過去に版権を持っていたものにはスコットランドの出版社A & C Blackやホレス・エヴェレット・フーパー、シアーズ・ローバック 、ウィリアム・ベントンらがいる。現在は俳優でもあるスイスの富豪ジャッキー・サフラ(英語版)(ジェイコブ・サフラ)がブリタニカ社を所有している。情報技術が進歩し、Encyclopædia Britannica Ultimate Reference Suite やエンカルタ、ウィキペディアのようなデジタル百科事典が台頭してくると紙媒体の需要は少なくなってきた[3]。競争力を維持するためブリタニカ社はブリタニカの高い評価を強調し、販売価格を引き下げた。またCD-ROM版やDVD版、オンライン版などの開発にも取り組んだ。1930年代初頭以来、同社は派生事業も推進している[4][注釈 1]。
最初の時代(初版から第6版まで)ブリタニカはコリン・マックファーカー、アンドリュー・ベル、アーチボルド・コンスタブルら創始者によって出版された。ブリタニカは当初 Encyclopædia Britannica, or, A Dictionary of Arts and Sciences, compiled upon a New Plan として、1768年から1771年にかけてエディンバラで出版された。 チェンバーズの「サイクロペディア」(1728年初版)に影響を受けたドゥニ・ディドロとジャン・ル・ロン・ダランベールの百科全書(1751年から1772年発刊)に触発された面もあった。ブリタニカの出版は主にスコットランドを基盤としており、スコットランド啓蒙主義(英語版)の不朽の遺産である[8]。この時代にブリタニカはある若い編集者、ウィリアム・スメリによって初版の3巻から、大勢の権威によって書き綴られた20巻へと変わった[9]。この時代には他にもエイブラハム・リース(英語版)の「リース百科事典(英語版)」や コールリッジの「メトロポリターナ百科事典」[10]、ディヴィッド・ブリュースターの「エジンバラ百科事典」などが登場し競い合った。
1827年から1901年
2番目の時代(第7版から第9版)ブリタニカはエジンバラの出版社 A & C Black が管理していた。何人かの寄稿者たちは編集長、特にマクビー・ネピアとの親交を通じて再び執筆に加わったが、他のものはブリタニカの名声に惹かれていた。寄稿者は外国から来るものも多く、中にはその分野における最高の権威もいた。総合索引は第7版で初めてあらわれ1974年まで存続した。最初のイギリス生まれの編集長はトマス・スペンサー・ベインズだった、1880年以降はウィリアム・ロバートソン・スミスが彼を補佐した[11]。ベインズは「学者の百科事典」として名高い第9版を監督した[12][13]。第9版は科学分野の特別顧問にマクスウェルとハクスリーがいた[14]。また存命人物の伝記は存在しなかった[15]。高い名声を得た第9版であったが19世紀の終わり頃には時代遅れとなり、財政的な問題に直面した。
4番目の時代、ブリタニカは第15版を送り出した。それはマイクロペディア(小項目事典)とマクロペディア(大項目事典)、プロペディア(総論・手引き)の3つに再構成された。
モーティマー・アドラー(en:Mortimer J. Adler)[注釈 3][17]の下、レファレンスや教材としてのみならず、全人類の知識を体系化するものを目指した。独立した索引を持たず並列的な百科事典(マイクロペディアとマクロペディア)に記事が分割されていることは当初「猛烈な批判」を引き起こした[12][18]。この批判を受けて、第15版は完全に再編成され1985年に再度出版された。この2つ目の第15版は出版され続け、2010年まで改訂された。第15版の正式な名称は「新ブリタニカ百科事典」であるが、「ブリタニカ3」も推奨されていた[12]。
5番目の時代、 光ディスクとオンラインでデジタル版が発売されている。1996年、ジャッキー・サフラはブリタニカを買い取った。ブリタニカ社は経営難であったため推定額よりも安く買収された。1999年、ブリタニカ社は分割。元の社名のものは印刷版の製作を継続し、Britannica.com Inc. がデジタル版を開発することになった。2001年以来、イラン・ヨシュアは両方の会社のCEOである。彼は「ブリタニカ」の名前を持つ製品にパウエルの戦略を導入している。2012年3月、ブリタニカ社社長のジョージ・コーズは2010年の第15版を最後にこれ以上紙媒体での百科事典編纂を取り止めると発表した。今後はオンライン版と教育用の製品に注力していくこととなる[2][19]。
1768年以来、レファレンスとして世界標準であるブリタニカ百科事典は、ここに国際化版を送り出します。私たちの世界を取り巻くものについての包括的な知識を提供するため特別に編纂され、この独創的な製品は何千ものタイムリーで重要な記事をブリタニカ百科事典だけでなく、ブリタニカ・コンサイス百科事典、the Britannica Encyclopedia of World Religions、コンプトン百科事典から採択しています。 国際的な専門家や学者たちによって書かれ、240年以上もの間金字塔であり続けた英語百科事典の基準を元に編纂されています。
第3版以来、ブリタニカはその秀逸な概括を批評家からも一般からも高く評価されてきた[12][25][26]。第3版と第9版はアメリカでは Dobson's Encyclopaedia[27]をはじめとして非公認のものが発売された[13]。第14版発刊の際、タイムはブリタニカに「図書の王様( Patriarch of the Library )」の愛称を贈った[28]。連動した広告において、博物学者のウィリアム・ビービは、ブリタニカは「競争相手がいないので比較にならない」と語った[29]。イギリス文学のあちこちにはブリタニカについての言及が散見される。とりわけ有名なものはアーサー・コナン・ドイルが著したシャーロック・ホームズシリーズの人気小説赤毛組合におけるものである。この逸話はロンドン市長のギルバート・イングルフィールドがブリタニカ刊行200周年の祝賀で語ったことで注目された[30]。
