統領選出時点で独身であり、在任中に結婚した初めての大統領となった[5]。
1934年2月6日の危機の後には、再び保守国家主義連立内閣の首相となった。この内閣は1934年2月6日から同年11月8日まで続いた。
出典
- ^ Gildea, Robert (1996). The Past in French History. Yale University Press. pp. 258–259. ISBN 978-0-300-06711-8. https://books.google.co.jp/books?id=-JcLOEKvJ2kC&pg=PA258&redir_esc=y&hl=ja 9 June 2013閲覧。
- ^ Dictionnaire universelle de la Franc-Maçonnerie (Marc de Jode, Monique Cara and Jean-Marc Cara, ed. Larousse , 2011)
- ^ Dictionnaire de la Franc-Maçonnerie (Daniel Ligou, Presses Universitaires de France, 2006)
- ^ Ce que la France doit aux francs-maçons
(Laurent KUPFERMAN,Emmanuel PIERRA, ed. Grund, 2012)
- ^ Sciolino, Elaine (3 February 2008). “French Leader and Ex-Model Wed in Quiet Ceremony”. New York Times. http://www.nytimes.com/2008/02/03/world/europe/03sarkozy.html 2008年8月10日閲覧。
外部リンク