オリビエ・ジャック
オリビエ・ジャック (Olivier Jacque, 1973年8月29日 - ) は,フランス・ムルト=エ=モゼル県 Villerupt 出身のオートバイレーサー。2000年のロードレース世界選手権250ccクラスチャンピオン。 経歴1994年、ジャックはヨーロッパ選手権の250ccクラスでシリーズ2位となり、翌1995年にロードレース世界選手権250ccクラスにデビューする。デビューイヤーから毎年シリーズ10位以内に入る活躍を見せ、2000年にはヤマハ・YZR250を駆り、所属していたテック3のチームメイトの中野真矢、ホンダ・NSR250を駆るグレシーニ・レーシングの加藤大治郎らと激しいタイトル争いを繰り広げた結果、初のシリーズチャンピオンに輝いた。 翌2001年には、テック3チームと共に500ccクラスにステップアップを果たす。3年間チームに在籍したが表彰台の獲得も叶わなかった。2004年にはレギュラーシートを失ったが、モリワキのマシンを駆ってワイルドカード枠で2戦に出場した。 翌2005年にもレギュラーシートの獲得はできなかったが、重傷を負ったアレックス・ホフマンの代役としてカワサキから6戦出場。ウェットレースになった初戦の上海では自身初の表彰台・チーム最高位となる2位に入る活躍を見せた。以後ジャックはカワサキにテストライダー兼予備レースライダーとして雇われることになった。2006年はレース出場の機会はなかったが、2007年には中野真矢の後釜として久々にレギュラーライダーを務めることとなり、同じフランスのランディ・ド・プニエのチームメイトになった。セテ・ジベルナウは、ジャックの前に自分がオファーを受けたが断ったことを後に明かしている。 2007年シーズンは苦難続きとなった。第3戦イスタンブールの1周目1コーナーではブレーキングポイントをミスしてコーリン・エドワーズ、ダニ・ペドロサ、クリス・バーミューレンを巻き込む多重クラッシュを起こしてしまった。続く第4戦上海ではプラクティス中に転倒、腕に重傷を負い2戦を欠場。第7戦カタロニアでもプラクティス中に負傷し、決勝レースを欠場することになった。 度重なる転倒負傷の結果、6月にジャックはMotoGPを引退することを発表した。ただしカワサキ・レーシングチームには開発ライダー兼テクニカルアドバイザーとして残ることになった[1]。2009年、カワサキはレース活動を縮小しプライベートチーム扱いの「ハヤテ・レーシング」となったが、ジャックはチームへのサポートを続けた[2]。 ロードレース世界選手権 戦績
脚注外部リンク
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