ブリタニカのCD版およびDVD-ROM版、オンライン版は全米教育出版協会の2004年度の Distinguished Achievement Award を受賞した[33]。2009年7月15日に2,000人以上の評論家からなる審査によってブリタニカ百科事典が「イギリス10大スーパーブランド」に選ばれたとBBCは伝えた[34]。
項目の取り扱い
項目はプロペディアの「知識の概要( Outline of Knowledge )」によってある程度取捨選択されている[7]。ブリタニカの大部分は地理に関するものでありマクロペディアの26%を占め、伝記14%、生物学および医学11%、文学7%、物理学および天文学6%、宗教5%、芸術4%、西洋哲学4%、法律3%となっている[12]。補完的な内容のマイクロペディアでは、地理が記事の25%を占め、科学18%、社会科学17%、伝記17%、その他人文系25%となっている[25]。1992年に書かれたあるレビューでは「その取り扱う範囲の広さ、深さは他の百科事典を凌駕している」と批評している[35]。
ブリタニカは批判を受けてきた。とりわけ現行の版が時代遅れになると顕著だった。全く新しい版を生み出すには莫大な費用がかかるため[42]、財政的に厳しいときはそれを遅らせていた(通常はおよそ25年間隔)[4]。 例えば、継続的な改訂をしているにもかかわらず第14版(1929年から1964年)は35年後には時代遅れとなっていた。アメリカの物理学者ハーヴェイ・エインビンダーは彼の著書 The Myth of the Britannica[43]でその問題点を詳しく説明している。時代遅れの百科事典は第15版の編纂を急き立て、10年の作業期間を要して完成した[12]。ブリタニカを最新の状態に保つことはやはり難しく、ある最近の評論家は「時代遅れか改訂が必要な記事を見つけるのは難しいことではない」と述べ、長い記事のマクロペディアでは短い記事のマイクロペディアより時代遅れになりやすい点を指摘している[12]。マイクロペディアの情報は該当のマクロペディアの記事とつじつまが合わないことがある、主な理由はどちらかが更新されていない所為である[25][26]。マクロペディアにある文献目録は記事そのものよりもさらに時代遅れになっていることがあるため批判されている[12][25][26]。
プロペディアの本質は、全人類の英知を理論的に体系化する「知識の概要( Outline of Knowledge )」である[7]。それゆえ編集者はマイクロペディアに含めるべきかマクロペディアに含めるべきか決定する際にこの概要を参照している[7]。概要はこの他、学習の指針となり、主題を適切な視点から眺めることにも使え、主題についてより深く知りたい者へ一連の記事を案内するもの、としても役立つ[7]。しかし図書館ではめったに利用されず、評論家は無くすべきだと主張している[38]。さらにプロペディアには、人体の解剖学に関するカラーフィルムと、製作者やアドバイザー、寄稿者の一覧がある。
マイクロペディアとマクロペディアには合わせて4000万の単語と24,000枚の画像がある[48]。2巻の総合索引は2,350ページあり、228,274の項目と474,675の小項目が一覧となっている[25]。ほとんどの場合、ブリタニカではアメリカ式のスペルよりもイギリス式のものを使う[25]。例えば color ではなく colour、center ではなく centre、そして encyclopedia ではなく encyclopaedia を用いる。しかし例外もあり、defense は defence よりも使われている[49]。よくあるつづり違いに関しては "Color: see Colour." といった形でクロスリファレンスが存在する。
マイクロペディアとマクロペディアの掲載順序には厳密なルールが存在する[52]。アルファベット順であるが、ダイアクリティカルマークや英語で使われない文字[注釈 4]は無視され、数字については文字で表記したものを用いる(例:「1812年の戦争」(1812, War of )の場合は Eighteen-twelve, War of となる)。同名の記事は人物、場所、事柄の順に並んでいる。同名の君主については、国名順、年代順で並んでいる。したがって、フランス( France )のシャルル3世( Charles III )はチャールズ1世( Charles I )の前に記載される、チャールズ1世はグレートブリテンとアイルランド( Great Britain and Ireland )の王とされているためである(彼らを記事の並び順に従った表記にすると Charles, France, 3 と Charles, Great Britain and Ireland, 1 となる)。同様に同姓同名な人物も国やもっと小さな行政単位を元に記載順が決まる。
「ブリタニカ・ジュニア( Britannica Junior )」は1934年に12巻で販売開始した。1947年には15巻に増え、1963年には「ブリタニカ・ジュニア百科事典( Britannica Junior Encyclopædia )」と名称が変更された[56]。1984年を最後に市場から姿を消した。
