オゼアス・レイス・ドス・サントス
オゼアス・レイス・ドス・サントス(Oséas Reis dos Santos、1971年5月14日 - )は、ブラジル・バイーア州サルヴァドール出身の元サッカー選手。現役時代のポジションはフォワード。 経歴アトレチコ・パラナエンセ在籍中の1995年にブラジル全国選手権2部で14ゴールを挙げ得点王を獲得[1]、クラブのセリエA昇格に貢献する。1996年にはブラジル代表に選出され、親善試合2試合に出場した。 1997年にSEパルメイラスへ移籍。1999年コパ・リベルタドーレスでは、デポルティーボ・カリとの決勝戦第2試合の76分に2試合合計スコアで同点となるゴールを挙げ、試合をPK戦へと持ち込ませた[2]。パルメイラスはこのPK戦を制し、初の南米チャンピオンとなった。同年のインターコンチネンタルカップ、マンチェスター・ユナイテッドFC戦にアスプリージャと交代で途中出場するも0-1で敗れ優勝を逃した[3]。 サントスFCから2002年8月に日本のヴィッセル神戸に移籍、1年目は9月15日のコンサドーレ札幌戦でJリーグ初ゴールを決めるなど[4]、15試合6ゴールの成績を残した[4]。2003年3月15日のJリーグカップ予選リーグのジュビロ磐田戦ではハットトリックを決め[5]、リーグ戦では13ゴールを挙げる[4]など活躍、神戸では彼がゴールを決めた試合では負けないという「不敗神話」が1年以上にわたり続いた。その後、半年間母国ブラジルでプレーした後、シーズン途中の7月にこの年がJ1昇格初年度のアルビレックス新潟に移籍。FWエジミウソン、MFファビーニョらと、変則3トップを形成。得点は15試合で4得点と得点量産とはいかなかったが[4]、前線のブラジル人のチームプレーがかみ合うなど、当時得点力不足に悩んでいたチームの残留に大きく貢献。2005年はブラジルに帰国してブラジリエンセFCでのプレーを最後に現役を引退した。 所属クラブ
個人成績
代表歴試合数
脚注
関連項目外部リンク
|
Portal di Ensiklopedia Dunia