オックスフォード伯爵
オックスフォード伯爵(英語: Earl of Oxford)は、イギリスの伯爵位。 1141年にオーブリー・ド・ヴィアーがイングランド貴族爵位として叙されたのにはじまる。20代にわたって続いたが、1703年に廃絶した。 他にオックスフォードの名を関する爵位としてロバート・ハーレーが1711年に叙されたグレートブリテン貴族オックスフォード伯=モーティマー伯(1853年に廃絶)。ハーバート・ヘンリー・アスキスが1925年に叙された連合王国貴族オックスフォード=アスキス伯がある(2020年現在も存続)。 歴史オックスフォード伯爵(1141年)ド・ヴィアー家はフランス・ノルマンディー・ヴェールの出身であるために、ド・ヴィアーという家名になった。オーブリー・ド・ヴィアー1世(-1112or1113) がウィリアム1世のイングランド侵攻に加わってそのままイングランドに定着した[1]。 その息子のオーブリー・ド・ヴィアー2世(1085-1141) は大侍従卿となり、さらにその息子で大侍従卿の地位を継承したオーブリー・ド・ヴィアー(1115頃–1194) は、1141年7月にイングランド貴族爵位ケンブリッジ伯爵に叙せられた。しかしスコットランド王からケンブリッジはハンティンドン伯爵たる自分に権利がある領地であるとの異議が唱えられたのでオックスフォード伯爵 (Earl of Oxford) に変更された[2]。以降同爵位は20代560年にわたってド・ヴィアー家に継承される[2]。 3代伯ロバート(1173頃–1221) は、ジョン王にマグナカルタを迫った25人の貴族の一人である[1]。 ド・ヴィアー家の所領は少なく、歴史が古い点と式部卿を世襲する役割以外にはこれといった特色のない貴族だったが[3]、9代伯ロバート (1362–1392) は、リチャード2世の側近として台頭し[4]、一代限りの爵位として1385年12月1日にダブリン侯爵(イギリスではじめての侯爵位[5])、1386年10月13日にはアイルランド公爵に叙せられ[2]、アイルランドの統治を任せられた(間もなく失脚)[6]。 13代伯ジョン (1442–1513) は、薔薇戦争でランカスター派の指揮官として戦った[7]。 20代伯オーブリー (1627–1703) の死去をもって男子継承者がいなくなり、爵位は廃絶した[8]。 オックスフォード=モーティマー伯爵(1711年)その後、オックスフォードの名を関する爵位が2つ創設された。1つはアン女王時代のトーリー党政権の首脳だったロバート・ハーレーが1711年に叙されたグレートブリテン貴族オックスフォード伯爵=モーティマー伯である。この爵位は6代続いたが、1853年に廃絶した[9]。 オックスフォード=アスキス伯爵(1925年)もう1つは自由党の首相を務めたハーバート・ヘンリー・アスキスが1925年に叙された連合王国貴族オックスフォード=アスキス伯である。この爵位は2020年現在も存続している[10]。 歴代当主オックスフォード伯爵 (1141年)
オックスフォード=モーティマー伯爵 (1711年)→詳細は「オックスフォード伯爵=モーティマー伯爵」を参照
オックスフォード=アスキス伯爵 (1925年)→詳細は「オックスフォード=アスキス伯爵」を参照
系図オックスフォード伯爵ド・ヴィアー家系図
脚注注釈出典
参考文献
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