ジョン・アーミテージが編集した「子供のためのブリタニカ( Children's Britannica )」は1960年にロンドンで発刊された[57]。その内容は主にイギリスのイレブンプラス(英語版)試験を元に決定された[58]。「子供のためのブリタニカ」は1988年に米国市場に導入された、対象年齢は7歳から14歳だった。
1961年、16巻の「小さなお子様のための百科事典( Young Children's Encyclopaedia )」が発刊された。これはちょうど読むことを覚え始めた子供用に作られた[58]。
「私の初めてのブリタニカ( My First Britannica )」は6歳から12歳を対象とし、「ブリタニカ・ディスカバリー・ライブラリ( Britannica Discovery Library )」(1974から1991年まで発刊)は3歳から6歳を対象としている[59]。
これらはブリタニカを要約したものだった。全1巻の「ブリタニカ・コンサイス百科事典」には28,000の短い記事があり、32巻もあるブリタニカを凝縮したものである[60]。「Compton's by Britannica,」は2007年に初めて出版され、先行する「コンプトン百科事典」を組み入れたものであり、対象年齢は10歳から17歳、26巻11,000ページで構成されている[61]。
1938年からブリタニカ社はその前年の出来事について記載された「年鑑」を毎年発行している。またブリタニカ社は専門的な参考資料も作成している、例として「Shakespeare: The Essential Guide to the Life and Works of the Bard」( John Wiley & Sons Inc, 2006年)がある。
光学ディスク版、オンライン版、モバイル版
Britannica Ultimate Reference Suite 2012 DVD は100,000以上の記事[62]が掲載され、通常のブリタニカ、Britannica Student Encyclopædia、Britannica Elementary Encyclopædia から収録されている。さらにこのパッケージには地図、動画、音楽、アニメ、ウェブリンクが含まれている。学習用途または辞書としても使え、メリアム=ウェブスター社提供のシソーラスに関する内容も含まれる。
2008年6月3日、ブリタニカ・オンラインのコンテンツに対する学術的な投稿を、専門家とアマチュア両方がネットを通じて容易にできるよう(ウィキの精神)にしていく、と発表された[68][69]。ただし、内容についてはブリタニカのスタッフに監督される。投稿内容が承認されるとその名前はクレジットされるが[70]、その利用権、編集権などは自動的にブリタニカ社に永久的に取り消し不能な形で譲渡されることになる[71]。2009年1月22日、ブリタニカ社社長のジョージ・コーズは、誰もが編集したり追記したりできるようにすると発表した。ブリタニカの編集を望む者は、事前に本名と住所を登録する必要がある[72][73]。ただしユーザーが行った変更は公表された百科事典には影響を与えず、専門家の記事とは別物として扱われる[74][75]。公式の記事には Britannica Checked の印がつけられ、ユーザーが作成したものと区別するようになっている[76]。
2010年9月14日、ブリタニカ社は携帯電話用アプリの開発会社Concentric SkyとK-12向けのiPhone製品を共同制作すると発表した[77][78]。2011年7月20日、ブリタニカ社は Britannica Kids Apps シリーズを Intel AppUp用に開発していると発表した[79]。
1996年1月、ブリタニカ社はベントン財団の元から、現会長であるスイスの大富豪ジャッキー・サフラによって買収された[91]。1997年、長い間サフラの元で投資顧問をしていたドン・ヤニアスがブリタニカ社のCEOとなった[92]。1999年に Britannica.com Inc. が分社化、デジタル版の開発を担うようになる。ヤニアスは新会社のCEOを引き受け、旧ブリタニカ社のCEOは2年間空席のままだった。2001年にヤニアスはイラン・ヨシュアに取って代わられた。ヨシュアは両社を指揮していくこととなった。ヤニアスは後に投資運用に戻ったが、ブリタニカの役員ではあり続けた。2003年、かつての経営コンサルタント、ジョージ・コーズは旧ブリタニカ社の社長に任命された。コーズは他の会社との連携を強め、ブリタニカブランドを教育とレファレンスの新製品に広げていった。またかつてのCEO、エルカン・ハリソン・パウエルが1930年代半ばに始めた戦略を引き継いだ[93]。
ブリタニカは総合的な、または概説的な百科事典であり、「Encyclopaedia of Mathematics」や「Dictionary of the Middle Ages」のような特化した内容に数多くのページを割ける専門的な百科事典とは競合しようとはしない。最初期の主な競争相手はチェンバーズの百科事典であり、その後すぐエイブラハム・リースの「サイクロペディア」、コールリッジの「メトロポリターナ百科事典」が現れた。20世紀の競争相手には「Collier's Encyclopedia」、「アメリカ大百科事典」、「World Book Encyclopedia」が存在する。それでもなお第9版以降はブリタニカは英語の百科事典としては最高の権威と広く認められている[31]。特にその取り扱う内容の幅広さと著名な寄稿者の数々は高く評価されている[12][25]。印刷版のブリタニカはその競争相手と比較するととてつもなく高価であった[12][25]。
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