エルンスト・ハインケル (Ernst Heinkel 、1888年 1月24日 - 1958年 1月30日 )は、ドイツ の航空機 の設計者であり製造者である。 ドイツの航空機産業 に多大な貢献をした。
幼少期
彼はグルンバッハ (Grunbach )に生まれた。彼は1909年 、フランクフルト の航空ショー でツェッペリン の飛行船を見て航空機に興味を抱くようになった。後にアンリ・ファルマン の設計図に基づく飛行機を製作した。
経歴
アルバトロス B-II
まもなく、彼は航空株式会社(Luft Verkehrs Gesellschaft 、LVG )に勤務するようになった。アルバトロス に行き、ハインケルは アルバトロス B-II を設計した。第一次世界大戦 の初期に活躍した。アルバトロスでの仕事を離れてから彼はハンザ・ブランデンブルク (Hansa-Brandenburg )向けに複数の飛行艇 を設計した。
1922年 、ハインケルはヴァーネミュンデ にハインケル 航空機会社を設立した。ヴェルサイユ条約 (第三款・航空條項第百九十八條〜第二百二條)により航空機の製造を禁止されていたのでハインケルは飛行艇の設計図を持ってスウェーデン に渡った。そして、日本海軍 向けにHD-25水上機 を製造した。ドイツに戻った彼は客船ブレーメン に搭載する同様の射出式の郵便配達用の水上機 を製作した。
HD-25水上機(日本名:二式水上偵察機)
世界初飛行した試作ジェット機 He178
ヒトラー が力を持つようになると、国家社会主義ドイツ労働者党 (ナチス)による膨大な軍拡を見越し、それ以前から支援を行っていたナチスに入党し、その政治的コンタクトを武器に、会社は空軍の拡張のために第二次世界大戦 終了まで急拡大し、関係性を強めた[ 1] 。この時期に He 59 、He 115 、He111 が生産された。また1938年 にはノーベル賞 に対抗してナチス・ドイツ が制定したドイツ芸術科学国家賞 をニュルンベルク のナチス党党大会 にて授与された。
大戦期
部下ジークフリート・ギュンター (左)とハインケル(右)(1941年)
世界初飛行した有人ロケット機 He176のイラスト
レーダーを標準装備する高速夜間戦闘機 He219
ハインケルは高速機の開発に情熱を注いだ。そして飛行機の生産にも鋭い感性を示し、切り開いていった。その一例がターボジェット 機の研究でハンス・フォン・オハイン を援助したことである。ジェットエンジン は当初、イギリス のホイットル によって開発されたが、先見性のあるハインケルの機体 He178 の方が早く初飛行した。ジェット機 開発は最終的に、メッサーシュミット 社の機体 Me262 が採用されてしまったが、大戦末期には、単発ジェット機 He162 を実用化している。また、ロケット 機の分野にも着手し、試作機He176 で、世界で初めての有人飛行を成功させている。
ハインケル社は大型機の受注が多かったが、戦闘機のような主力小型機の分野では、He280 のように先進的な技術を有していても、政治的に優位に立つメッサーシュミット社などの後塵を拝してしまっていた。また、機体は性能を追求するあまり技術的に複雑になりすぎ、量産性や実用面に問題があった点が採用の可否に影響したり、制式採用されたHe177 のように、期待通りの結果が出なかった機体もあった。
戦後
ハインケル・カビーネ(1956年製)
ドイツ敗戦後、早急に会社の立て直しを図り名誉を回復するために、顧問弁護士らと自らをナチスによる犠牲者であるとする自己喧伝活動を展開し、連合軍 による脱ナチ化 の監査を免れるが、そのために彼がナチス党員ではなかったとするデマが広まる。しかし、その後の調査で、ナチスとの密接な関係だった事が明確になっている[ 2] 。
戦後の1956年 、彼はハインケル車体を設立した、多数の欧州 型バブルカー 、ハインケル・カビーネ を生産した、1958年の生産終了時までに5000台以上が生産された。アルゼンチン では1961年 までライセンス生産 された。しかし、アイルランド では品質管理に悩まされ、頓挫している。
1958年 、シュトゥットガルト で死去。
関連書籍
脚注
^ [1]
^ [Deutsche Unternehmer zwischen Kriegswirtschaft und Wiederaufbau: Studien zur Erfahrungsbildung von Industrie-Eliten (Quellen und Darstellungen zur Zeitgeschichte, Band 39) Gebundene Ausgabe von Paul Erker (Herausgeber), Toni Pierenkemper (Herausgeber) Oldenbourg Wissenschaftsverlag (24. November 1999)]
外部リンク