ガイウス・マミリウス・トゥッリヌス
ガイウス・マミリウス・トゥッリヌス(ラテン語: Gaius Mamilius Turrinus、生没年不詳)は紀元前3世紀中期の共和政ローマの政治家・軍人。紀元前239年に執政官(コンスル)を務めた。 出自プレブス(平民)であるマミリウス氏族の出身。父も祖父もプラエノーメン(第一名、個人名)はクイントゥスである[1]。伝説では、マミリウス氏族はラティウムのトゥスクルム(en)にその起源を持ち、都市の建設者とされるオデュッセウスとキルケーの間の子であるテーレゴノスの子孫と称している。氏族としては、トゥッリヌスの他にルキウス・マミリウス・ウィトゥルスとクィントゥス・マミリウス・ウィトゥルスが執政官を務めている(それぞれ紀元前265年および紀元前262年)。 経歴トゥッリヌスは紀元前239年に執政官に就任。同僚執政官はクィントゥス・ウァレリウス・ファルトであった。ティトゥス・リウィウスの『ローマ建国史』の本文は欠落しており、要約にもこの年の記録は無い[2]。トゥッリヌスに関して、これ以外は不明である。 脚注参考資料
関連項目
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